第33話:カウントダウン・ゼロ(世界終焉5分前)

 危機管理機構の司令室。

 そこは、もはや絶望という名の静寂に支配されていた。


 メインモニターに映し出されたのは、都心部地下におけるゲートエネルギー反応。

 

 数値はついに臨界点へと迫り、画面には冷たいデジタルのカウントダウンタイマーが、無慈悲に残り時間を刻んでいた。


 ――暴走まで、残り5分。


 張り詰めた空気のなか、静まり返った司令室には、「カチ、カチ」と秒針の音が響き渡る。

 

 まるで、処刑執行の時を告げる鐘のように。


 大型モニターには、シミュレーションによる東京壊滅の未来映像が映し出されていた。

 

 赤く染まった街、崩れ落ちる高層ビル、飲み込まれていく人々――その光景が、オペレーターたちの網膜に焼き付き、脳裏から離れなかった。


「……エネルギー上昇率、依然として衰えず……。もはや、打つ手は……」


 一人のオペレーターが、絞り出すように呟く。

 その声に応えることなく、氷川英玲奈は目を閉じたまま、じっと黙っていた。


 脳裏によぎるのは、過去に経験した惨事――

 そして、そのとき何もできなかった自分自身への、どうしようもない無力感だった。


 けれど、その奥底には、ほんのわずかに、しかし確かに、消えない光が残っていた。


 ――椎名陽。


 あの男の存在が、ふと脳裏をよぎる。

 彼ならば、あるいは。


 常識も、理屈も、科学的根拠すらない。

 だが、それでも英玲奈は、すがろうとしていた。


 あの不思議な存在に。

 あの“ありえない日常”に。


◇ ◇ ◇


 政府官邸内の危機管理センター。

 そこもまた、重苦しい沈黙に包まれていた。


 モニターに映るゲートエネルギーの数値。

 飛び交う分析報告。

 どの情報も、最悪の未来を裏付けるものばかりだった。


 総理大臣をはじめとする閣僚たちは、ただ固唾を飲んでそれを見つめている。

 

 現場に対する決定権を持っていても、もはや何を下そうと意味はない。

 誰もが理解していた――運命の時を、ただ待つしかないのだと。


 日本の首都が、今日、機能を停止するかもしれない。


 そんな、悪夢のような現実。

 その時は、もう目の前にまで迫っていた。


◇ ◇ ◇


 一方、ゲート暴走の予測地点となっている都心部周辺では、すでに異常が発生し始めていた。


 市民の間に広がる、原因不明の体調不良。

 スマートフォンの通信は途絶え、電子機器は次々に誤作動を起こす。

 空気が重く、息苦しさを訴える人々の姿も増えていた。


 街には、薄暗いざわめきが満ちていた。


 パニックはまだ起きていない。だが、それは時間の問題に過ぎなかった。


「おい、なんだよこれ! スマホが全然繋がらねえ!」

「なんか、急に頭が痛くなってきた……」

「空の色、おかしくないか……?」


 現場に駆けつけた警察官たちは、必死に交通整理や誘導を行っていた。

 だが、拡大する混乱の波は、彼らの努力を飲み込もうとしていた。


 恐怖と不安の連鎖。

 群衆のざわめきが、街の喧騒と混ざり合い、異様な熱気を帯びていく。


 それでも、人々はまだ知らない。


 世界の終わりが、すぐそこまで迫っているということを。


◇ ◇ ◇


 危機管理機構の司令室。


 氷川英玲奈は、無言のままメインモニターを凝視していた。

 

 画面には、上昇し続けるエネルギーグラフと、横に並ぶ冷酷なカウントダウンタイマー。

 

 破滅の閾値を示す赤いラインに、今まさに到達しようとしている。


 まるで――死刑台の階段を、一歩ずつ上らされているかのようだった。


 もう、ダメなのか――。


 英玲奈の胸に、諦めにも似た感情が芽生えかけた、そのときだった。


「……ん? これは……?」


 オペレーターの一人が、信じられないといった表情で声を上げた。

 彼が指差した先には、エネルギーグラフに微かな異変が生じていた。


 英玲奈もすぐにそれを認識する。

 グラフの上昇率が――鈍化している。


 最初は見間違いかとも思った。だが、何度確認しても、確かに勢いは弱まっていた。

 止まりかけた呼吸に、わずかな希望が流れ込んでくる。


(……まさか……? 何かが……起きている……?)


 英玲奈の胸に、かすかな光が差し込む。


 と同時に、彼女の脳裏に浮かんだのは――

 あの能天気なサラリーマンの姿。


 椎名陽。


 今ごろ、あの「異界めいた路地」で、缶コーヒーでも飲んでいるのだろうか。

 そんな馬鹿げた想像。


 だが、なぜだろう。

 その想像が、不思議と心から離れなかった。


 まさかとは思う。だが、もしかすると――


 その瞬間、司令室内にどよめきが走った。


 モニターのグラフ。

 あれほど激しく上昇していた数値が、完全に停止したのだ。

 

 そして――数秒の静寂を破って、ゆっくりと、確実に下降を始めた。


「……エネルギー反応、低下を確認! 危険閾値を下回りました!」


「……信じられない……。一体、何が起きたというのだ……?」


 誰もが目を疑った。

 だが、それは間違いなく現実だった。


 さっきまで、暴走の足音を刻んでいたその数値が――

 今は、落ち着きと静けさを取り戻そうとしていた。


 政府関係者にも、急ぎこの吉報が伝えられた。

 原因は不明。だが、確かにゲートエネルギーの暴走は止まった。

 

 最悪の事態は、回避されたのだ。


「……一体、何が起きたというのだ……? なぜ、こんな奇跡が……」


 総理大臣は、安堵のため息を漏らしながら、ぽつりと呟いた。

 それは、その場にいた全員の思いを代弁する言葉だった。


 まるで、何者かが“見えない手”で、この大災害を押しとどめたかのように――。

 だが、それは誰の手だったのか。


 誰かが、何かをした。

 それだけは、紛れもない事実として残った。

 

 だが、それがどこで、誰によって行われたのか――誰にも説明できなかった。


「まさか……誰も知らない一人の男の、何気ない日常の行動が、この世界のすべてを止めたとでも言うのか……。そんな馬鹿な話があるものか」


 総理の言葉には、半ば否定しながらも、否定しきれない“直感”が滲んでいた。

 空想とも現実ともつかないその違和感が、会議室の空気を静かに染めていく。


 だが、それは決して妄想とも言い切れなかった。

 

 あまりにも自然に。あまりにも無名に。

 誰かが、この都市を――この世界を、救った。


「……信じられない。あの絶望的な状況から、こんなふうに……。何かが、この街を守った。それが“神”なのか、“偶然”なのか……」


 氷川英玲奈は、安定しきったエネルギーグラフをじっと見つめながら、静かに呟いた。


「それとも――あの“ウォーカー”と名付けられた男の、不可解な“日常”がもたらした、ありえない“奇跡”だというの……?」


 言葉にしてしまえば、あまりにも非現実的すぎる。

 けれど、彼女の胸には、確かにその“可能性”が灯っていた。


 椎名陽。

 あの男は――一体、何者なのか。


 もし、彼が無自覚に世界を救っていたのだとすれば。

 その存在は、恐ろしく、そして底知れない。


 氷川英玲奈の探求は、まだ始まったばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る