第1話*悪役令嬢の現実

「ーーうわああああっ!」


ガバッと飛び起きると、そこはベッドのうえだった。


「な、何だ、夢か…」


たった今、階段から転げ落ちそうになったのだ。


それにしても、こんな変な夢を見るなんて…私は相当なまでに疲れているらしい。


先ほどの出来事が夢だったことにホッと胸をなで下ろしていたら、喉が乾いていることに気づいた。


時間的にもまだ夜中だろうな。


とりあえず、水を飲んで気持ちを落ち着かせたら寝よう。


そう思いながら洗面所へと足を向かわせて鏡を覗き込んだら、

「ーーえっ…?」


私は驚いた。


鏡の中に映っているのは自分の顔…のはずなのだが、自分の顔ではない。


私、まだ夢を見ているのか…?


そう思いながら自分の顔を確認したけれど、そこに映っているのはやはり自分の顔だった。


胸元まである黒髪のストレートロングに雪のような白い肌、二重の大きな目、小さな鼻、小さな紅い唇ーーそれどころか、どこかで見たことがある…と言うか、この顔をよく知っている。


「もしかして…いや、もしかしなくてもスザンナだよね…?


『One Love』に出てくる悪役令嬢のスザンナだよね…?」


えっ、何で?


これは夢なの?


「…いや、違うわ」


さっきの夢は私の前世であった出来事だ。


確か…あの日は寝坊して急いで家を出たのはいいけれど、住んでいたマンションのエレベーターが点検の日で使えなかったから階段を利用した。


寝坊したことに焦っていたせいで足元をよく見ていなかったせいで…そこで記憶がなくなっていると言うことは、私は階段から転げ落ちて死んでしまったのだろう。


そして、どう言う訳なのか彼女に生まれ変わってしまったのだ。


「スザンナって…最後は、どうなったんだっけか?」


私は彼女が迎えた結末を思い出そうとした。


『One Love』は、第一王子・アーロンと平民のヒロイン・エリーゼのラブストーリーだ。


私が亡くなる前日に読んでいた少女漫画で…そうだ、寝坊したのは夜遅くまで漫画を読んでいたせいだったわ。


父を亡くして病弱な母と幼い弟を養うために親戚の伝手を利用して城の使用人として働くことになったエリーゼは王子のアーロンと運命の出会いをしたことから物語が始まった。


両親が決めたわがままな婚約者と王子としての政務と王族としての世間体に追われて疲れていたアーロンは自分のことを初めて1人の人間として見てくれた彼女に惹かれて、エリーゼも本当は寂しがり屋で心優しい彼に思いを寄せるようになり、2人は次第に愛しあう関係になる。


ところが、そんな彼らを邪魔するのがアーロンの婚約者であるスザンナだ。


彼女は公爵家の1人娘で、両親が年齢をとってからできた子供と言うこともあって周りから甘やかされて育った。


両親が決めた婚約者であるアーロンに対しての恋愛感情は全くないうえに王妃の座と言う絶対的に約束されたその未来に強く固執していた。


突然現れたうえに婚約者と恋に落ちたエリーゼを目の敵にして嫌がらせやいじめを行うと言う、所謂“悪役令嬢”と呼ばれるポジションの人間だ。


熱々の紅茶をエリーゼの顔にぶっかけたり、足を出して彼女を盛大に転ばせたうえに取り巻きたちと一緒にバカにしたり、エリーゼを“ダメメイド”と罵って暴言を吐いたり…と、あまりの悪役ぶりに一部の読者からは“ウザンナ”と呼ばれて嫌われているほどだ。


「えーっと、それで最後は…」


私は悪役令嬢・スザンナの末路を振り返った。


嫌がらせやいじめに屈しないエリーゼに腹を立てたスザンナは両親に頼んで彼女をクビにして城から追い出した。


エリーゼが辞めさせられたことを知ったアーロンは親友のジェームスと執事のロバートと協力をして彼女を探し出して、今度こそ離れないこととずっと一緒にいることを約束した。


スザンナはアーロンの部屋に呼び出されて、これまでエリーゼに行ってきた悪事を世間に全てバラすと彼から脅される。


当然のことながらスザンナはそれを恐れて、見逃して欲しいとお願いする。


悪事を全て見逃してもらう代わりとしてアーロンはスザンナに婚約破棄と国外追放を言い渡す…と言う結末だった。


「ちょっと待って、このまま物語の通りに進んだら…婚約破棄からの国外追放なの?」


スザンナの末路を思い出した私はサーッと血の気が引いたのを感じた。


確かに前世では転生ものが流行っていたことは知っているけれど…まさか、自分が転生ものに巻き込まれることになるなんて思ってもみなかった。


「いや、ちょっと待て…落ち着け、落ち着け…」


私は気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした。


「もしかしたら、助かる可能性があるかも知れない」


そもそも物語が始まっているのかどうかもわからないし、場合によっては助かる方法が見つかるかも知れない。


迫りくる結末に怯えるのはまだ早過ぎる、今のうちに解決策を見つけよう。


そう決意した私は大きく首を縦に振ってうなずいた。


 *


結末に備えて解決策を見つけると言う私の決意は、あっと言う間に崩れることになった。


悪役令嬢・スザンナに転生した私を待ち受けていたのは、現実だった。


王国の歴史や語学の授業、淑女としてのマナーレッスン、妻としての心得を学ぶ分刻みの妃教育、休日は城にこもっての8時間以上のダンスレッスン、少しのミスも許されないうえにミスをしたら罵倒されて、ひどい時は鞭でたたかれるーー明らかにパワハラだろう、パワハラで訴えられても文句は言えないぞと心の中で何度も思った。


お茶会は強制参加で、そこで令嬢たちからの嫌味に対して決して言い返さずに笑顔で耐えないといけないーーどんな苦行だ、もはや地獄だろうとお茶会のシステムを疑いたくなった。


そのうえ取り巻きたちは私のことを公爵令嬢、王子の婚約者と言う肩書きでしか判断していないらしく、常に媚びを売っているだけなので友情と言うものはそこに存在していない。


「あんまりだ!」


スザンナに転生したことに気づいて1週間後、その日も分刻みの妃教育とお茶会と言う地獄のスケジュールを終えて部屋に戻った私は脱ぎ捨てたドレスを床にたたきつけると叫んだ。


パワハラのような妃教育に地獄のお茶会、上辺だけの人間関係と言うこの現実に、私は両手で頭を抱えた。


スザンナは10歳の頃に親同士が仲良しだったからと言う理由でアーロンの婚約者になった。


もしかしたら、スザンナは婚約者になった10歳の頃からこの地獄を味わっていたのかも知れない。


「そりゃ、性格や心がいろいろと歪むわな!」


私はスザンナに心の底から同情していた。


幼い頃からこんな地獄を味わって、ロクに遊ばせてもらえないうえに頼りになる大人も友達もいない。


こんな毎日を過ごしていたら性格や心が歪んでおかしくなってしまったのは、当然のことなのかも知れない。


だからスザンナは王妃の座と言う絶対的に約束されたその未来に強く固執していたのだろう。


その未来を手に入れて、自分に地獄を与え続けてきた人たちに復讐をしようと企んでいたのかも知れない。


しかし、絶対的なその未来もエリーゼが現れてアーロンと恋に落ちてしまうと言う最悪な展開を迎えてしまう。


その未来すらも奪われそうになってしまうと言う現実にスザンナは耐えることができなくて、ついに心は壊れてしまった。


そして、ヒロインのエリーゼに嫌がらせやいじめをすると言う行いに繋がってしまったのだろう。


「もしかしなくても、このまま何も報われないまま人生が終わっちゃうの…?」


性格も心も歪まされるだけ歪まされて、約束されたその未来も奪われて…嫌がらせやいじめはいけないことだけれど、それすらも報われないなんてあんまりじゃないか?


このまま婚約破棄からの国外追放なんて、いくら何でもひど過ぎる…と思ったところで、ふと気づいた。


「そう言えば、その後のスザンナの様子は描かれていなかったよね?」


ヒロインをいじめた罪で婚約破棄からの国外追放になったけれど、その後の展開は特になかったと思う。


どこかで野垂れ死にしたとか何者かに襲われて殺されたとか、そんな展開はなかったような気がする。


「そうだ!」


私はポンと手をたたいた。


「どうせヒロインと王子はほっといても勝手にくっつくんだし、私は私でその後の人生を楽しめばいいじゃないか!」


婚約破棄と国外追放になったら妃教育もお茶会も人間関係も全部おさらばだ!


行きたいところを旅して美味しいものを食べて、上辺だけじゃない本当の友情に素敵な恋を見つけるーーこれって、最高じゃないか!?


そう思ったら地獄のこの生活に希望が見えてきた。


「よーし、目指せバラ色の追放ライフ!


旅に友情に恋と、いろいろなことを楽しむぞ!」


エイエイオーと拳をあげた私はだんだんとやる気に満ちていくのがわかった。


追放されるのは今から3年後、それまでにいろいろと準備を進めるぞ!

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