第2章 アカナメの災難
第二章 アカナメの災難
あやかし荘とおいら達が呼んでいるこのボロアパートにえらいべっぴんが入居したと教えてくれたのは202号室の天邪鬼の姉弟だった。姉はサキ、弟は良太。この姉弟が不思議なくらいに仲がよく、どこへ行くのも二人一緒、何をするのも二人一緒。しかし岩のようなごつごつした肌に落ちくぼんだ目、がらがらの声の姉に比べて弟の良太はテレビに出てもいいほどのぱりっとしたいい男。その男前がことのほかサキを大事にする。いつか柄の悪い妖怪がサキの容姿をからかった時に怒りにまかせてそいつを細切れにしてしまった事がある。
妖怪に人間の美意識や常識は通用しないし、姉弟仲良しというのは良いことだ。二人でいれば幸せだというのだから、仲間うちではそっとしておいてやっている。
おいらが仕事から戻ってくると、アパートの前の草っぱらに七輪を取り出してサキが魚を焼いていた。もちろんその横には良太が立っていた。良太は容姿を活かして夜の商売、ホストをしている。趣味のいいスーツを着て、ぴかぴかの靴をはいていた。
「アカナメさん、お帰りなさい」
がらがらの声でサキが言った。不細工だが愛想のいい娘だった。
「ただいま、よ、今からご出勤かい?」
良太も機嫌良さそうな顔でうなずいた。
「ああ」
「人間相手の商売も大変だろ?」
良太は肩をすくめてから笑った。
「まあね。この業界、浮き沈みが激しいからさ、同じ所で何年もいられなくて。あちこち転々としなくちゃならないからさ」
サキがうちわで七輪を仰ぎながらうなずいた。
「そうね。日本中回ってるものね。でも、ここはいいわ。お仲間がいるから。妖怪ばっかりのアパートなんて初めてよ。長い間、人目を気にして生きてきたのに」
サキが嬉しそうに言ったので良太も笑った。
「そうだな。長くいられればいいな」
「そうそう、アカナメさん、今日ね、うちの隣に新しい人が入居してきたのよ」
とサキが皿に魚を移しながら言った。
「新しい人?」
「ええ、でもお仲間だと思うけど。それがとても綺麗な人なの」
「隣って事は203か」
「ええ。とても上手く化けてるみたいだから正体は分からないわ。ねえ、良太」
「ああ」
良太は隣の美人にはあまり興味はなさそうだった。
良太が仕事に行ってしまうと、サキはたくさん焼いた魚をおいらにもくれた。
「クチメちゃんにも後で持って行ってあげてね」
「ああ、でもあいつ最近あんまり食べないみたいなんだよな」
「やっぱりそう思う?」
とサキが言った。
「この間もお肉を焼いて持っていったんだけど、クチメちゃん、あんまり嬉しそうじゃなかったの。今までは大喜びで食べてくれてたのに」
サキの口調は心配そうだった。食べる妖怪が食べない、食べられないのは何かがあったとしか思えないからだ。
確かにクチメには何かがあったのだろう。食べる事と着飾るくらいしか楽しみがなかったクチメが食べないし、覇気がない。テレビの仕事もしていないようだ。出かけているみたいだが、以前のようにどこへ行くとか何を食べるとか話をする事もない。こちらから話しかけるとうるさそうに返事をするだけだった。
「どうしたのかしらね? クチメちゃん。アカナメさん、気をつけてあげなきゃ」
とサキが言った。ちょっとだけどきっとしたのでおいらは首に巻いたタオルで顔の汗を拭った。どうしてサキがそんな事を言うのか分からなかったからだ。
「どうして、おいらが」
「だって仲いいじゃない。アカナメさん、クチメちゃんの事が好きなんでしょ?」
「な、なななな、何を」
おいらはまたごしごしとタオルで顔を拭いた。
「損得じゃなくて、クチメちゃんの事、心配でしょ?」
「そりゃあ、まあ、そうだけど。好きって……人間みたいな事言うんだな」
「話していて楽しい、顔を見たら嬉しい、それが好きって気持ちよ」
「……よく分からないよ」
サキは不細工な顔でうふふと笑った。笑った顔がまた不細工だったが、その顔を見たら何やら暖かい気持ちになったような気がする。
「あのね、私、昔は人間だったの。だから今でも好きって気持ちははっきりと覚えてる。アカナメさんやクチメちゃんは生まれた時から妖怪だから、なかなか気がつかないかもしれないけど、好きって気持ちは妖怪にだってきっとあると思う」
サキが人間だったとは知らなかった。天邪鬼の姉弟がここへ引っ越してきたのはつい最近だ。良太は無愛想で無口な男だが、サキは人付き合いがいい。いつもおかずを大量に作ってはアパート中に配ったりする。妖怪って奴は干渉を嫌うし、仲間同士でも喰うか喰われるかの関係が多々ある。人間に交じってくらしていてもそういう性質は変わらないものだが、サキの人の良さは元々が人間だったと聞けば納得がいく。
「人間だったんだ。じゃあ良太も?」
サキはうふふと笑った。
「そうよ。私達本当に姉弟だったの。でも……悪い事をして人じゃなくなったの」
「へえ」
「だから私はわりと人間が好きよ。人に交じって暮らしてるもの好き。こんな容姿だから苦労するけどね」
サキはまたうふふと笑った。
「私には良太がいるから寂しくはないわ。アカナメさんだってご両親や弟妹がすぐ側にいてくれるでしょ? でもクチメちゃんは一人ぼっちじゃない?」
「まあ、そうだけど。でも普通はそういうもんだろ? おいらが一族で暮らすのはそういう習性だからだ。サキも良太とは姉弟だからだ。クチメが一人なのはしょうがない。二口女に生まれたんだから。妖怪ってやつはそういうもんだろう?」
「でも人間に交じって暮らして、人間に近くなっていくような気がしない? 人間が猿から進化したように、妖怪だって進化するわ。いつまでも人を驚かしているような存在じゃないでしょ? あなただって古い家の垢を舐めてたのに、今じゃ人間界で青年実業家じゃない。小豆洗いさんだって、川姫だって、人間のように商売して成功してる。みんな人間界に順応して生きてる。だから心だって人間に近くなるわ。寂しいとか、好きだとかいう感情を持っても不思議じゃないでしょ?」
「まあ、言いたいことは分かるけど……」
「クチメちゃん、人間になりたいなんてよく言ってるから気をつけてあげた方がいいわ。よくない妖怪もいるしね。彼女、妖怪にしては純粋だからね」
「うん、分かったよ」
これ以上、サキの言葉を聞きたくなくておいらは話を打ち切ることにした。
サキにもらった魚を持って自分の部屋に入った。
暖かい気持ちやら、純粋やら、好きだとかいう言葉に何やらからだがこそばゆいからだ。妖怪なんだぜ。いくら人間界に住み着いていても、所詮は闇の世界の生き物だ。
「闇の世界」この言葉も雑誌で見て覚えただけだ。何の事やら意味不明だが、人間はおいら達妖怪を「闇の世界の住人」と呼ぶらしい。
サキが言うのも理解はできる。けど、やっぱりサキは人間だったからこそだ。
妖怪に生まれついたおいらとは違う。
妖怪に日の光は似合わない。人間らしく振る舞っていても人間じゃねえ。クチメのように人間になりたいとも思わない。親、兄弟は大事だが、同じ種族だから一緒にいるだけだ。そういう習性なだけだ。好きだとか、嬉しいだとか、寂しいだとか、よく分からない。
おいらが頭を振った所で、
「おや、お帰り」
と台所にいた母親がこっちを見た。背中に背負われているチビがきゃっきゃと笑った。
こいつはいつになったら大人になるのかな。
「サキに魚をもらったよ」
「おやまあ、嬉しいね」
母親は本当に嬉しそうに両手で皿を受け取った。
「サキちゃん、良い娘だね」
「不細工だけどよ」
「そんな事言っちゃかわいそうよ!」
「だって不細工じゃねえか!」
「でも良太はいい男じゃない。俳優になればいいのに」
「そう言えば良太はこの間もの凄い美人と歩いていたぜ」
「美人と言えば今日引っ越してきた美人も……」
「あれは駄目だ。たちが悪い」
「バブー」
暇そうに新聞を読んでいた親父と弟達がいっせいにしゃべりだした。
ああ、もう。
そこへ妹が帰ってきた。妹は家業の清掃業を嫌っていて、一人だけ別の仕事をしている。
ちゃらちゃらした人間の女に化けて、スナックとやらに勤めている。
「お兄ちゃん。そこでクチメに会ったけど、何か様子が変だったわよ。あの娘、最近食べてないみたいよ。もう駄目かもね」
「な、何!」
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