二口女の恋 3

「かんべんしろや。限度ってもんがあるやろうが!」

 関西弁で怒鳴られてあたしはびくっとなった。スプーンを握りしめた指先が白くなるほど力が入っている。

 あたしに大迫力で怒鳴ったのは超有名なお笑い芸人だった。面白くて人気がありテレビに出ていない日はないくらい大物だ。

 あたしが調子に乗りすぎたのかもしれない。

 今日のロケはあたしを怒鳴った大物芸人が司会をやっている

 でもいくらでも食べていいという設定だったはず。撮影はストップして、出演者やスタッフもあたしと大物芸人を見比べている。テレビの中ではやたらに面白いのに、実際にはとてつもなく意地が悪い人だった。

 しかしそんなことが世の常だって事は分かっている。

 人間界も妖怪界もそう代わりはなく、力のある者が強いのだ。人間界の方がまだましかな、とあたしは思った。妖怪界じゃ妖力の強い者に睨まれたら、消滅して終わりだもの。

 いくら睨まれても人間だから、たいした事はない。

「クチメちゃん、謝りなさい」

 とマネージャーが小声で言ったので、あたしは、

「すみません」

 と小さく頭を下げた。

「なんやそれ、謝ってるつもりか? なめとんか?」

 と大物芸人が言った。

 あたしは気が小さい。当たり障りなく、穏やかに人間界で生きていきたい。自分が妖怪だって知られたら、今の世の中信じない人の方が多いかもそれないけど、やっぱり捕まって見せ物にされるだろう。

 何十年か昔、まだ着物とちょんまげの時代だった。東京は江戸と呼ばれていた頃、あたしは見せ物小屋にいた。二口女と書かれた看板とおどろおどろしい絵で、小屋は繁盛していた。あたしは何でもいくらでも食べる化け物女として舞台に立たされていた。

 食べ物の少ない時代だ。一座の親方は酷い人間で、一座の仲間に満足する食べ物を与えてくれなかった。みんな飢えていた時代に見せ物でもあたしに普通の食物を与えるはずがなかった。犬や猫や蛙や虫はまだましだった。馬のエサも、草も、土も石も。

 親方が墓場から盗んできた骨を食べた事もある。嫌がれば殴られ、蹴られ、折檻される。 真冬に真っ裸で吊されて、水をかけられるんだから。

 現代の日本、ぬるくなったなぁ。

だから大物芸人を喰ってやろうなんて気はさらさらなかったし、調理された食事に慣れきったあたしが生で食べるのは人間並みに刺身くらいなもんだ。おとなしく嵐が過ぎるのを待つしかなかった。こんな場面はどこの撮影現場でも見られる光景だったし。

 現場はクイズ形式で勝ち抜けたグループがごちそうを食べられる事になっていた。あたしは頭の弱そうなアイドル達と同じグループだった。彼女達はとんちんかんな答えをして、アホとか馬鹿とかを売りにしていた。だから正解率は低く、ごちそうを食べられない。

 収録の間も鳴り続ける腹の虫にあたしは耐えていた。誰が何を答えるかはすでに決まっているから、あたしが分かっても余計な口を挟むわけにもいかない。そして、ようやくアイドルが正解したのであたしはごちそうにありついた。ありついた瞬間、二皿を両手に持ち、ざらっと喰ってしまったのがまずかったのだろうか? 最初は笑って、「いい画が撮れた」と言っていた大物芸人がキレタのは三回目だった。あたしが皿をからっぽにしてしまうので、その度に収録が中断されるのが気に障ったらしい。

「しつこいんや!」

 少し食べたので、余計にお腹がすいた。腹の虫はグーグーと鳴いている。

 大物芸人はあたしの前まで来て延々とうるさくわめき立てた。スタジオの隅にアカナメがいるのが視界に入った。あたしも垢を舐めて満足出来る妖怪だったらよかったのに。

「まあ、まあそのくらいで。クチメちゃんも反省してるようだし」

 と助けてくれたのは篠原さんだった。

「篠原さ~ん」

 と大物芸人は口を歪めて笑った。

「そやけど、こいつ」

 あごであたしを指した大物芸人はあたしを何か汚い物でも見るような目であたしを見た。でも平気、そんな事にも慣れてる。貧しい日本のさらに底辺で生きてきた妖怪根性を見損なうな。

 あたしずっとうつむいていた。怒られているあたしの後ろでアイドル達が、

「どうして怒られてるの?」

「さあ、分かんない」

 と話し合っていた。どうやら馬鹿は本物らしい。

 篠原さんが間に入ったので大物芸人は気をそがれたらしく、

「ちょっと、休憩しょ」

 と言った。ほっとした空気がスタジオに流れた。

 あたしは大物芸人にもう一度、

「すみませんでした!」

 と大きな声で言ってから篠原さんの後を追った。

 休憩になりスタジオの空気がほっとなごむともう誰もあたしの事なんか見向きもしないから、あたしは大きく息をしてから篠原さんに声をかけた。

 篠原さんは隅っこの方でタバコを吸っていた。

「すみませんでした」

 灰皿を挟んであたしが篠原さんの前に立つと、彼は優しく笑った。

「気にする事ないよ。大阪の芸人はすぐに怒るけど、忘れるのも早いから」

 あたしは返事に困ってうすら笑いを見せた。

「ところでこの間メールありがとうね。すぐに返事出せなくてごめんね」

「い、いえ。すみません、お忙しいのに」

「おわびに食事でもおごるよ」

 と篠原さんが言ったので、

「いえ、め、滅相もないです!」

 と頭を振ったら、

「滅相もないって……古い言い回しだね」

 と笑われた。

 なんせもう二百年も生きてますから……と思うと汗をかく。

「いいんだ、一度君が限界まで食べるの見たかったから。遠慮しないで本当に満腹になるまで食べてよ」

 と篠原さんは面白そうな顔であたしを見た。

「限界ですか」

「そう、限界」

 あたしの限界は自分でも分からない。なにせ満腹になるまで食べた事がないからだ。この飽食の時代に満腹になるまで食べられないとは我ながら情けない。貧乏が悪いんだ。

 だけどいくらでも食べていいとなったら、どうしよう、何日でも食べ続けるかもしれない。でも、あんまりがっつく姿を篠原さんに見せたらどんなもんだろうか……などと考えていたあたしの肩をぽんとたたき、

「じゃ、またメールで連絡するよ」

 と言って篠原さんは去って行った。

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