天邪鬼 姉の後悔 3
「お店を出すってどこに出すつもりなんだい?」
鎌鼬の長男のマスターが熱い緑茶が入った湯飲みを前に置いてくれた。湯気が立ち上るのを見るのが好きだ。ふうふうとして飲むのが好きだ。良太は年寄りくさいといって笑うけれど、おせんべいかおまんじゅうがあれば私はそれで幸せだ。
良太は私をからかうけど、いつも和菓子をお土産に買ってきてくれる。
「今のアパートで」
「え? あんな小汚いとこで?」
「ええ、お店って言ってもそんな人間がやるような店じゃないんです。ただ、料理を食べに来てくれたらいいだけだから。ほら、みんなで月見とかやってる時みたいに、原っぱに椅子を出してご飯食べるだけですよ」
「そりゃ、風流だね」
マスターがそう言ったのでちょっと安心した。
「誰かが食べてくれるってだけで作りがいがあるじゃないですか」
珠子ちゃんが大あくびで、
「クチメちゃんが食い散らかして終わりじゃない? 店になんないよ」
と言った。
「そ、そんなに食べないっすよ」
とクチメちゃんは言ったけれど、確かにクチメちゃんに全部食べられてお終いかも。
「だからお店にするんじゃない。クチメみたいな貧乏妖怪には手がでない金額つけるつもりよ」
と霧子さんが言った。
「え~~」
とクチメちゃんが悲しそうな声を出した。
「あんた人間になりたいから絶食してるんじゃなかったの?」
霧子さんに睨まれて、
「だって、この甘露玉がなくならないし……これすごくおいしいんっすよ」
とクチメちゃんが言った。
「それにアカナメがスポンサーについたもんねぇ。働き者の彼氏はいいねぇ」
と珠子ちゃんが笑った。
「そんなんじゃ……」
クチメがちょっと恥ずかしそうにうつむいた。
私は慌てて、
「そんなつもりじゃ……ただ、お店にしてしまえばいつも誰かが来てくれるんじゃないかなと思って。いつでも開いてますよっていうだけの事で」
と言った。
「弟は? 良太が承知しないでしょ?」
「ええ、まあ。でも……いつまでも良太にばっかり頼ってないで、私も働きたいんです。お金になるからって今の仕事をやってるけど、もっと他に良太にあった仕事があると思うんです。あたしは……良太にもう人を殺めてもらいたくないんです」
「良太って今でもそんな事やってるの?」
霧子さんとクチメちゃんが同時に私を見た。マスターは素知らぬ顔でグラスを拭き、珠子ちゃんと闘鬼さんは何気なくよそをむいた。
「ええ……その……たまに、ですけど」
その時、闘鬼さんがいきなり立ち上がったので、珠子ちゃんが「にゃっ」と言って飛び上がった。
「にゃによ~、びっくりするじゃ……どうしたの?」
「しっ」
と闘鬼さんが指をたてたので、皆がいっせいに息を飲んだ。
「カラーン」と店のドアが開く音がして入って来たのは良太だった。
「なんだ、良太じゃない。大将、びっくりさせないで……」
と霧子さんが言った。
どこで調達したのか良太は洋服をちゃんと着ていた。いつも仕事用のスーツ姿ばかりだったので、Tシャツにジーパンの格好の良太は若く見えた。
「サキ」
と良太が言った。
「どこに行ってたのよ。心配したのよ!」
言うと、良太は私を睨みつけた。
「うる……せえよ」
店にいた者はみんな良太を見ていた。いつもならすぐにぼっこ達の騒がしい声がして、マスターや霧子さんに怒られるという光景になるのだけれど、今日それが違ったのは良太が店に入る前に闘鬼さんが警戒するような仕草をしたからだ。これは後から思いついたのだけれど、闘鬼さんは良太など片手で倒してしまうほど強いのに何故かしらこの時は良太をじっとみつめていた。
そして良太も普段は闘鬼さんに関わるのを嫌うのに、今日は何故か闘鬼さんを睨みつけた。
闘鬼さんが目を細めて、
「サキ、弟を連れて帰れ」
と言った。
「え?」
「うるせえよ!」
いきなりだった。良太が叫んで、両手で闘鬼さんに気を放った。
色も何もなく、強いて表現するならば歪んだ風のような一撃だった。
それは自分の妖力を絞り出して攻撃する技。
良太は喧嘩っぱやいけれど、自分の力量は分かっていると思っていた。どんなに力をつけても鬼族の総大将にかなうはずがなかった。
案の定、闘鬼さんはそれを片手で弾いて、良太の放った衝撃波はカウンターの後ろの食器棚を派手に壊した。驚いたぼっこ達が天井からぼたぼたと落ちてきた。
「良太!」
と私が叫んだのと、霧子さんの、
「ちょっと! 弁償してよね!」
と言うのが同時だった。
「あら」
と珠子ちゃんが言って、自分の毛皮をぺろぺろと舐めた。
カウンターに降りてきたぼっこが、
「けけけ、殺されろ。鬼の大将に殺されろ! けけけ、天邪鬼ぅ、殺されろ」
「そうだそうだ。殺されろぉ」
と言って小躍りした。
珠子ちゃんがそのぼっこを爪でひっかけて、遠くの方に飛ばしてしまった。
「りょ、良太、何やってるの! 闘鬼さんに……」
良太は私の声など聞いていないようだった。ぎらぎらした目で闘鬼さんを睨んで、そして、あっという間の事だった。良太の手がさっとのびてカウンターの上の珠子ちゃんの身体をひっつかんだ。
「良太!」
「にゃああああああ」
珠子ちゃんは嫌そうに身体をよじったが、良太は彼女の身体を離さなかった。
「何のつもりだ?」
闘鬼さんが面倒くさそうに言った。
「呪いを解けよ! サキにかけた呪いを解け!」
そう良太が叫んだ。
「良太! あれは五百年も昔のあまんじゃくに……」
私がそう言ったが、
「そうだ、あまんじゃくのじじいにかけられた呪いだ! けど、様々な鬼どもを配下にしている鬼族の大将ならあまんじゃくの呪いは解けるそうじゃねえか! サキの呪いを解け!」
良太はすっかり興奮してしまっていた。
闘鬼さんは息をひとつついた。
「誰に入れ知恵されたかは知らないが、この俺にも出来る事と出来ない事はある。あまんじゃくの呪いは呪者自身の呪い。解きたくば、あまんじゃくを殺すことだ」
「いい加減な事を言うな! あのあまんじゃくはとっくに死んでいる! それでもサキの呪いは解けねえじゃねえか! サキの呪いを解かないのならこの猫をぶっ殺すぞ!」
良太は小脇に抱えこんだ珠子ちゃんの喉をぐっと絞めた。
「ちょ、ちょっと~~~ぐるじい~~~~」
珠子ちゃんがばたばたと暴れた。
「珠子を離せ」
闘鬼さんの声が低くなった。
黒い瞳が赤味をおびてきたのは妖力が高まっている証拠だ。うっすらと頭の上に鬼の角が形をとり始めている。店の窓ガラスがびりびりと震えて、先ほど割れた食器棚の中の皿やグラスの破片がかちゃかちゃと音を立てた。
カウンターの上にいたぼっこ達はさあっといなくなり、クチメちゃんも霧子さんもマスターも店の奥の方に避難しだした。
「良太! やめなさい! 珠子ちゃんを離して。ね、良太、今なら闘鬼さんも許してくれるわ」
闘鬼さんは容赦のない鬼だと聞いている。
彼に例外は猫又の珠子ちゃんだけなのだ。
珠子ちゃん以外は闘鬼さんにとって取るに足らない存在だった。
今すぐ良太を殺そうが、私やクチメちゃんを喰ってしまおうが、それらは全て彼の気まぐれ一つだった。闘鬼さんが珠子ちゃんに向ける瞳はとても優しく、そんな彼の表情は珠子ちゃん以外には絶対に見られない。きっと闘鬼さんは珠子ちゃんを愛しているのだろうと私は思うけれど、誰もこの意見に賛成はしてくれなかった。
日本で一番恐れられている鬼が誰かを愛するなど考えられないと皆が笑う。そして私とそんな話をしている妖怪もきっと愛なんて理解していないのだろう。
妖怪は妖怪だ。いくら人間に化けて、人間界で暮らしても誰かを愛するなんて出来やしない、という意見もあるけれど、闘鬼さんの愛は本物だと思う。
いや、きっと妖怪だからこそ誰かを愛する事に憧れてやまないのだ。
闘鬼さんの右腕が上がった。次の瞬間には良太の身体は粉々になって、消えてしまうだろう。だが珠子ちゃんを思ってか、闘鬼さんはすぐに攻撃しなかった。
「ちょっとぉ~~~。どうなってんの?」
珠子ちゃんは良太を見上げていたが、首をかしげた。
「良太ぁ」
良太はびくっと身体を震わせて、唇を噛みしめた。
闘鬼さんにかなわないことは自分でも理解している良太は、珠子ちゃんの身体を抱えたまま逃げ出した。店のドアを体当たりで開けて、一陣の風のように走り去ってしまった。
「良太!!」
私は慌てて後を追おうとしたけれど、身体が動かなくなってしまった。
私だけではない。その場にいる者すべての身体が動かないようだった。
転んだ姿のままのぼっこに、身体を伏せようとしているマスター、霧子さんは一番奥まで逃げて行っている。クチメちゃんは大きな口を開けたままだ。
意識はあるのだけれど、物も言えず、私の手は良太が去って行ってしまった方向へ突き出したままだった。
「珠子の後を追うのは簡単だ。だが、弟がどうして急にそんな事を言い出したのかが問題だ」
と闘鬼さんが言った。私達は動けないままの姿で彼の言葉を聞いてきた。
「サキ、心当たりは?」
「…………」
動けないし、しゃべれないのに、闘鬼さんは私に向かってそう言った。
「あまんじゃくの呪いを解くにはあまんじゃくを殺せばいい。お前達はそのことを知らなかったのか?」
「…………」
「あまんじゃくがすでに死んでいるとすれば、サキの呪いが解けない答えは一つしかない」
闘鬼さんはそう言って、私を見た。
「答えはお前が知っているはずだ」
闘鬼さんの声は冷たく、容赦がなかった。
もし今、身体が動いたなら、私はいちもくさんにこの場から逃げ出しただろう。
あまんじゃくの呪いは解けやしない。あれは呪いじゃなかった。
本当に神様だったのかもしれない。
あまんじゃくは私の願いを叶えてくれたのだ。あまんじゃくが死んだ後、私は私の意志でこの醜い顔を維持していた。わずかながらの妖気を全てそれに使って、醜い顔を作り上げたのだ。
美しい顔はいらない、けれど、良太と離れるのも嫌だ。
私は私を救おうとしている良太に嘘をつき続けた。
いつか美しい顔に戻るという希望を持たせて、嘘をついて五百年も生きてきたのだ。
「すみません……」
ふと身体のしびれが取れて、動けるようになった。
その瞬間、店のあちこちでガシャン!という何かにぶつかって転げるような音がした。
「珠子に傷の一つでもつけたら、お望み通りに二目と見られない顔にしてやるぞ」
と闘鬼さんが私を睨みつけてそう言った。
「は、はい」
私はうなずくだけで精一杯だった。
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