二口女の恋 5
今日は必要以上にきばって化粧をした。洋服もこのあたしが食費を削って買った新しい服だし、昨日拝み倒して「ネイルサロン リバープリンセス」の川姫にただで新作のネイルもやってもらった。川姫はあたしの知っている妖怪の中で一番お洒落だ。いつも綺麗に着飾っていて、素顔や寝癖なんか見た事がない。ただ彼女の素性は悲しいものだった。
古い古い昔、川姫は人間だった。彼女は人間が川に架けた橋の犠牲者だった。貧しい村から連れてこられ、橋桁に入れられた人柱だった。苦しい助けてと瓦礫をひっかいてひっかいてしたからまず最初に腐っていったのは指先だったと聞いた。彼女は無念が残って妖怪化してしまったが、人間への恨みよりもぼろぼろの自分を綺麗にする事が先だったと言う。妖怪が闇の物として恐れられていた時代には川をふらふらする人間を引きずり込んだりもしていたようだが、現代では綺麗に着飾るのが何よりの楽しみらしい。趣味が高じてネイルサロンを経営するようになって人間からはがっぽり高い代金をとるけど、妖怪仲間には比較的安くしてくれる。
人間に変化するときに、頭の先から足の先まで綺麗に変化できるんじゃないか? と思うでしょう? それはよっぽど妖力がないと無理なのだ。人間の姿を維持するだけでも結構疲れる。手長足長もあたし程度の妖力しか持っていないはずなのに、綺麗なモデルに化けてしかも人間と結婚したなんてどういう手を使ったんだろう?
篠原さんとの約束は夕方の六時だったから、あたしは朝から部屋の中にある食料を喰いまくった。限界まで食べていいと言われたけれどやっぱり正体を現すわけにはいかないからだ。部屋の中にある食料とは言っても、あれば我慢出来なくて食べてしまうからたいした物は残っていなかった。
昨日アカナメがくれたミカンが十個と鞄の中に散らばっているアメ、冷凍してある食パンの耳とか賞味期限の切れたカップラーメンが三個。それをペットボトルの水で流し込んでいると、ぼろいアパートの薄い壁の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。
声はアカナメで親兄弟に怒鳴っているみたいだった。
「金は稼いでるんだから別々に暮らそうって言ってんだよ!」
このセリフは週一で聞こえる。
狭い部屋でぎゅうぎゅうに暮らすのが好きなのかと思っていたら、アカナメは違うらしい。彼は一人で暮らしたがっていた。けれど両親と二人の弟、妹は反対していた。
山奥から人間界に出てきて清掃業で成功はしてるものの、やはりまだ家族と離れるのは心細いらしい。アカナメは一族を率いているだけあって自立心が旺盛なのだろう。
なんだかんだと頼ってくる一族達の面倒を見てがんばっているが、最近は一人暮らしをしたがっていた。きっとすぐに寂しくなるよって言ってやった事があるけど、
「六畳一間に七人だぜ。仕事から帰ってきたら顔つき合わせて! しかもおじさんやおばさんまで毎日やってきては騒いでる。冗談じゃない」
と息巻いていた。
確かにたまには一人になりたいだろうけど、毎日騒がしくて楽しそうだけどね。
「そこまで言うんだったらあんたが出て行けばいいじゃん。よそに部屋を借りたら?」
と言ったら、黙ってしまったので本気かどうかは解らないけどね。
「やっべ。もう行かないと!」
たらふく水を飲んで、あたしは立ち上がった。
鏡で化粧を確認してから部屋を出て鍵をかけていると、
「もう、いい!」
と言いながらアカナメが出てきた。
「アカナメ。まぁた喧嘩してんの」
「クチメ……出かけるのか?」
アカナメはあたしをじろっと見た。
「うん。ご飯食べに行くんだぁ」
「外食って事は誰かのおごりか」
「そう、篠原さんに食事に誘われたんだぁ」
アカナメは眉間にしわをよせてあたしを見た。
「あの男はやめとけって言っただろ」
「ご飯食べに行くくらいいーじゃん。じゃあね」
まだ何か言いたそうなアカナメを残して、あたしはさっさと篠原さんとの約束の場所へと向かった。
「どうぞ」
と椅子を引かれてあたしは恐縮しながら座った。
篠原さんはあたしの横に立っていた。
あたしの前にある丸いテーブルは綺麗なレースのテーブルクロスがかかっていて、ナイフとフォークの入ったカゴと空のグラスが置かれていた。
「どんどんくるからどんどん食べて」
と篠原さんが言ってるうちに本当に大きなワゴンに大皿がいくつも乗せられてやってきた。
「あのー」
「さあ、食べて」
篠原さんはあたしを見てにこっと笑った。
「は……い」
ホテルのレストランで食事かと思っていたら、案内されたのは大広間だった。そう、結婚式を行うような大広間だ。そこに丸いテーブルと椅子。そして、そこに座ったあたしを取り囲むようなテレビ局のスタッフ。カメラが三台回っていて、もちろんマネージャーやメイクさんもいるし、所属している事務所の社長まで来ている。
「ほら、どうしたのクチメちゃん」
あたしの前にいろんな種類のにぎり寿司が百貫とピザが十枚置かれた。
向こうの壁際では肉を焼いている音がしていて、いい匂いが漂ってくる。
「冷めちゃうよ。どうしたの?」
「あの……これ、撮影ですか?」
「あれ? 聞いてなかったの? そうだよ。大食いの選手権の特番前にクチメちゃんの限界に挑むっていう企画。だから、いくらでも食べていいから。視聴者がびっくりするくらい食べてよ。期待してるから」
篠原さんはぽんとあたしの肩を叩いた。
「はあ」
なんだ。ちょっとばかり心が沈んでしまった。デートかと思って、結構楽しみにして来たんだけどな。マネージャーもどうして仕事だって言ってくれなかったんだろう。
それでもしょうがないから、あたしはフォークを手にした。
食べろって言うなら食べますよ。こうなったら、食べてやる。
「これ、めっちゃおいしいですよぉ」
と誰にともなく言いながら、仕事目線で皿を空にしていく。
寿司を百貫とピザはあっという間に終わった。でももうこれくらいじゃ、テレビ局の人も驚かなくなってる。
続いてハンバーグの山盛りをレモンシャーベットで片づける。
土鍋一杯のグラタンも、ぎゅうぎゅうに押しつけて固くなったご飯にかけた大盛りカレーも終えてまだ余力はあったけど、どこかの焼き肉屋のメニューを端から全部食べ終わる頃にはちょっとばかり眠たくなってきていた。少し眠ってまた食べたい。
そもそも二口女という妖怪は食べるか寝るか、だから。
あたしが大あくびをすると篠原さんが、
「さすがだね~気持ちいいくらいよく食べたねぇ」
と言ってきた。
スタッフの中には腹と口を押さえてる人がいる。
「どう? もう限界?」
「え……ええ」
どうしよ。さすがにやめといた方がいいかな。あたしが言いよどんでいると、
「ね、クチメちゃん。まだ食べられるんだったら、変わった物を食べてみない?」
と篠原さんが言った。
「変わった物?」
「そう……例えば」
そこへがらがらと大皿が乗ったワゴンがやって来た。皿には銀のふたがされてて中身は見えない。
「こんなものはどう? 食べた事ないでしょ?」
篠原さんが皿のふたを取るとそこにあったのは、猿だった。
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