第22話:英玲奈、再来に戦慄す
陽が、凶暴なはずの『オーク』を(本人は全くの無自覚ながら)謎の威圧感で退散させ、再びのんきに『魔石』拾いを再開していた頃。
危機管理機構の臨時拠点では、氷川英玲奈が、自身の端末に表示された一つのアラートに気づき、眉をひそめていた。
(この反応は……『ゲートNo.7』に設置した、高エネルギー反応及び特異個体識別センサーから……? まさか……!)
英玲奈の表情が、一瞬にして険しくなる。
そのセンサーは、数日前に陽が二度目の『ダンジョン』侵入を果たしたことを受け、彼女が極秘裏に設置させたものだった。
表向きは通常の環境モニタリング装置だが、実際には特定の個人――つまり、椎名陽――が『ゲートNo.7』に接近、あるいは内部に侵入した場合に、英玲奈の端末に直接警告を送るように設定されていた。
そして今、その警告が、けたたましいアラート音と共に、彼女の意識を引き戻した。
(彼が、また『ダンジョン』に……!? 昨日、あれだけの書類にサインさせ、機密保持の重要性も伝えたはずなのに……! まるで、わたくしの言葉など馬の耳に念仏だったとでもいうの!?)
英玲奈のこめかみに、青筋が浮かぶ。
いや、彼のことだ。悪気があってやっているわけではないのだろう。
おそらく、昨日言い訳していた「健康のため」というのを、本気で実行に移したのかもしれない。
あるいは、あの『ダンジョンに呼ばれる感覚』とやらが、また彼を導いたのか。
どちらにしても、看過できない事態だ。
(彼の『無自覚さ』は、もはや危険極まりないレベルよ。一体、何を考えているの、あの人は……! いや、何も考えていないからこそ、こうも平然と……!)
英玲奈は、すぐさま部下に指示を出し、『ゲートNo.7』周辺の監視を強化させるとともに、自身も現場へ急行する準備を始めた。
彼女の頭の中では、陽をどうやって安全に『ダンジョン』から連れ戻し、そして今後、彼をどのように『管理』していくべきか、いくつかのプランが高速で組み立てられていく。
(彼の自由を完全に奪うわけにはいかない……。しかし、このまま野放しにしておくわけにも……。最低でも、監視チームをつけて、彼の行動を逐一把握する必要があるわね。そして、彼が持ち帰る『魔石』……特に『冥府の黒曜石』のような危険物は、即座に回収し、適切に処理しなければ……)
彼女は、専用の装備を身につけながら、思考を巡らせる。
その表情は、普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、焦りと苛立ち、そしてほんの少しの諦観がないまぜになっていた。
◇ ◇ ◇
一方、そんな英玲奈の心労など全く知らない陽は、小一時間ほどの『ダンジョン散歩(本人談)』を終え、いくつかの『魔石』をポケットに忍ばせ、鼻歌まじりで地上へと戻ってきた。
最寄りの駅へ向かう道すがら、彼は今日の「成果」に満足していた。
(今日は、あんまり大きいのは見つからなかったけど、まあ、こんなもんだろう。健康のためのウォーキングだしな。ついでにお小遣い稼ぎができればラッキー、くらいの気持ちでいないと)
陽はすっかり『ダンジョン探索』を、手軽なエクササイズ兼アルバイトのように捉え始めていた。
その危険性については、相変わらず楽観的だ。
先ほどの『オーク』との遭遇も、彼の中では「ちょっとビックリしたけど、なぜか逃げてくれたラッキーな出来事」くらいにしか認識されていない。
いつものように駅の自動改札を抜け、例の連絡通路を通り、危機管理機構の臨時拠点――「株式会社ワールド・コネクト・ソリューションズ」の受付へとたどり着いた。
すると、そこには、まるで待ち構えていたかのように、鬼気迫る表情で仁王立ちしている英玲奈の姿があった。
その両目には、まるで内心で激しい炎が燃え盛っているかのような、強い意志と怒りの光が宿っていた。
陽は思わず足を止め、目の前の英玲奈を見上げる。
(あ、あれ? なんかまずいことになったのか……?)
「え、あ、氷川さん……? こ、こんにちは……。あの、その、またちょっと、石ころを……」
陽は、しどろもどろになりながら、ポケットから『魔石』を取り出そうとする。
しかし、英玲奈はそれを鋭い視線で制した。
「椎名様。……少々、いえ、かなりお話が、ございます」
その声は、氷のように冷たく、そして有無を言わせない響きを持っていた。
陽は、ゴクリと唾を飲み込む。
これは、まずい。
非常にまずい状況だ。
まるで、夏休みの宿題を最終日まで溜め込んで、先生に呼び出された小学生のような気分だった。
(うわああああ! 絶対怒ってる! めっちゃ怒ってるよ、この人! なんで!? 俺、何か悪いことしたっけ!? 健康のためだよ!? 健康のために入っただけなのにぃぃぃ!)
陽は、内心で絶叫しながらも、英玲奈に促されるまま、昨日と同じ応接室へと通された。
そして、そこから約一時間。
英玲奈による、それはもう丁寧で、理路整然とした、しかしどこまでも厳しく、そしてちょっぴり(いや、かなり)ネチネチとした『お説教(という名の事情聴取と今後の行動に関する厳重注意)』が続くことになるのだった。
陽は、ただひたすら「はい」「すみません」「もうしません(たぶん)」と繰り返すしかなかった。
英玲奈の、そのあまりの剣幕と正論のオンパレードに、彼は完全に戦意を喪失していた。
彼女が、自分の知らないところで、どれほど自分のことを心配し、そしてどれほど頭を悩ませているのか。
その一端を、陽はようやく、ほんの少しだけ垣間見たような気がした。
もっとも、その数時間後には、またケロリと忘れてしまうのだが。
◇ ◇ ◇
数時間後、陽は英玲奈の説教から解放された。
その間、彼はほとんど何も言えなかった。
英玲奈の言葉は、まるで流れ出す川のように止まることなく続き、陽はただ頭を下げるしかなかった。
「……もうしません、たぶん」
何度も繰り返したその言葉が、ようやく英玲奈にとって満足できる返事だったのか、彼女はしばらく黙って陽を見つめた後、ようやく口を開いた。
「椎名様」
その声は冷たく響くものの、少しだけ穏やかさを取り戻していた。
「今後、あなたが『ダンジョン』に関わることは、わたくしが許可するまでは絶対に避けるべきです。それがあなた自身のためでもありますし、わたくし達のためでもあります」
陽は、言葉を返すことなく、ただ黙って頷く。
英玲奈の目を見ていられなかった。
彼女がどれだけ心配していたか、どれほど自分の行動に対して不安を抱えていたかを、陽はようやく少しだけ理解した。
「もちろん、今後も監視は続けます」
英玲奈は、少し冷静さを取り戻したかのように話す。
「あなたが何をしているか、どこに行くか、何を持ち帰るか──全て、しっかりと把握していきます。それが『危機管理機構』としての責任ですから」
陽は再び黙って頷くしかなかった。
何も反論できなかったし、反論するつもりもなかった。
自分がどれほど無防備だったか、無自覚だったかを考えれば、英玲奈の言うことは至極当然であり、理解するべきことだった。
「……わかりました」
ようやく、陽は小さな声で答える。
「もう、ダンジョンには行きません。気をつけます」
その言葉を聞いて、英玲奈はようやく納得したように肩の力を抜いた。
しかし、すぐに厳しい目を向け直す。
「それでは、今回の件に関してはこれで終わりにしますが、決して忘れないようにしてください。私たちのやっていること、あなたが関わっていること──全ては非常に重要で、あなた一人の問題ではないのです」
陽は、もう一度深く頷いた。
それ以上、何も言うことはなかった。
英玲奈が立ち上がり、出口に向かうとき、陽も静かにその後を追った。
ただし、心の中ではまだ少しだけ、あの『ダンジョン』のことを考えていた。
英玲奈がどれほど自分を心配しているか、どれほどその行動を監視しようとしているかを理解した今、陽は自分の無自覚さがどれだけ危険だったのかを痛感していた。
だが、彼はすぐにその考えを追い払うようにした。
これからは、少しだけ自分の行動に注意を払いながら、普通の生活を送りたいと、心の中で誓うのだった。
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