二口女の恋 4
「クチメちゃん、何か元気ないんじゃない?」
猫又の珠子さんがカウンターの上で行儀よく座っていた。
珠子さんは人間にも変化出来るらしいけど、たいていいつも綺麗な真っ白い毛の猫の姿だった。彼女は普通の猫から変化した猫又らしいが、妖力はかなり強い。
妖怪歴はあたしよりも短いけど、なにぶん妖力の強さがそのまま力関係を作るからあたしなんかは下手に出るしかない。
ここは鎌鼬の三兄妹がやっているお店で、人間風に言うと酒場だ。
鎌鼬の長男で店のマスターは優しそうな中年男に化けている。二番目は霧子さんといってゴージャスグラマーな女性で、三番目は黎君といってイケメンな男の子だ。
何も知らない人間の客もやってくるし、妖怪の客もやってくる。あたしはあまり妖力がないから上手に化けた妖怪を見破るのが得意ではない。人間に友達はいないけど、妖怪にも友達はいない。二口女は縄張りが重なると死活問題なのだ。だから仲間からはなるべく離れて暮らさなければならない。
でも時々寂しくなるから、ここへきてほっとしてしまう。
この酒場は人間との生活の中で疲れたり、寂しくなったりした妖怪達の癒しの場だ。鎌鼬のマスターは優しくて、どんなちゃちな妖怪でも仲間のように接してくれる。そんなささやかな事が嬉しくて、寂しい妖怪達がたくさんやってくる。嫌われ者の小雨坊さえ時々見かける。
「腹が減ったのかい?」
とカウンターの中からマスターが言ったので、珠子さんがにゃははと笑った。
「クチメちゃんだって空腹以外の悩みくらいあるわよね」
「え? ええ、まあ」
あたしはストローの袋を縛ったり、ちぎったりした。もちろんジュースはとっくに飲み干して氷さえない。
「恋でもしてるんじゃないの? クチメ、二百年も生きてるけど人間の見た目は二十代だもんね」
ちょっと意地悪い声は霧子さんだ。鎌鼬の二番目だけあって言葉でも相手を切り裂く。
「え? クチメちゃんが? 誰が好きなの?」
珠子さんが頭を上げた。
「誰って……珠子さんっの彼氏って……あの人……人っていうか……ですよね」
「あ?」
珠子さんはとぼける風に右前足で顔を洗った。
「何? あんた珠ちゃんの彼氏、狙ってんの?」
霧子さんの言葉にあたしは飛び上がった。
「ま、まさか、そんな恐ろしい!」
「そうよね~~~何たって鬼だもんね」
そう、猫又の珠子さんの恋人は鬼だった。あたしなんか恐ろしくて視線も合わせられないほどの強い妖力を持った鬼だった。あたしは鬼になった姿を見た事はないけれど、黄金の鬼だと聞いている。日本の妖怪の中で最高に強いとも言われていた。その鬼も時々ここで酒を飲んでいるのを見かける。店に入る前から強烈な妖気を感じるから、ちゃちい小物はそんな日は店に顔を出さない。
「そんな恐ろしくないよ。それに彼氏でもないし」
珠子さんはのんきに言うけど、珠子さんの彼氏に睨まれたらおしっこちびってしまいそうになるほど恐ろしい。それに人でも妖怪でも何でも喰らうという噂だし。
「珠子さんの彼氏、まあ、妖怪仲間だけれど、言うなれば、異種じゃないですかぁ。その……でもうまくいってますよね?」
「異種?」
珠子さんは目をぱちっとしてあたしをみたけど、意味が分かっていないようだった。
「つまり、同じ妖怪でも猫又同士じゃなくて、異種での恋愛ってことでしょ? うまくいってるんじゃない?」
と言ったのは霧子さんだった。そしてさすがは人間界が長いだけある。
「あんた人間に恋したわね?」
と霧子さんがあたしにずばりと言った。
「人間?」
珠子さんは眠そうな顔であたしを見た。
「や……人間っていうかぁ。まあ、そうなのかな」
えへへと笑ったあたしに霧子さんが鋭く突っ込んできた。
「テレビに出たりして人間と深くつき合ってるみたいだけど、大丈夫なの? あんた、妖怪の中でも特異体質じゃない」
「そこなんですよね。彼、あたしがどれだけ食べられるか見たいって言うんです。どうしたらいいでしょう? 限界まで食べてもいいって言うんですけど」
勢いこんでカウンターに身体を乗り出したあたしに、霧子さんはおろか珠子さんもそばで聞き耳をたてていたマスターも首を大きく振った。
「馬鹿ね。人間はしょせん人間。人間が限界まで喰うって言ったところでたかがしれてるわよ。妖怪の本気を見せてどーすんの。嫌われるどころの話じゃないわよ。下手したら見せ物よ。あんた、昔、十分に痛い目にあってるんでしょ? いくら好きでも人間の言うことなんか真に受けちゃだめよ」
「そうですよね……」
「どんな人なの?」
珠子さんが冷たくなったミルクをぺちゃぺちゃと舐めた。
十人くらい座れるカウンターの席に座っているのはあたしと珠子さん、そして中に霧子さんとマスター。後ろのテーブル席の下では、住み着く家が見つからない座敷童子が遊んでいた。座敷童子が住み着いた家は運が開けるというから、うちに来ないかと誘った事がある。もちろんやんわりと断られた。座敷童子と転げ回って遊んでいるのが蔵ぼっこだ。
小さい小さい十五センチくらいの妖怪で、集団で家に住み着く。ぼっこに住み着かれても運は開かないらしいので、集団で騒ぐ迷惑なだけの妖怪だ。
カウンターの上を走ってきて、白猫の珠子さんの爪にひっかけられないで通り抜けたら成功! みたいな遊びをしている。珠子さんは時々ぼっこを捕まえては口にくわえて振り回して遊んでいる。
「お世話になってるテレビ局のディレクターさんです。凄く優しくていい人なんです」
「ふうん。でも人間って寿命が短いじゃない。ずっと一緒にはいられないよ」
「まあ、そうですけど……」
「恋だの愛だのくらいならいいんじゃない? 正体だけ気をつけてれば。結婚もありよ。手長足長がさぁ、あいつうまくやったわよね。あんな綺麗な女に化けて、金持ちの男騙して結婚したじゃない。相手の人間、実業家だってね。うらやましい」
霧子さんが本気でうらやましそうな声を出してそう言った。
「え? もしかして、あの長い手足が売りのモデルさんの事ですか!?」
あたしはびっくりしてカウンターをばんっとたたいた。それに驚いたぼっこがキャッと言って逃げて行った。
手長足長はやたらに手が長く足が短い妖怪を、やたらに足が長く手が短い妖怪が肩車している、二体で一匹の妖怪だ。とりたてて言うほどの取り柄はないと思っていたけど、変化が上手かったのか。あたしもテレビで見た事があるほどの有名なモデル。IT企業の社長と結婚したのはつい最近だ。結婚式にかけた費用は何億円とか……
「全然気がつかなかったっすよ。あたし、テレビ局で見た事あるのに」
「完璧よね。でも努力はしてるわよ。人間の女をじっくり研究して、何が人間の女として成功なのか研究した結果よ。たいした妖力もない奴が四六時中人間に変化したままなのはつらいと思うわよ。あ、そうそう。小雨坊が披露宴に呼ばれたって自慢してたけど、絶対脅したに違いないわよ。あのケチ、お金いくら包んだのかしら?」
「包んでないらしいよ。空の祝儀袋を持って行ったみたいよ。でもそんなの空だったなんて後から請求も出来ないよね」
珠子さんが尻尾をかじりながら言った。カウンターの奥でグラスを磨いていたマスターがぷっと吹きだした。
「だから正体さえばれなきゃ結婚もOK。異種族の恋愛がどーのとか言ってるのが古いのよ、クチメ」
「はあ」
あたしが古いんだろうか? 人間を騙して結婚まで出来るものなんだろうか?
あたしは妖怪のままでいいんだろうか? 妖怪のままでも人間と友達になりたいと恋人になりたいと思ってもいいんだろうか?
人間になりたかった。ずっとずっとひとりぼっちだったから。
人間になれば飢えないでいられると思っていたし、例え飢えても誰かと寄り添っていられたらそんなに飢えも苦しくないんじゃないかな、と思えたからだ。
昔話の二口女は飯が食いたかったから人間の男に嫁入りしたわけじゃない。寂しかったからだ。すきま風の入り込むみすぼらしい小屋でも誰かと寄り添って眠りたかったからだ。
ひとりぼっちで眠るのはつらくてとても寂しい。山の中の木のうろやさびれたお堂の軒下ではなく、屋根のあるアパートに住んで上下揃った布団の中で眠るのは贅沢かもしれない。けれど人間界を知れば知るほどにもっともっとあたしは暖かく幸せになりたい。
あたしは人間になりたい。
「人間になりたいなぁ」
小さい声でつぶやいてみた。
珠子さんはぴくって感じで急いであたしを見た。その動きに驚いたぼっこ達がきゃっと叫んでカウンターの上で右往左往している。同士討ちで頭をぶつけ合って倒れた奴もいる。
霧子さんもマスターも動きが止まってしまった。
「人間になりたいの?」
あたしは珠子さんを見てうなずいた。
「え、ええ、だって、あんまり食べなくていいし。そしたら友達もいっぱい出来るし」
「そっか」
珠子さんは左前足を丁寧に舐めてその前足で顔を洗った。
その時、カランとドアベルの音がしてお客さんが入ってきたので霧子さんは、
「いらっしゃ~い」
と愛想良く笑ってカウンターの中から出て行った。
マスターもあたし達に背を向けてお客さんに酒の支度を始めたので、あたしはため息をつきつつ珠子さんに言った。
「人間になれる方法、ありませんかねぇ」
「二百年も生きてるんでしょ? その間に何か聞いたりしなかったの?」
人間のお客さんの手前、珠子さんはニャアと鳴いた。
「昔は善行を積んだら人間になれるとかって聞きましたけど、成功したって話は聞かないですね」
「善行……妖怪に善行しろって方が無理よね。姿形は似せられても人間とは価値観が違うんだから」
そう言って珠子さんはにっと笑った。珠子さんのブルーの瞳の中で金色の部分がにゅっと細くなった。
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