天邪鬼 姉の後悔 4

 良太の後を追うなんていう技を持っていない私はアパートに戻るしかなかった。

 アパートに戻って、一人の部屋で私は私への妖気を解いた。自ら作っていた醜い顔を元の顔に戻した。ごつごつした肌も、落ちくぼんだ目も、へしゃげた鼻も、すべて元通りになった。そうなったところで私自身に変化はない。鏡を見ると昔を思い出すくらいには不愉快になる。母や父や姉弟達を思い出すだけだ。彼らこそもう死んでこの世にはいないのだ。もし今の世でまた血縁関係に生まれたならまた違う結果だったろう。いや、今の世ならもっと複雑な結末かもしれない。

 現代は姉弟で愛し合うのは禁忌とされているのだから。いつの時代でも私達は妖怪に身を落す運命だったのかもしれない。

「ずいぶんとべっぴんだったんだねえ」

 と声がした。

「誰?」

 入ってきた音はしなかった。なのに、私の後ろに人の気配、いや、違う。

 すさまじい妖気だった。

 恐る恐る振り返ると、先日引っ越してきた紅葉さんが立っていた。

 先日見た時はそうでもなかったのに、今日の紅葉さんはずいぶんと派手だった。

 人間的に言うと、十も二十も年をとってそれを化粧で隠しているという感じだ。

「弟が夢中になるはずね」

「紅葉さん?」

「闘鬼に呪いを解いてもらったの?」

「いいえ、これは、違います」

「ま、いいわ。そんな事に興味ないし」

「あの……何かご用?」

「あのね良太にも協力してもらってるんだけどぉ」

「良太がどこにいるかご存じなんですか?」

「ええ、本当に姉さん思いのいい弟ね。あなたの呪いを解く為だったら、あの闘鬼も敵に回してもかまわないんですって」

 紅葉さんはくすくすと笑った。

「あなたが良太にあんな事をさせたんですか?!」

 私は立ち上がった。目眩がした。闘鬼さんを怒らせたら、日本中の鬼族を敵に回す。

 天邪鬼、書いて字のごとく、あまんじゃくも鬼族に位置するのだ。

 私達のような人間から身を落した妖怪ではない、いにしえからのもっと強大な天邪鬼族さえ闘鬼さん率いる鬼族の配下なのだ。

「あなた、何者なんです?」

「あたし? あたしは鬼女紅葉」

 紅葉さんがそう言った瞬間に、小さな竜巻が巻き起こった。それは紅葉さんの身体を取り巻いて、そして消えた。そこには人間ではなく、鬼女がいた。

 真っ赤な燃えるような髪に真っ赤な一本の角。

 そして私を見ている瞳も真っ赤だった。

「鬼女紅葉……」

「そう。こう見えて結構妖力は高いの。人間風情から成り下がった天邪鬼くらいは、指一本で消せるくらいにね」

 そう言って紅葉さんは笑った。

「一体、どういう事なんですか?」

「そう怖い顔しないで。良太があなたの事が心配だっていうから見に来てあげたんじゃないの。良太に猫又をさらいに行かせたんだけど、話半分で飛び出しちゃてさ。なんだか頭にきちゃってて。あなたの呪いを解けるのが闘鬼だって話、頭から信じちゃって」

 紅葉さんはまた笑った。嫌な笑いだった。

「良太はどこにいるんですか? 珠子ちゃんをさらうって……どういう事なんですか!」

「あの猫又が闘鬼の弱点だって事は有名じゃない? 泣き所っていうの? 冷酷な闘鬼があの猫又だけは可愛がってる。しかもよっぽど自分に自信があるのか、あいつはそれを隠そうともしない。だったらこっちも堂々と利用させてもらうってわけ」

 私は紅葉さんが何を言っているのか分からなかった。

「どうしてそんな事を?」

 紅葉さんはにっこりと笑った。その勝ち気な笑顔はかなり美しいと思った。

「どうしてって、決まってるでしょ。総大将の地位が欲しいからよ」

「総大将の地位……」

「そう、もう二千年も闘鬼の好きにさせてるわ。そろそろ交替してもいいんじゃないかしら?」

「あなたが……総大将に?」

「あたしにはその実力があるわ。あたしは鬼道一族出身なのよ。妖力だって闘鬼に負けていない。ここんとこ、何匹か喰ってやったからね。クチメは喰いそこなったけど、この街には有力な妖怪が多いから、美味かったわ」

「え……クチメちゃんをそそのかして絶食させたのは、紅葉さんだったんですか!」

「そう。ま、あの二口女じゃたいした妖力もないしね」

「一つ目さんの目や、手長足長さんの手足を切ったって……」

「そうよ、妖怪の妖力の源を喰って格段にあたしの妖力は上がったわ。この街だけじゃないののよ。ここへ来るまでにあっちこっちで喰らってやったわ」

「鏡のガミさんも?」

「ああ、あのじじい。そうよ、妖気を奪えそうな妖怪を見つけたら鬼の気を分けて付喪神にしてやるって言ったら大喜びで協力してくれたわ。馬鹿よね。半端物の鏡のくせに、付喪神になりたいなんて。大笑いだわ。でもあたしはこれで闘鬼と戦えるだけの力を手に入れたの」

 紅葉さんの赤い髪、一本一本にまで妖気が感じられる。私にはあの髪の毛一本さえも止める力はないだろう。

「なんて酷い事を……一つ目さんも手長足長も、この街が好きで、人間と暮らすのが好きで一生懸命生きていたのに!」

「あんたも馬鹿の仲間ね? 人間に媚びを売って、姿を隠して、何が楽しいの? あたし達は妖怪なのよ。闇と恐怖の象徴よ。今の人間どもが忘れさった、暗黒の世界の住人なのよ。人間どもはあたし達を恐れ、逃げまどい、ひれ伏さなければならないのよ! あたしが鬼族の総大将になったら、人間どもも人間に媚びをうる哀れな妖怪達も皆殺しにしてやるわ!」

 紅葉さんはほっほっほっほと笑った。

 恐ろしい妖怪だけれど、燃えるような赤い目で語った彼女はとても美しかった。

「良太を返してください。あなたが闘鬼さんと戦うのは……私達には止められないでしょうけど、私達は……静かに暮らしたいんです」

「返してあげてもいいけど、闘鬼が許してくれるかしらね? 猫又をさらった良太にさぞかしご立腹でしょうね。あたしの下につくのが利口よ。それに、準備は整ったわ。猫又さえ手に入れればこっちのもの。闘鬼に勝ち目はない。妖怪戦国時代の始まりよ!」

「そ、そんな」

「闘鬼に伝えなさいよ。猫又を返して欲しければ、総大将の首をよこしな!ってね」

「闘鬼さんの首を!」

「そう。自分で自分の首は持ってこれないだろうけどね」

 紅葉さんはくすくすと笑い、

「そしたらあたしが二度と再生出来ないまで総大将の首を粉々にしてやるさ!」

 また一陣の竜巻が起こった。部屋の中の物を全てなぎ倒し、めちゃくちゃにして、そして紅葉さんは消えてしまった。

 鬼女紅葉といえば、妖怪仲間では有名な鬼だった。鬼道一族は力のある一族で、代々有名な鬼を輩出している名誉ある一族だ。しかし力に物を言わせる性質で乱暴者が多く、妖怪の中では敬遠されている。いつの世も人間を敵視している。

 鬼族にはいくつかの集団があるが、闘鬼さん率いる鬼神一族から常に大将が出るのを鬼道の一派は恨みに思っているらしく争いが絶えない、という噂を聞いた事がある。

 妖怪自体が減って住処をなくした者たちが仕方なく人間界に住を求めるような世の中で、彼らはまだ人間界をひっくり返すような事を企んでいたとは。鬼族も昔ほどの数はいないと聞いているのに。

 力のない妖怪達は静かに人間界で暮らしたいだけなのに。

 良太をそんな事に巻き込んだのは私のせいだ。つかなくていい嘘をついた報いだ。そして珠子ちゃんまで危険な目に合わせてしまった。

 珠子ちゃんをさらった良太を闘鬼さんは許してくれるだろうか? 総大将の首と引き換えだなんて、さすがに闘鬼さんも承諾しないだろう。珠子ちゃんを見殺しにするのだろうか? そしてもし闘鬼さんが鬼女紅葉に負けたら?

 この世はどうなってしまうんだろう?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る