船上にて
「うぷっ…」
初老の男がデッキの手すりに掴まって真っ青になっている。
「なんだジャック。船酔いか」
プラチナブロンドの髪が美しい女に声を掛けられている。
「船なんて片手で数える程しか乗って…おえっ!」
ジャックは盛大に吐き出した。
「やれやれ。酷いようなら医務室に抱えていくぞ」
真っ青な顔のまま、首を横に振る。
「折角の旅行をこんな事で…うぅっ…」
「夫の面倒を見るのが妻だ。生きていれば豪華客船だろうと乗れる」
ここは豪華客船オンディーヌ。周りを見渡すと豪華なドレスやスーツに身を包んだ品のよい客しかいない。ロゼとジャックも例外なく一級品の衣装を身に纏っている。
「ロゼと出会わなければこんな景色を拝む事な…おえぇっ!」
「全く。気分が良くなってから賛辞を聞き入れよう」
ロゼと呼ばれた女は軽々とジャックを抱えて、医務室まで歩いていく。女が初老男をお姫様抱っこする光景は目を引く。ひそひそと呟く客達を無視して、気高くロゼは歩く。
「…恥ずかしい」
「ふん、俗物の声など聞こえんな。真に高貴なる者はこの程度で怯みなどしないのだ」
ロゼは本当に強いなと思いながらジャックは言う。
「本当に申し訳ないのだが…吐きそうだ…下ろすかなりなんなりしてくれ…ドレスを汚した…うぷっ…」
口を押さえる。先程より顔色が悪い。
「走るぞ。耐えろよ」
軽やかに黒のドレスを翻しながら駆ける。その姿に人々は感嘆の声を漏らす。
―
「奥様…ですよね?」
「愛人に見えでもしたか」
「いやその…随分と年齢差がおありで…」
ロゼは鋭く睨み付ける。
「一流の客を乗せた豪華客船の船員が随分と俗っぽいな?しかも、貴様は船医だ。我が夫を早く診ろ。無能な船医ならクレーム入れるぞ」
船医は慌ててジャックを診る。この船に乗る客はVIPばかり。それにクレームを入れられたとなったら即クビだ。真剣に診察する。
「ただの船酔いですのでご安心を」
「さっさと処置しろ」
圧倒的なロゼに船医は冷や汗をかきながら処置をした。
―
「どうだ?」
「気分が良い。…多少はだが」
「今度は飛行機にしよう。乗り物酔いだったなら良い医者を雇わねばな。勉強になった」
ジャックはロゼの耳元に顔を寄せて囁く。
「どうして魔術を使わない?」
ロゼは囁き返す。
「公で使う力じゃない。そもそも貴様だって本当に存在する力だとは思っていなかっただろうに」
それはそうだと頷いた。
「だが、とっておきの魔術…いや、魔法をかけてやろう」
ロゼはジャックに唇に熱い口づけをした。
「んななななっ!?」
ジャックは真っ赤になっている。
「夫婦だというのにウブだな小僧」
「結婚式で…するものだろう…それは…」
ロゼは嘲りを含んだ溜め息をつく。
「結婚式は私の理想の至高の舞台を整えてからだと言っただろう。その前にハネムーンだ」
「よく分からない…」
ロゼはジャックの手の甲をつねる。
「旅行は若いうちがいい。体力的にな。だが、結婚式は二人だけ。我々には親戚も友人もいない。故に二人で作り上げる至高の舞台にしたい。一生ものの思い出を脳に刻み付けたいのだ」
そう言われたら分かるとジャックは納得した。
「愛しているぞ、ジャック」
再び口づけをされる。少女の頃と違う大人の色香を含んだ薔薇の香りに脳が蕩ける。
「…ん?気分が良くなったぞ?」
「魔法だよ。純粋なる愛。よく効くだろう?」
ジャックは微笑んだ。
「あぁ、よく効いた。愛している、ロゼ」
ジャックも口づけをする。満足して離れた二人は笑い合う。
「よし、次は初夜だ」
ハッキリととんでもない事を口走るロゼに面食らうジャック。
「も、もっと…だ…だ…段階を踏めー!」
ジャックの叫びは汽笛でかき消されるのであった。
黒薔薇の淑女と初老夫 やみお @YAMIO
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