第2話 侍幽霊と視える令嬢


時は、明治38年。

 文明開化から月日が流れ、日露戦争で勝利した日本は好景気に沸いていた。

 ここ帝国ホテルの朱雀の間では、舞踏会が開かれ、華やかなフォーマルドレスに身を包んだ淑女たちが噂話に花を咲かせている。


「あら、百合絵様。珍しいですわね。玲子様もお連れになったの?」


知り合いの婦人に声をかけられた榊原百合絵は、如何にも困り果てたように眉尻を下げた。


「そうなの。わたくしも連れて来るのは……でも、どうしてもって聞かなくて……。玲子は我が儘で困りますわ」


流行りのバッスルスタイルドレスに身を包み、ご自慢の扇で口元を隠しながら、百合絵は血の繋がらない娘の玲子へ、侮蔑の視線を送る。

 

 そして、百合絵の娘、舞香もうなずいた。


「お母様のせいではございませんわ」


「血が繋がらないとはいえ、一応娘なのに、玲子は何を考えているのか知れなくて……、わたくしも困っておりますの」


一同の視線は、壁際に居る玲子へと集まる。


「あら、今もぼんやりしていらっしゃるわ」


「ふしだらな母親のように、男性を物色しているのかも?  まったく恥ずかしいわ」


「そうね。血は争えないって言いますものね」


 ご婦人たちは、ちらりと玲子の方を見ては、クスクスと嘲るように笑う。


 噂の人物、榊原玲子は、百合絵のお下がりである碧色のローブ・デコルテに身を包み、ぼんやりと部屋の端を眺めていた。


 玲子の視線の先には、大小の刀を差した着物姿のさむらいが佇んでいる。

 明治9年に制定された廃刀令から30年近く経った現在、二本差しの侍は異質だ。

 それも、舞踏会が行われ、紳士淑女が集まる社交の場。男性は燕尾服、女性はドレスの洋装で、着物姿の者など居ない。

 だが、この場にはそぐわない着物姿の、幽霊が、確かに居るのだ。




 それなのに、誰も騒ぎ立てる人が居ないのは、その侍が既にこの世の者でないから。

 そう、侍は幽霊で、玲子以外はその存在に気づいていない。


侍はピクリと反応し、会場の入口を凝視した。

釣られるように玲子も侍の幽霊の視線を辿る。


そこには、年は20代前半、6尺(約180センチ)近くはある高身長の男性の姿があった。

姿勢の良い立ち姿に筋肉質の体は、燕尾服が良く似合っている。

男性の存在に気づいたのは、何も玲子や侍の幽霊だけでは無い、噂好きのご婦人たちも然り。


「まあ、鼻筋の通った素敵なお方」


「あの方は、藤堂将吾様よ」


「先の戦争でも御活躍と聞いたわ。きっと、軍服姿も素敵でしょうね」


「藤堂子爵家の跡取りでもあるのよね」


令嬢たちは、此処ぞとばかりに色めき立つ。

藤堂将吾について、ひとつでも多く知っているのは自分であると胸をはる。マウントの取り合いだ。


「あら、藤堂は尚文様が継ぐものかと思ってましたわ」


「わたくしも、ある方から尚文様だと伺いましてよ」


「尚文様は、現当主である将輝様の甥ですもの。直系の将吾様が健在でしたなら、当主の芽はないはずよ」


 その時、藤堂将吾へと近づく、ひとりの男を見つけると令嬢たちは声をひそめた。


「……噂をすれば影ね。尚文様だわ」



 20代半ばの尚文は、働き盛りの精悍な気を漂わせていた。

 それでいて、人好きのする柔和な笑みを浮かべ会場の女性を魅了する。

 身長は5尺6寸(約170センチ)といったところ、6尺ある将吾と並ぶと一回り小さく見えるが、まわりの男性に比べ、かなり高い方だ。

その上、日本人にしては、はっきりとした二重で、目鼻立ちの整った顔は藤堂家の血筋なのだろう。


舞香を始めとするご令嬢たちの関心は、将吾と尚文のふたりになる。


「将吾様は士官学校を卒業後、程なくして少尉になられたそうよ」


「将吾様が 、次期当主としての貫禄が、おありなのも頷けるわ」


「尚文様も事業を興されて、好調らしいわよ」


「お仕事が忙しくて、未だに独身でいらっしゃるのよね」


 そうなのだ。嫁ぎ先としては、将吾であっても尚文であっても好物件。この社交の場で、良き出会いを求める令嬢たちから、注目が集まるのも無理はない。

玲子の姉である榊原舞香が、藤堂将吾と尚文の二人を見て、大きなため息をついた。


「はぁ、将吾様でも尚文様でも良いから、ダンスを申し込んで下さらないかしら」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る