二口女の恋 6
「さ……」
猿の頭の上で茶色いものが湯気をたてている。
俗に言う猿の脳みそって奴だ。
「うげ」
と言いながら誰かが走って行ってしまった。
スタッフ達はあたしをじっと見ている。
「どう? 食べられる?」
猿の脳みそはいい匂いがしていた。きっとおいしく調理されているんだろう。
「食べられますよ」
あたしがスプーンで脳みそをすくって食べると、また何人かが口を押さえた。
「やるじゃない。クチメちゃん。おいしい?」
篠原さんは楽しそうに笑った。
「ええ、おいしいですよ。まじで」
「その調子でどんどん行こう!」
そして運ばれてきたのは大きな蛙だった。食用蛙だろう。綺麗に焼かれた肉が開いた腹に盛られている。ぬめっとした蛙の皮膚とどろっとした目がちょっとばかし懐かしい。
昔は田圃でよく蛙を捕まえたからなぁ。
あたしが肉を箸でつまんで口に入れると、マネージャーが「おえっ」と喉を鳴らした。 篠原さんも、
「わ、すごいね。君、蛙も平気なんだ」
と言った。食べさせておいてよく言うよね。
蛙をお代わりして、サソリの唐揚げと芋虫の炒め物、スズメの丸焼きが終わった所で、篠原さんが、
「休憩にしようか」
と言った。広間内にはほっとした空気が流れた。
スタッフはあたしを見てひそひそと話をしている。
あたしがトイレに向かおうと立ち上がって歩き出すと、大慌てで避けられた。
何よ、感じ悪い。いつもは休憩になったら飛んできて、注意事項を言うマネージャーも何故だか近寄ってこない。
「う~ん、久しぶりに食べたなぁ。でもあんな調理してあったらぜんぜんおいしい」
なにせ生で喰ってたくらいだもんね。
昔の暮らしを思い出すからあんまり食べたくはないけど、仕事だからしょうがない。
がんばらなくちゃ。と思ったら。
カツンカツンと二人分の靴音がして誰かが駆け込んできた。
ざーっと手を洗う音がして、化粧でも直しているんだろう。
「見た? 猿の脳みそ食べてたよ」
「信じられないよね。普通、蛙、喰う? 蛙よ」
「気持ち悪い~、あたしもうしばらく何にも食べられないよ。そんなにしてまで大食いギャルの地位を守りたいのかしらね」
「たいした芸でもないのにね。大食いなんて」
「結構、次の喰いドルが出てきてるしね。クチメはもう終わりでしょ」
「次、何を喰わされるか知ってる?」
「何?」
「ゴキブリ」
「げ、まじ? 篠原さんもむごいよね」
「見ない方がいいよ。絶対、吐く」
この二人がトイレから出て行くまであたしは個室で息を殺していた。
何食べたって平気。それはあたしが妖怪だから。
何でも食べないと、選り好みなんかしてたら死んじゃうもの。食べる妖怪だもの。
見せ物になるのも平気。
食べられるなら何でもした。
見せ物小屋にいる時から、土下座でも、土に投げられた物でも喜んで喰ったさ。
でもこんな平和な世の中で、侍も物乞いもいなくなった現代で、こんな仕打ちされてるのあたしくらいじゃねえ?
妖怪ですが何か? って時代にまだ笑い物にされるなんてあたしくらい?
でも断ればもう次から仕事はない。仕事がなければお金をもらえないから食べる物が買えなくて飢える。
あたし、なんで二口女なんだろう。
トイレの鏡に映った顔は若い人間の女の顔だった。メイクも髪の毛も衣装も人一倍気を遣っている。人間らしく、人間らしく見えるように。
人間なのに、人間らしくない化け物みたいな芸能人より、あたしの方が人間らしい。
けどあたしは二口女だ。
食べなけりゃ飢えるだけだ。
人間だったらよかったのに。
もう何年も何十年もそう思い続けて生きてきた。
でも二百年たってもあたしは二口女のままだ。
人間に馬鹿にされて、見せ物にされて、笑い物にされて、ずっとずっとこうやって生きていくのだろうか。同じ妖怪でも特性を活かして出世してるのもいるのに。人間と結婚した妖怪もいるのに。どうしてあたしだけ。
ぴしっと音がして鏡にひびが入ってしまった。ちゃちな妖力でもあんまり思いつめると鏡くらいは割れるようだ。
こんな鏡を割ってうさを晴らすくらいしか出来ないなんてあたし、みじめだ。
またぴしっと鏡が裂ける音がした。
「おいおい、加減しておくれ。こんな場所でもわしの住処なんじゃよ」
「あ? ああ、ごめん。ガミさん」
あたしは顔をあげてハンカチで目の縁を慌ててふいた。化粧がとれてきっとパンダみたいになってるに違いないからだ。
歪んだ鏡の中に老人の顔が見えた。
ガミさんは鏡の妖怪だ。結構な年だけれどまだ付喪神にはなれない、半端なおっさんだ。雲外鏡や照魔鏡、照妖鏡なんかには口もきいてもらえない下っ端で、あたしにさえ割れるんだから、ほとんどただの鏡だ。学校や古い会社の女子トイレの鏡を行ったり来たりしてるスケベ鏡だ。
「どうしたね? また人間にいじめられたのか?」
「違う、そんなんじゃないよ」
「人間なんかに交じって暮らすのは何かと気苦労が多いじゃろう?」
「そうでもないよ。あたしタレントだよ。知ってる? テレビに出てるの」
「ほう、テレビか」
ガミさんは白いあごひげをなでながらあたしを見た。
「人間になったのかね?」
とガミさんが言った。
「人間になりたいと言っておっただろう? 満願成就で、人間になったのかね?」
「……ううん、違うよ。人間の格好をしてるだけよ」
「そうか……わしはまた人間になったのかと……手長足長のようになぁ」
ガミさんはそう言ってうんうんとうなずいた。
「ガミさん!」
あたしは曇った鏡に飛びついた。今、ガミさんは何て言った?
「手長足長が……人間になったって言ったの?」
「あ? さあ、そんな事言ったかの」
ガミさんは慌てたようにあたしに背中を向けた。
「ガミさん! 人間になる方法を知ってるの?」
「さあ、わしは知らん」
「手長足長は知ってるのね?」
「さあ……」
ガミさんは白髪頭をぼりぼりとかきながら、困った顔であたしを見た。
廊下の方からマネージャーがあたしを呼ぶ声が聞こえる。
でもあたしは鏡の中に手を突っ込んで、ガミさんのぼろぼろの着物をつかんだ。
逃がすわけにはいかない。鏡の妖怪を捕まえるのはなかなか難しいからだ。ひょいひょいと鏡の中に姿を隠してしまって逃げるのが上手だ。
「おいおい、乱暴はいかんぞ」
「教えてよ! どうやったら人間になれるの!」
「わしゃ、知らん!」
「嘘! 何か知ってるんでしょ?」
ガミさんはしばらくじたばたしていたが、あたしも必死だった。今にも破れてしまいそうなガミさんの古い着物がみしっと裂けたところで、
「本当に知らんのじゃ! 手長足長がそんな事を言っておったからな、お前さんも……と思っただけじゃ」
とガミさんはしかめっ面でぼそぼそっと言った。
「本当?」
「ああ、そうじゃ。わしはもう行くぞ。その手を放しておくれ」
「ガミさん! だったら手長足長に聞いたら教えてくれるわよね? あたしあんまり面識はないんだけど」
「さあなあ」
ガミさんは首をかしげた。
「いいわ。直接聞いてみる! ガミさん、ありがとう!」
あたしがようやく着物を放すとガミさんはそそくさと鏡の中に消えてしまった。
信じられない! 本当に人間になる方法があるなんて! 何としても手長足長に会って教えてもらわなくちゃ!
あたしのテンションは一気に最高潮まで達した。うきうきと心が弾んで、身体が震えるくらい嬉しかった。本当に手が震えて化粧直しがちゃんと出来なかったくらいだ。
人間になれる! 人間になれる! 妖怪じゃなくなるんだ!
あたしはまだ妖怪なのに、たった今生まれ変わって新しい自分になったような気さえしていた。
だから引き続き出されたゴキブリの揚げ物もとても香ばしくしゃりしゃりと頂いた。
けれどよく考えてみれば人間になれるのだから、これからは大食いなんかしなくていい身体なんだし、ここはひとつ「気持ちわる~い。無理ですぅ」と言うべきだった。
篠原さんは始終面白そうな顔をしていたけど、内心はやっぱりひいたんじゃないかな。 でもあたしの心は篠原さんよりも大食いのことよりも、早く手長足長に会いに行きたいという気持ちでいっぱいだったから、大皿に山盛りのゴキブリの揚げ物をあっという間に平らげてしまったのだ。ゲップ。
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