カラスと白雪 ─退魔師の娘は、大妖の掌中で愛でられる─
美雨音ハル
《第一幕》
無能な姉
「白雪。お前は姉なのだから、妹に譲ってあげなさい」
──お前は姉なのだから。
それは、父が白雪から何かを奪うときの常套句だった。
十八年という短い生の中で、白雪はその言葉をもう何百回と聞いてきた。
だから、またか、と思うだけだ。
そこに奪われる悲しみも、怒りもありはしない。
「あなたのためを思って言っているのよ。アレはあなたが持っていても仕方がないでしょう? だから早く小花に渡して、この久世家に繁栄をもたらしてちょうだい」
母が父の意見を後押しする。
その瞳に浮かんだ侮蔑の色に、白雪は思わず視線を下げた。
「お姉様ってば、また小花に意地悪するのね。それとももしかして、アレがあれば
妹の小花は、困ったわ、というように頬に手を当てた。
「アレはね、持つべき人が持たなければ、力を発揮できないの。お姉様に相応しくないでしょう? だから小花に、アレを渡して?」
ね?
と子どもを諭すような声を出す小花は、贔屓目に見ても、薔薇の精のように可憐な美少女だった。華やかな着物と髪飾りを身につけているせいもあるのかもしれない。つぎはぎだらけのボロを着た白雪とは、何もかもが正反対だ。
容姿も、親から注がれる愛情も、どうしてこんなにも違うのかと、悩んだ時期もあった。けれど十八になった白雪は、とうにその問題に諦めをつけていた。
「……申し訳ございません。本当に、先代の護符の在り処は、私も知りません」
そう言って深々と頭を下げる。
美しく整えられた奥座敷に、身綺麗な家族と、ボロを纏った白雪。
同じ家族であるのに、この扱いの差はなんなのか。
側から見れば異様な光景に思えるが、この家では当たり障りのない日常だった。けれど白雪はそれを、特別悲しいとも、辛いとも思わない。
──私は、殻の中にいる。暗くて静かな、殻の中に。
辛いことがあった時、白雪は真っ暗な殻の中にいる自分を想像する。
殻は辛いことから、白雪を守ってくれるのだ。
この闇の中にいれば、痛みも悲しみも、何も感じずに済む。
白雪はもう、何年もこの殻の中で過ごしているのだった。
*
久世家は古くから続く退魔師の家系だ。
古くから帝都の「結界管理」や「封印技術」を担ってきた名家……だった。過去形なのは、今では継ぐべき才も乏しく、帝の寵愛も、かつての富も失われつつあるからだ。その昔栄華を誇ったという久世家は、今や静かに凋落の道を歩んでいた。
先代──白雪の祖父は、天才と呼ばれていた、らしい。白雪が生まれるより前に病気で亡くなってしまったので会ったことはない。けれど祖父は、それこそ開祖以来の強い力の持ち主だったと聞いている。
しかしその息子である白雪の父は、祖父ほどの力を受け継がなかった。そして父自身、それをコンプレックスに思っていたのだろう。
とにかく父は、力の強い後継を欲しがった。母も同じ退魔師の家系の出で、力の強い後継を生むことの重要性をよく理解していた。
──けれど白雪は、そんな両親の期待を裏切って、術師の才能を受け継がずに生まれてしまったのだ。
生まれてから一度として、両親に愛情を注がれたことはなかったと思う。
両親がいつも掌中の珠を愛でるように大切にしていたのは、才能豊かで見目麗しい妹の小花だけ。
先代から強い能力を引き継がなかった父は、同じく力のない白雪を殊更嫌った。母もまた、父に同調していた。
母と父の態度を見て育った妹、小花は、当然のごとく、姉の白雪を自分より下の存在だと認識するようになっていた。
物心がついた頃、そういう事情を理解した白雪は、家族に愛を求めることをすっかり諦めてしまった。
久世家には、白雪の居場所はない。
ほとんど女中のような……いや、ひょっとするとそれ以下の存在として、白雪はこの歳までなんとか生き延びてきたのだった。
*
「……もういい」
頭を下げ続ける白雪に、ようやく父はため息をついて、白雪に退室を促した。
顔を上げれば、三人の憎々しげな視線が突き刺さる。
「お姉様ってば、なんてひどい方なのかしら」
悲劇のヒロインのような顔で、小花が母に縋り付く。
「あの護符は絶対、おじい様が小花に残してくれたものだと思うの。それなのにお姉様が奪ったのよ、きっと」
「……大丈夫よ。清らかで強い力を持つ護符は、きっとふさわしい人のところに戻ってくるわ」
母は小花を励ましながら、じろりと白雪を睨んだ。
先ほどから三人が求めている護符というのは、久世家に代々受け継がれているという守り札──継環の符のことだ。
継環の符は、久世家の代々の当主が力を込め、次代へ引き継ぐ。
先代──白雪の祖父は、結界術の鬼才と呼ばれていた。その祖父が、己の全ての力を注ぎ込んだと言われる護符。それさえあれば、どんな妖魔からも身を守れるはずだ。
ところがその護符は、存在を実しやかに囁かれているものの、母屋のどこを探しても見つからなかった。
だから三人は、白雪が隠し持っているのではないかと疑っているのだ。
白雪は、疑われる理由に心当たりがあった。けれどそれはどうしようもない理由だったし、とにかくそのような護符など本当に目にしたこともなかったので、こうして謝り続けていたというわけだ。
「失礼しま、す……」
頭を下げて退室しようとしたとき。
吐きそうになる程不快な匂いを感じて、思わず白雪は口元を押さえた。
真っ青になって固まる白雪に、父が胡乱げな視線を投げる。
「どうかしたのか?」
「い、いえ……」
「お姉様ってば、そうやって体調不良のふりをして、お父様とお母様の気を引きたいの? ほんと、浅ましい女ね」
小花の馬鹿にするような声が、聞こえてくる。
けれど本当に吐き気が込み上げてきて、白雪は何も言わずに頭を下げると、部屋を後にした。
なぜ三人は気づかないのだろう。
──こんなに濃い血の匂いが漂っているというのに。
*
奥座敷を出て庭を見れば、ぽってりと咲く紅椿に、柔らかな雪が降り積もっていた。今年は例年よりも早く雪が降った。帝都では予定よりも早い降雪に、今ごろ炭売りたちが慌ただしくしている頃だろう。
雪が積もれば部屋も冷え込む。早く離れに戻って火を調整しなければ、と白雪が視線を廊下に戻すと、奥から青年が一人、こちらへやってくるのが見えた。思わず白雪は身を硬くした。ニコニコと微笑む青年は白雪の元へ来ると、帽子をとって挨拶をする。
「やあ、白雪」
「……こんにちは、青嗣さん」
青年は、小花の婚約者である神崎青嗣だった。
精悍な顔つきをした美丈夫で、同じく退魔師の家系である神崎家の三男坊である。
女性しかいない久世家の跡取りとして、もう少しでこの家に婿入りすることになっていた。
白雪は廊下の端によけ、深々と頭を下げる。
「おっと、やめておくれよ、そんな態度は」
「……」
「家族になるのだから、寂しいよ、私は」
──血の匂いが、ひどい。
いつもそうだ。
青嗣がくるときはすぐにわかる。このおかしな匂いが鼻をつくから。
白雪は青嗣のことが苦手だった。この匂いのこともある。それに加えて、青嗣は何か、白雪に対する態度がおかしいのだ。
「……祖母の、介護がありますので。失礼します」
そう言って青嗣から離れようとしたとき。
いきなり腕を引っ張られ、くっと顎を持ち上げられた。
唇をす、と撫でられ、白雪は全身に鳥肌がたった。
「……相変わらず、甘い匂いを漂わせている」
「……っ」
青嗣の目の奥底に、何か強い欲望の光がよぎった気がした。
白雪は慌てて、青嗣を突き放す。
血の匂いもひどくて、吐いてしまいそうだ。
く、と青嗣が喉で笑う声がした。恐ろしくて心臓をバクバクさせていると、その奇妙な空気をかき消すように、小花の声が廊下に響いた。
「青嗣さんっ!」
部屋から出てきた小花は、勢いよく青嗣に飛びついた。
「おっと。小花、びっくりするじゃないか」
「ふふっ。嬉しくって、つい。外は寒かったでしょう。暖かくしているから、奥に入って?」
「ああ、ありがとう」
にっこり笑うと、青嗣は奥座敷の方へ入っていった。
白雪にねっとりとした視線を残して。
白雪が俯いて震えていると、小花が近づいてきて怒りを孕んだ声で言った。
「……お姉様ってば、青嗣さんを誘惑したの?」
「ち、ちが……」
白雪が言葉を吐き終わる前に、小花がそれを遮った。
「違わないでしょう!」
──パンッ。
頬に衝撃が走る。
打たれたのだと気づいた時には、白雪は廊下に尻餅をついていた。
「本当にいやらしい女だわ。青嗣さんがお姉様みたいな醜女、好きになるわけないじゃない」
「……」
「お姉様が小花に嫉妬するのはわかるわ? 小花は何もかも持ってるんだもん。でもね、言っておくけど、億が一にも、お姉様がこの家を継ぐことなんてないんだからね」
小花はそう吐き捨てて、青嗣の後を追った。
「……」
白雪は何も言い返さずに、ただ廊下の板の目をぼんやりと眺めていた。
叩かれることも、罵詈雑言を吐かれることも珍しいことではない。
──これが白雪の日常だった。
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