第25話:健太の「発見」と、ネットの小さな火種
その日も、
彼の目的は、ただ一つ。
先日偶然目撃した、謎の「浄化現象」。
そして、その中心にいると思われる――スーツ姿のサラリーマン風の男の正体を突き止めることだった。
(今日も現れるかな、あの人……。俺のチャンネルの運命は、あの人にかかってるんだ!)
健太は半ば祈るような気持ちで、ある路地の角に身を潜めていた。
そこは、あの男――椎名陽がよく現れるとされる、“異界めいた路地”の入り口が見える場所。
彼の運営する動画チャンネル『Kの都市伝説探訪記』は、長らく鳴かず飛ばずの状態が続いていた。
だからこそ、今回こそは起死回生のネタをモノにしたい。
それが健太の、いやKの切なる願いだった。
そして――その瞬間は、思いのほか早く訪れた。
スーツ姿の男が、ふらりと例の路地へと吸い込まれていく。
間違いない。椎名陽だ。
「キタァァァァッ!」
健太は小声で叫ぶと、慌ててスマートフォンの録画ボタンを押す。
相変わらず手ブレは酷く、ピントも甘い。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
スクープ映像を逃すわけにはいかないのだ。
彼は慎重に、物陰からそっと体を乗り出し、スマホのレンズ越しに陽を追い始めた。
その男は、まるで散歩でもしているかのような足取りで、鼻歌まじりに歩いている。
緊張感はまるでない。
それどころか、どこか楽しげですらあった。
(よしよし、今日もご機嫌だな、あの人。……ん? あれはなんだ?)
健太の目が、ふと路地の隅で蠢く何かを捉えた。
半透明の、ゼリー状の物体。
まるでゲームに出てくるスライムのようにも見えるが、それが本当に現実に存在しているのか
――にわかには信じがたかった。
(うわっ、なんだアレ!? 新種の未確認生物か!? それとも、誰かのイタズラ……? いや、でも、なんかヤバそうな雰囲気だぞ……)
健太はごくりと唾を飲み込んだ。
視線の先――路地の隅で蠢いているのは、ゼリーのような半透明の物体だった。
動きは鈍いが、確かに“生きている”感じがする。
まるで、ゲームでよく見るスライムそのものだ。
その物体は、まるで獲物を待ち伏せるかのように、じっと動かずにいる。
陽は、それにまったく気づかぬまま、どんどん距離を詰めていく。
(ヤバい! あの人、気づいてないぞ! アレに触ったらどうなるんだ!?)
一歩ごとに迫る危機。
健太は叫びたくなる衝動に駆られた。
(……いや、でも、ここで俺が飛び出して警告したら、せっかくのスクープが……!)
葛藤の中、身体が凍りつく。
そのとき――。
コツン、と小さな音がした。
陽が、足元に転がっていた空き缶を、うっかり蹴飛ばしたのだ。
ポーン、と軽やかな音を立てて飛んでいく缶は、なぜか吸い寄せられるようにして、ゼリー状の物体の中心部らしき場所へと直撃した。
ビクンッ!
物体は一瞬大きく痙攣し、続けざまにシュワシュワと泡を吹き始めた。
白い気泡を残して――それは、跡形もなく消えてしまった。
「おっと、危ない危ない。……あれ? なんか泡が出て消えた? 不思議な洗剤でもかかってたのかな?」
陽は特に気にする様子もなく、再び鼻歌を口ずさみながら歩き去っていく。
まるで、何事もなかったかのように。
その一部始終を、健太は震える手で撮影していた。
(み、見たか……!? 今の……!)
脳が追いつかない。
だが――目撃してしまった。信じられないような“現象”を。
(缶が……缶が光った!? いや、違う! あの人の鼻歌に合わせて、空き缶が謎の物体を自動追尾して撃破したんだ! 間違いない!)
健太の思考はすでに暴走を始めていた。
(これが、彼の『浄化能力』の正体だ! あの物体は、きっと何か邪悪なエネルギーの塊だったんだ! もしかしたら、どこかの異能研究所が秘密裏に開発した、対念動兵器なのかもしれない……!)
事実は、ただの偶然だった。
陽の無自覚な力が、空き缶に一時的に作用し、小型のスライム系モンスターの弱点を偶然突いただけにすぎない。
だが健太は、そんな真実には到底たどり着けそうになかった。
陽が「異界めいた路地」から出てくると、健太はその前後の路地の様子もすかさず撮影した。
画面越しに見える風景は、なぜかさっきよりも澄んでいるように思える。
気のせいかもしれない。
――だが、確かに陽が現れる前に感じたまとわりつくような不穏な気配は、綺麗さっぱり消えていた。
(間違いない! この人が通ると、街がキレイになるんだ!)
健太は震える手でスマホを握りしめながら、ひとり呟いた。
彼はただのサラリーマンなんかじゃない。
現代に蘇った陰陽師か、あるいは宇宙からの使者かもしれない。
そんな荒唐無稽な妄想すら、健太にとっては“真実”にしか思えなかった。
これは大スクープだ。
彼は撮れたての動画を抱え、意気揚々と自宅へ戻ると、すぐに編集作業に取りかかった。
編集と言っても、やることは決まっている。
テロップの挿入と効果音の追加。それだけで“真実”はもっと「それっぽく」なる。
健太の頭の中では、すでに再生数の伸びがシミュレーションされていた。
完成した動画のタイトルはこうだ。
「【衝撃】渋谷の裏路地に謎の浄化能力者“X”出現!? 正体不明のゲル状物体を鼻歌で一掃するサラリーマン!」
アップロード後、動画は徐々に再生数を伸ばし始めた。
コメント欄には、さっそく視聴者からの反応が集まる。
『またKの妄想動画かよw』
『手ブレ酷すぎ。何が映ってるか分からん』
『つーか、ただのサラリーマンが缶蹴っただけだろ、これ。あのゼリーも誰かのイタズラじゃね?』
辛辣なコメントが並ぶ中で――わずかに、だが気になる書き込みも混じっていた。
『いや、待て。缶が光ったように見えなくもない……?』
『この人、なんか雰囲気あるよな。もしかしたら本物かも……。例の『異能研究所』の被験体とか?』
『渋谷の守り神(笑)』
健太はそれらを何度も読み返し、頬を緩めた。
誰かが自分の“真実”を感じ取ってくれている。
その手応えに、彼の心は熱く高鳴っていた。
さらに数日後。
健太の動画をもとに、誰かが勝手にMAD動画を制作した。
映像には壮大なBGMが重ねられ、スローモーションと謎の発光エフェクトが追加されていた。
そして、動画の画面を飾る大げさなテロップ――
『“X”様、降臨!』
『人類の救世主か!?』
健太の手を離れたところで、「X現象」はじわじわとネットの片隅に広がり始めていた。
コメント欄では信者とアンチが入り混じり、SNSでは「鼻歌サラリーマン」に関する考察スレッドまで立ち上がる。
健太は、それらのコメントや派生動画をニヤニヤと笑いながら眺めていた。
「ふはは! これで俺のチャンネルも注目度アップ間違いなし! 次は、直接インタビューを敢行して、彼の謎を暴いてやるぜ!」
椎名陽の正体を暴き、この“現象”をより世に知らしめる――健太はすでに、新たな計画を胸に描いていた。
デスクには、自作の「取材計画メモ(という名の妄想プロット)」が並び、彼の熱量は高まる一方だった。
一方その頃――。
椎名陽のスマートフォンには、動画サイトからの通知が届いていた。
そこには、「あなたが映っている可能性のある動画がアップロードされました」という文字が表示されている。
陽はそれを一瞥しただけで、ふぅと息をついた。
「ああ、また迷惑メールか。最近多いんだよな、こういうの」
そう呟いて、指先で通知をスワイプして削除する。
再生も確認もせず、興味も示さず――彼の反応は、それだけだった。
自分の姿が、今まさに“X”という異能存在としてネット上で祭り上げられているとも知らず。
自分の行動が、誰かの動画を通して解釈され、拡散されていることなど知る由もなく。
彼のあずかり知らぬところで、ネットの片隅に火が点いた。
小さな火種は、風にあおられ、少しずつ、確かに燃え広がろうとしている。
「見ろよこのコメント欄! 俺の動画、“神編集”って言われてるぜ! ……まあ、俺が編集したわけじゃないのもあるけどな!」
健太はスマートフォンを見ながら、得意げに笑う。
自分のチャンネルが注目を集めていることに、満足感を噛みしめていた。
再生数、コメント、派生動画――数字が少しずつ伸びていくたびに、彼のテンションも跳ね上がっていく。
その手には、びっしりとメモ書きの詰まったノート。
次なる“決定的瞬間”を求めて、彼はさらに深く、渋谷の裏側へとのめり込んでいく。
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