その日の夜。

 すでに吉原の町は毒々しく飾り付けられており、桜花楼の遊女たちもまた親父の指示通り、ぱたぱたと用意を整えている。禿――まだ幼く、客を取れぬ歳の娘たちは稽古に遊女たちの小間使い。遊女たち自身も己を着飾り、ある者はサァあの方は今日も来ておくんなさるかしらんと夢想し己を鼓舞する。

 鈴蘭は部屋従きの禿、小雪(こゆき)に化粧を直されていた。玉虫色の紅に水を差し、そっと唇に載せれば蠱惑的な赤色に変わる。同じ色を頬に刷き、結い上げた髪は今日も乱れない。支給品のそっけない簪すらも、鈴蘭を彩る一部となる。

「姐(あね)さま、今日は姐さまにお客が来ておりんすよ」

 鈴蘭はゆるやかに微笑んで、小さくうなずく。

「――御声は、今日も直りんせんね」

 小雪は悲しいと、ただただ心底その声が惜しいといったふうに目を伏せるので、鈴蘭はどことなく痛みをこらえるような顔をした。鈴蘭にとってこの桜花楼はろくでもない場所だけれど、この歳の離れた生娘だけはそこにいて尚微笑ましく、愛らしい妹のようなものであった。それであるので、小雪に学をつけてやることも、声をかけてやることも出来ぬ己が少しばかり不甲斐なくも感じるのだ。これは鈴蘭がまだその名で呼ばれる前、幼い兄だった時分よりの性分といっても差し支えなかった。

「さあさ、化粧が出来んした。小雪はお客の出迎えに並びますので――姐さまが心を開けるような御仁が、来られるとようおざんすね」

 小雪がどこか、叶わぬ夢を見るような目で微笑む。それを受けて鈴蘭は、胸の痛みを今日も抑えるようにぎゅっと手を握り込んだ。

「おおい、小雪! 鈴蘭太夫のお客人が来てるぞ、出迎えを!」

「あ――あい、今行きんすから、お待ちなんし」

 小雪が部屋を出て行くと、鈴蘭は豪奢な着物に負けない、濃灰色に花柄の描かれた打掛を羽織る。そこにいるのは他でもない、哀れみと情を誘うことに長けた、しかし気高きひとりの花魁であった。

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