天邪鬼 弟の憂鬱 5

「リョータ君、ご指名だよ」

 とボーイに呼ばれて俺は控え室を出た。嫌な予感がして、それはたいてい当たる。

 指定されたテーブルには、男と女が座っていた。もちろん妖気をぷんぷん発している。

 派手なスーツに金のアクセサリーをつけたけむくじゃらな大男には見覚えがなく、煙草をふかしているけばい女は隣に引っ越してきた紅葉という奴だった。

「いらっしゃいませ」

 と言って紅葉の隣に座る。本当はマニュアルにセリフが用意されているが、ホスト遊びをしに来たわけでもないだろう。

「へえ、こいつが天邪鬼か。いい男じゃねえか」

 と男が言った。

「そうでしょ? とてもいい男。こういう子をいじめてみたいわぁ」

 と紅葉が言った。

「なんですか?」

 俺はグラスに氷を放り込んだ。どう探っても正体が分からない。側にいると大男からは強烈な妖気が感じられる。

「ねえ、リョータ君、あなた、あの鬼が嫌いでしょう?」

 俺は紅葉を見た。

「鬼?」

「そう、鬼。鬼の総大将様」

 俺はテーブルを見渡した。テーブルには俺だけではなかった。ヘルプの新人ホストが一緒に席についている。新人は笑顔を浮かべているが、不思議そうな顔をしていた。

「何の話だか分かりませんね。ここでする話じゃないように思いますが」

 俺がそう言いながらウイスキーの瓶を持ち上げると、

「小僧、なめてんじゃねえぞ!」

 大男が瓶を横から取り上げて、そのまま瓶ごと口のみをする。ごくごくといい音を出して、男は瓶の半分ほどを飲んでしまった。横に座っていた新人が目を丸くした。

「ねえ、あたしたち困ってるの。助けてくれない?」

「紅葉さんでしたっけ? 一体何の話です?」

「あたし達の力になってくれたら、あなたのお姉さんの呪いを解いてあげるわ」

「……サキの?」

 紅葉はにっこりと笑った。

「そうよ。サキさん、本当はとっても美人なんでしょ? あたしには分かるの。元の姿を取り戻したいでしょう?」

「……無理だ」

「あら、どうして?」

 どうしてだって?

 無理に決まっている。五百年も探しているのに呪いを解く方法が見つからないのに。

 いや、どうしてこの女がサキの呪いの事を知ってるんだ?

 紅葉は赤い唇を歪めてにこりと笑った。

「あたしはただそろそろ鬼の大将にその座を引退してもらいたいだけ。もう二千年もやれば充分よね?」

「それで、あんたかこの男が次の大将に?」

「ザコの天邪鬼には関係ねえ話だがな。俺が闘鬼の力を手に入れたら、ザコどもは皆殺しにしてやるぜ」

 と男が笑った。

「巌鬼、リョータ君はあたし達の手助けをしてくれるのよ、ねえ、リョータ君。この子のお姉さんは闘鬼の飼い猫ととっても仲良しなの。人間界にすっかり馴染んじゃって、微笑ましいわよねえ」

「け、闘鬼の奴め、今度こそ消滅させてやるからな!」

 巌鬼と呼ばれた男は握り拳を作ってテーブルをどんと叩いたが少しは知能があるらしい。テーブルを粉々にはしなかった。

「ねえ、サキさんが綺麗な顔に戻れたら、人間界で暮らすのも楽しいわよ」

 どんなに優しい顔をしていても、毒気というのは必ずどこかに出る。それは人間も妖怪も変わらない。俺は鬼達の支配権争いには興味ない。あの鬼、総大将の闘鬼も嫌いだが、こいつらはもっともっと嫌な感じがした。人間風に言うなら「反吐が出る」って奴だ。

 だがサキの呪いを解けるという言葉も捨てきれない。物の怪に「裏切り」は日常だ。約束というのも意味がない。信じるなんて言葉は存在しない。

「あんた、どうしてサキの呪いの事を知ってるんだ?」

 紅葉はあははと笑った。

「あなた達に呪いをかけたあまんじゃくを知ってるのよ。そいつはもう死んじゃったけどね。気まぐれで呪いをかけて、暇つぶしにあんた達の事を眺めていたわ。リョータ君、結構人を殺したらしいじゃない?」

 あのあまんじゃくが死んだのか。あいつが死んでも呪いは解けなかったのか……

 俺はサキの顔を元に戻してやりたいという気持ちをどうしても捨てきれなかった。

「何をすれば?」

 紅葉がぱんっと手をたたいた。

「いい子ね。きっと助けてくれると思ってたわ」

 俺と紅葉が話をしている間も巌鬼は次々と酒を飲み、物を喰うだけだった。鬼の大将の地位を狙うには力だけの低脳そうな鬼だ。

「また連絡するわ」

 そう言って紅葉は立ち上がった。バッグから財布を出すと、ポンと札束をテーブルに置いた。巌鬼は物足りなそうな顔だったが、大人しく紅葉について店を出て行った。

「すげえ、リッチな客ですね。リョータ君! でも何の話をしてたすか?」

 と新人ホストが聞いた。

 紅葉と俺の話の間中、新人は側で座って話を聞いていたが、何を聞いても笑顔を浮かべてうなずくのが俺達の仕事だ。何を聞いても興味もなく、驚きもしない。

「新しいゲームの話さ。知らねえ? 今ネットでも超話題の「ゴースト・デビル」って奴」

「へえ。ああ、オンラインゲームっすか? 面白いんすか?」

 と新人が本気で聞いてきたので俺は笑った。

「始まったばかりだからな。結末はまだ誰も知らないのさ」

 と俺が言うと、新人は疑いもせずに「そうですか! 俺もやってみよ!」と言った。


「あ~ん、リョータ君!」

 紅葉との会話で神経を消耗したにも関わらず、俺は三和の席に戻らなければならなかった。倫子はあきらめて帰ってしまったようだ。

 開店と同時に来て閉店まで粘る三和はうっとうしいが金になる。

 三和は全身ブランド物で覆われていたが、センスはゼロだった。パステルカラーをこよなく愛し、フリルとレースの世界で生きる。そして不細工だがよく笑いよく泣き、騒々しい女だった。

「あの人、帰ったみたいね。さっきの客もカップルでこういう店に来るなんて珍しくない?」

「そうだね」

「今日はもう指名客こなかったらいいのにぃ。あ、そうだ。これ、よかったら使って」

 三和の差し出した箱にはリボンがかかっていた。

 察するに時計だろう。

「ありがとう。いつも悪いね。大事に使わせてもらうよ」

 俺は箱の包装紙を取って中身を確認した。

 三和自身はOLだが、家が金持ちらしいというのは他の客から聞いてた。お嬢様らしく、すこしばかり人と感性がずれているのはそのせいかもしれない。

 箱を開けてみると、何百万もするフランク・ミューラーの時計が入っていた。

「ありがとう」という言葉と、にこっと笑わなければならない労力を絞り出すのに全力を使う。人間界でうまく生きようとして、神経や体を壊す妖怪がいるくらいだ。知り合いの鬼熊は人間になって二十年ほど暮らしていた。頭もよく、性質もいい雄で人間の女と結婚したがある日突然女の前から姿を消した。

「もううんざりだ。人間の女は恐ろしい。働いても働いても金が足りないと言うんだ。通勤ラッシュ。会社。仕事。接待。女房。俺はいつか人間に殺されてしまう」

 と言っていた。鬼熊は今もひっそりと人間界にいるが、人間が恐ろしくなり、ほとんど引きこもり状態だ。

 三和は延々としゃべり続けた。俺が聞いていようがいないがお構いなしに、自分の事を話しつづける。三和がこの店に通うようになって三ヶ月、もうすでに聞いた話ばかりだ。 ほかの客から指名がこなければ俺はこのテーブルに釘付けにされる。

 もうそろそろうんざりしている。この女を殺すか、商売を変えるしかなさそうだ。

「ねえ、リョータ君、どうしてあんなみすぼらしいアパートに住んでるの?」

「え?」

 三和はもじもじとした動作でテーブルの上のグラスを取り上げた。

「偶然、見ちゃった……んだぁ。四丁目の川沿いにあるアパートでしょ?」

 何が偶然だ。後をつけたのか? 人間に尾行されて気がつかないとは俺も衰えたもんだ。

「すごいぼろいアパートでしょう? リョータ君って人気あるんだから、結構稼いでるんだと思ってたぁ。あの……ね、もしお金に困ってるんだったらね、三和、力になれると思う」

 俺は笑った。うんざりだ。

「金には困ってない」

「だってあんな汚いアパート、リョータ君に似合わないよ」

「……」

 深夜十二時を超えたほどの時間だった。どこの席でも同じような会話がされている。

 女は必死でホストの気を引こうとする。

 先週テレビ局の取材があり、ナンバー1ホストのレイジが取材を受けていたが、その時、彼についた客がボストンバックに札束を入れてきた。

 一千万はあっただろう。

 レイジは平気そうな顔をしていたが、内心は大喜びだったろう。その金は全てレイジの懐に入る。レイジは甘いセリフを吐きながらベッドで精出してがんばればいいだけだ。

 女の言葉に俺達は後で大笑いだった。

「このお金はレイジの将来にかけるお金よ。私は彼に期待して、彼に投資するの」

 三十台の女社長っていう奴だった。彼女は一千万でレイジを捕らえたつもりなのだろう。 人間は本当に馬鹿ばっかりだ。

 レイジはその金で妻子をハワイ旅行に連れて行き、残りで整形する予定をたてている。

 もっともっと女社長に貢がせる為に彼女好みの顔にするらしい。

「三和の家、不動産もやってるから……お金は三和が出してもいいの!」

「それで? 見返りは?」

 その時、俺はもう決心していた。ソファにふんぞり返って、グラスを取り上げると水滴がぽとんと落ちた。

「見返りなんて……そりゃあ三和とおつきあいしてくれたら……嬉しいけど」

 と言って三和がうふふふと笑った。

「そうだなぁ。三和さんとおつきあいか」

 そう言って俺は三和の手を握った。ぶにぶにした手は柔らかく、臭い化粧品の匂いがした。三和は驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑った。俺は三和のうらやましいばかりの濃厚なエネルギーを吸い取った。

「うふふふ」

 三和は俺の目を見ていたが、すぐに目の焦点が合わなくなった。

「答えは反吐が出る、さ」

 と言うと、三和はひきつったような顔で笑った。

 俺の言葉を必死で考えているようだった。だが三和の目から輝きが失せていき、顔色が白くなってきたところで俺は力を止めた。

 三和はがくんと首を垂れた。酔っぱらって眠ってしまったように見える。

「帰れ、二度とここへ来るな。次に俺の前にその顔を見せたら、お前の生気を死ぬまで吸い取ってやるからな」

 俺はそう三和の耳元で呟いたが、三和には何のことだか理解もしないし、もう考える力もないだろう。今度どころか明日の朝には冷たくなっているかもしれない。

 容赦なく搾り取った三和の生気はサキへの土産だ。

 心優しいサキはまた悲しそうな顔をするだろうが、しったこっちゃねえ。

三和にようにサキも少しは厚かましくなればいいのに、と俺は思った。

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