第5章 猫又と鬼女紅葉
「この猫が……闘鬼の飼い猫?」
紅葉はあたしを見て、ひどく睨みつけた。
紅葉は綺麗な顔をしていたけれど、意地悪そうでもあった。人間界に長いのだろうか? とても上手に化けているが第一印象はよくなかった。それはあたしをさらったから、とか良太をいざこざに巻き込んだから、というわけではない。妖怪同士の悶着はよくある事だし、妖力の高さが上下関係を作る世界だから、彼女の高飛車な態度は正しい。
だけどどこの世界にも話の通じない相手がいるものだ。
鬼女紅葉はそんな種類だと感じた。全てにおいて自分の言葉しか聞こえず、他人の意見は必要なく聞く耳ももたない。そして自分の主張は力ずくでも通す、そんな迷惑な種類。 あたしは低い姿勢で紅葉を見た。その妖気の邪悪さに身体中の毛が逆立つ。
「ふん、ちんけな猫又」
と紅葉が言った。
「この猫が総大将の弱点なんですかい?」
と紅葉の横に立っていた大男が言った。
「…………」
紅葉はそれを認めるのが嫌なのか、返事をしなかった。ただ頭に血が上って落ち着かない様子だった。
「闘鬼が助けにくるわ」
とあたしは言ってみた。それが本当かどうかあたしにも分からないけれど、そう言う事が少しくらいは紅葉のプライドをへこませてやれるだろうと思ったから。
案の定、紅葉の顔がかっとなり、妖気のボルテージが上がった。
「闘鬼はそりゃあ、あたしを大事にしてるんだから」
「…………」
「闘鬼が人間界で静かに暮らしているのはあたしがそう願うからよ。闘鬼はあたしのお願いならなんだって聞いてくれるんだから! 闘鬼は小うるさい雌の鬼に飽き飽きなんですってよ!」
言ってしまってから、やばい、とは思ったけど、遅かった。
紅葉はあたしの脇腹を蹴っ飛ばした。とっさに逃げたけれど、ハイヒールの尖った先が毛皮に食い込んだ。あたしは激痛に悲鳴をあげて部屋のすみに飛んで行った。
それで気を失ったんだと思う。
闘鬼に出会う前の頃の夢をみた。
あたしは野良猫生活をしていた。
戦争が終わり、街はまたたくまに復興した。人間は少しずつ裕福になって、猫を飼ったり犬を飼ったりするようになった。
街を徘徊してはゴミを漁ったり、魚屋の魚を盗んだりしていた。
あたしはすでに猫又だったから、生粋の猫に羨ましがられたり、嫌われたり、猫たちの態度もそれぞれだった。あたしは自分が疎ましかった。あたしは猫又になんかなりたくなかったから。気がついた時にはすでに猫又だった。自分じゃ使えない妖力に、成長の遅い身体。長すぎる寿命。あたしはどうして猫又なんかに生まれたんだろう?
そして輪廻転生出来ない運命。この長すぎる猫又人生が終わったら、あたしは消滅する。 あたしは「今度は人間に生まれ変わりたいな」と思うことすら許されないのだ。
そして普通の猫なら思わないそんな事まで考えてしまう。ほんの少しの妖力で高まった知能が親切にもそれをあたしに教えてくれた。
猫又に生まれた事を呪っていたけれど、五十年程生きて出会った鬼に「本当は猫だったのに猫又にされた」と知ったあたしのショックは誰にも分からないだろう。
それが命の恩人だと言われても納得できるものではない。
あのまま死んでいたら「戦争の被害で命を失った哀れな猫、今度は人間に生まれてきなさい」と神様が言ったかもしれないのに。
あたしは運命の輪が少しずれた事を怒った。
クチメちゃんのように今から人間になりたいなんて思わない、なれるわけないしね。
でも普通の猫だったら可能性もあったのに、と思う。
ふと気がつくと良太が頭を抱え込んでいるので、あたしは頭に爪をたててやった。
「痛っ」
良太は一瞬あたしを睨んだが、すぐに情けないような顔をしてあたしを見た。
「大丈夫か?」
と良太が言った。
良太はベッドに腰をかけ、あたしはわりかしふわふわした気持ちのいい毛布に丸くなって座っていた。
「痛かった」
あたしは身体を起こして動いて見た。骨や内臓に異常はなさそうだ。ぷるぷると身体を振って、のびをした。気持ちを落ち着かせる為に毛繕いをしてから、
「早く逃げだそうよ」
と良太に言った。
「駄目だ。すげえ、強力な結界で囲まれてる。俺の力じゃ突破出来ない」
良太はあたしをさらった時はずいぶんと興奮していたけど、落ち着いてみるととんでもない事をやったと青くなっていた。
紅葉にそそのかされたとはいえ、きっと闘鬼に殺されるだろうと何度も呟いた。
「あー、死ぬ前にサキの顔が見たい」
「良太ってさ、本当にサキちゃんが好きなんだね」
「悪いかよ」
すねたように言う良太も悪くない。五百年も生きてるわりには良太はまだまだ子供っぽい。サキちゃんだけが良太の世界の全てだというのも面白いなと思う。
「じゃあ、闘鬼が助けに来てくれるまで待つしかないか」
とあたしが言うと、良太は申し訳なさそうに、
「闘鬼……さんはきっと来ないと思うぜ」
と言った。
「どうして?」
「紅葉は珠子と引き換えに何を闘鬼さんに言ったと思う?」
「何?」
「闘鬼さん自身の首だぜ」
「ありゃ」
「闘鬼さんが珠子を大事にしてるのは知ってっけど、さすがに自分の首とは引き換えにしないだろう?」
「そっか」
あたしはあ~あとあくびをした。こんな非常時でもあくびが出るのはしょうがない。
だって猫だから。
良太はあたしを気の毒そうに見た。
「俺は自業自得だけどさ、珠子は巻き込まれて迷惑な話だな」
「まったくよ」
あたしはまたベッドに丸くなった。普段なら闘鬼は簡単にあたしの行方を追うけど、この結界じゃ無理かもしれない。それに紅葉と争う事になったら、人間界を巻き込む戦いになるだろう。紅葉が総大将の地位を手に入れたら、妖怪界も人間界も壊滅する。
その為に闘鬼は自分の首を差し出すわけにはいかない。
よってあたしは見殺しになるしかないのだ。
全く紅葉って奴は迷惑な奴だ。そんなに自信があるなら正々堂々と戦えばいいのに、こんな非力な猫又を人質、いや、猫質にとって、卑怯な奴だ。
「闘鬼さんはどうして珠子を側に置いておくのかな」
と良太が言った。
「どうしてって? あたしが可愛いからでしょ」
あたしがそう言って毛皮を舐めると、良太は笑った。
「そうか。まあ、そうだけどさ、お前のどこがそんなに魅力なのかな、と思ってさ。あの人、珠子だけは大事にしてるだろ。他の妖怪には興味ないだろ? 気にいらなきゃ、一瞬でおだぶつだ」
「淋しいんじゃない?」
「淋しい? 闘鬼さんが?」
良太は意外そうな顔をした。
「あの人、鬼族の総大将だぜ? 少なくなったとはいえ集めりゃ、まだ何千といる鬼の頂点に立つんだぜ? 淋しいって、わけわかんねぇ」
良太はごろんとベッドに寝ころんだ。
「良太はサキちゃんがいるじゃん。鎌鼬も兄妹がいるし。何百年生きても、側に誰かいてくれるのといないのじゃ違うよ」
「そりゃ、そうだけどさ。鬼の仲間がいるだろう。紅葉みたいな雌の鬼もいる。なのに闘鬼さんて仲間には結構背中向けてるって評判じゃん」
「闘鬼は強すぎるからさ、仲間はいつ殺されるかってびくびくしてる。それか闘鬼を殺してその妖力を手に入れてやろうって狙ってる奴もいるし」
「そうやって闘鬼さんの事を分かってるわりには珠子は闘鬼さんに冷たくね?」
「あたしはいいのよ。あたしにはその権利があるの。闘鬼はあたしを大事にしなきゃいけない理由があって、あたしは闘鬼に冷たくしていい権利があるの」
「わけ分からねえけど、やっぱ、さっさと逃げた方がいいよな」
良太はまた気の毒そうな顔であたしを見た。
「そうだね。でもこの結界を破るのは難しそうじゃん」
あたしはまたあくびをした。
「紅葉の狙いを成功させるわけにはいかないでしょ。紅葉は人間を殺して妖怪の世界を作ろうとしてるんだから、世界中が大騒ぎになるよ。妖力が人間にどれだけの影響を与えるか、知りたい気もするけどね。実際さぁ、妖怪の力で何十億といる人間を皆殺しに出来ると思う?」
「知らねえよ、そんな事」
何故だか良太はぷいっと横をむいた。もしかしたら良太もそんな事を考えた事があるのかもしれない。良太は人間が嫌いらしいから。
「闘鬼くらいの力がある妖怪が先頭に立って日本中の妖怪を集めたら、日本くらいは占拠出来るかもきれないね。世界は無理だろうな。西洋には西洋妖怪がいるしね。西洋妖怪が黙っていないだろうね。お稲荷の狐さんに聞いたけど、西洋の魔狐は意地が悪いんだって。そしたら日本妖怪と西洋妖怪の戦いになって、どっちが強いんだろうね? 西洋妖怪も強いのがいるんでしょ?」
あたしのおしゃべりを聞いて、良太は大きなため息をついた。
「お前、よくそんなのんきな事を考えていられるなぁ。この非常時に!」
「何がのんきなのよぉ。これから起こりうる一大事を検証してるんじゃない」
「あっそ。そんな事より、何とか逃げ出せないかな」
良太は立ち上がった。
「すごい結界だよね。鬼道一族って言ってたもん。鬼神に次ぐ実力者だよ」
「この結界がなぁ。いっそのこと、俺の妖力全部でぶつかってみるか」
「止めはしないけど、サキちゃんに遺言は?」
良太はあたしを振り返って、
「嫌な事言うな」
と言ってまたベッドに座った。
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