第16話:緊急報告「正体不明、S級相当の可能性アリ」

 椎名陽が能天気に缶コーヒーを啜り電車に乗り込んだ、ほぼ同時刻。

 

 危機管理機構の臨時拠点では、氷川英玲奈が自席に戻り深いため息をついていた。

 疲労の色が濃い。


 机には陽から預かった規格外の『魔石』が小山のように積み上がり、彼女自身が走り書きした膨大な鑑定メモの束。

 どれも常識外れの数値ばかりだ。


(『冥府の黒曜石』……。まさかあれほどの危険物が、無造作に土産物のように持ち込まれるなんて……信じられない光景だったわ)


 赤黒く不気味に鈍く輝く魔石を見つめ、英玲奈は眉をひそめる。

 ただ置かれているだけなのに、空間に微かな圧迫感が漂う。

 

 まるで生きているかのようだ。

 鑑定のため一時的に触れたが、今も指先に鈍い痺れと不快感が残る。


(あれを素手で拾い、何の対策もせずビジネスバッグに入れて運んできた……? あの男、正気なの……?)


 陽の無自覚で無謀な行動を思い出し、背筋がぞわりとする。


(信じられない……。あの魔力量、邪悪な波動、普通の人間なら触れた瞬間に精神汚染されてもおかしくない。最悪、廃人になるか暴走する可能性だって……)


 彼の“異常性”は幸運や未発見の特殊スキルなど生易しいものでは説明しきれない。

 

 もっと根源的な、生物的な何か――“絶対的な耐性”あるいは“異次元的な親和性”とでも呼ぶべき規格外の何かが存在するのではないか。

 

 そして本人が語っていた『ダンジョンに呼ばれる感覚』――それも極めて危険な兆候だった。


(もしかして……彼は“ダンジョン”と深層意識レベルで“感応”している……? ダンジョンの意思に操られている……?)


 その可能性に思い至り、英玲奈の背筋に氷柱を突き立てられたような冷たい汗が流れた。

 

 これほど多層的かつ複合的に規格を外れた存在は、過去のいかなる記録にも例がない。

 

 前例のない怪物なのだ。


(まさか……あの忌まわしい『横浜赤霧事件』の時の“特異体質者”と、同じカテゴリー……いや、それ以上の存在……?)


 最悪の記憶が脳裏をよぎる。

 英玲奈は震える指先を静めるように強く手を握りしめ、深く息を吐いた。


 一連の物理的処理――魔石の隔離、危険度判定、初期汚染検査――を終え、英玲奈はデスクに戻り端末に向き直る。

 

 上層部への超緊急報告書を、一刻も早く作成しなければならなかった。


 ファイルのタイトル欄に、一切の迷いなく重々しくこう打ち込む。

 

「特異個体『コードネーム:ウォーカー(仮称)』に関する緊急中間報告および監視レベル、最高危険度への引き上げの具申」


 カタカタと乾いたキーボード音が執務室に響く。

 彼女の思考と指先は分析官としての冷徹な機械モードに切り替わっていた。


【接触経緯】

・指定エリア『ゲートNo.7』(仮称)より対象者は二日連続で出現。


・いずれも単独行動でダンジョン内部に侵入、一切の外傷なく平然と帰還。


・魔石換金を求め当拠点に来訪。その際、極めて高純度かつ危険な魔石を多数所持。


【対象者の特徴】

・氏名:椎名陽。推定年齢:20代後半~30代前半。職業:一般会社員(本人申告。裏取り調査進行中)。

・外見・身体的特徴に現時点特筆すべき異常なし。


・性格:表面的に温厚かつマイペース。しかし危機意識に著しい、あるいは致命的欠如。


・ダンジョンや魔石に関する知識:皆無に等しい。価値や危険性を全く認識していない。


(……それでいて彼はあの『冥府の黒曜石』を何の躊躇もなく素手で持ち帰った。異常としか言いようがない)


 書き進めながら英玲奈は手元の鑑定メモを忌々しげに見た。

 あの石の正体と孕むリスクを思えば背筋が再びひやりとする。


【確認された異常性】

・極めて高い幸運、あるいは未知のパッシブスキルの保有が強く示唆。

(例:敵対生物からの攻撃を無意識に全回避。潜在的危険を察知し安全ルートを選択)


・魔石発見精度・回収量ともに常軌を逸するレベル。まるで魔石が彼を呼んでいるかのよう。


・高ランク魔石、特に負のエネルギーを持つ魔石への驚異的、あるいは異常な耐性。


・『ダンジョンに呼ばれる感覚』という前例なき精神的共鳴、あるいは同調の兆候あり。極めて危険。


 記述の手を止め、冷え切ったコーヒーに口をつける。

 ぬるい液体が喉を通る感触が少しだけ現実感を呼び戻した。


(これを本部に提出すれば大騒動になる。荒唐無稽と一笑に付される可能性すらある。あるいは私の精神鑑定を求められるかも。でも――)


 報告しなければ、彼という存在を見過ごせば、もっと取り返しのつかない破滅的な事態が起きる。

 その確信が英玲奈の手に再び力を与えた。


【総合評価】

 対象者――椎名陽。

 現時点では能力・特性ともに一切未定義、既存のいかなる分類にも当てはまらない『正体不明』の存在と結論せざるを得ない。

 本人に明確な敵意や加害性は確認されず、現状表面的には無害と判定できるが――。


(……その“無害”という評価はあくまで『現時点では』という極めて限定的な条件付きにすぎない。いつ豹変するか予測不能だ)


 英玲奈はディスプレイの報告書の重々しい文言を読み返し思考を整理する。


 彼は悪意のない“ただの一般人”を装っている。

 いや本人は心からそう信じているのだろう。

 

 けれどその“ただの一般人”がいとも簡単に持ち帰ってきたものは――

『特級魔石』がガラクタのように多数。


 そしてあの『冥府の黒曜石』――かつて大都市を壊滅寸前に追い込んだ“災厄の魔石”すらも当たり前のように含まれていた。

 

 それを何の防護処理も知識もなく素手で無造作に運搬してきた。

 

 狂気の沙汰だ。


(この無自覚さ……。むしろそれこそが彼の持つ最大のリスクなのかもしれない。自分がどれほど危険な存在であるかを全く理解していない)


 もし椎名陽が今後何かの拍子で暴走したら――。

 

 あるいは彼の存在自体が世界のバランスを崩壊させる異常事態を誘発する引き金となったら――。

 

 彼は災害の“被害者”ではなく“トリガー”そのものになる。

 

 その破滅的な未来が現実となる可能性を完全に否定することはもはや誰にもできなかった。


【提案事項】

・監視レベルを現行『レベル2』から即時『レベル4(最重要監視対象、特記事項S級)』へ引き上げ。


・対象者の行動パターン・精神状態・潜在能力について本部直属専門分析チーム編成、24時間体制での徹底調査開始。


・安全確保およびリスク管理の観点から専属『ハンドラー』を任命、常時密着監視体制。

 

・可能であればいかなる手段を用いても危機管理機構への協力者として招き入れ、厳重な『保護管理下』に置く方向で強硬対応を検討。必要であれば法的措置も辞さない。


 英玲奈は最後の行にカーソルを置いたまましばし動きを止めた。

 報告は全て客観的事実に基づく。

 誇張も個人的憶測による脚色も一切ない。

 

 だが――その内容はあまりにも常軌を逸し規格外だった。


(私の判断は正しい。あの人はもはや“特異点”そのものよ。歩く災害だ。野放しにできない)


 そしてたぶん――その過酷な任務である“ハンドラー”は自分自身が拝命することになるだろう。


 報告書の最終確認を終え、最高レベルの暗号化を施しセキュアライン経由で危機管理機構本部へ緊急電として送信した。

 

 転送完了を確認すると、ゆっくりと背もたれに身を預け疲れ切った瞼を閉じた。


(……ふう。やり切った……けど本当の戦いはこれからが本番ね。長い夜になりそうだわ)


 机上には厳重封印済みの魔石搬送手配書と未処理の登録待ちファイルが絶望的に山積みだ。

 

 今はほんのひとときの静寂と精神的安寧が欲しかった。


 数分前に送信した運命を左右する報告書――

 

 そこには“特異個体コードネーム:ウォーカー(仮称)”という新たな、そして極めて危険な分類が重々しく記されている。


(正体不明、S級相当の潜在的危険性あり。……冷静に考えて我ながらとんでもない報告書を書いてしまったものね。だがこれが現実だ)


 しかしそれは誇張でも誤認でもない。

 英玲奈自身が見て触れて全身全霊で確認した紛れもない現実だ。

 

 たとえ上層部に驚愕されようと信じてもらえなかろうと、あの報告書には彼女の分析官としての誇りと組織の一員としての責任、そして一人の人間としての覚悟が全て詰まっている。


(これから危機管理機構の方針も――そして私自身の仕事も運命も大きく変わっていくかもしれない。否、変えなければならないのだ)


 その全ての中心にあるのは間違いなく椎名陽というどこまでも不可解で底知れない存在だ。

 

 彼はおそらく“世界の裏側”に、その深淵に否応なく選ばれてしまった人間――

 

 いや選ばれたというより本人の意思とは無関係に無自覚のまま引きずり込まれた哀れな犠牲者なのかもしれない。

 

 本人がその事実に気づくのはまだもう少し先かもしれない。


(でもいずれ彼自身も自覚するはず。自分がもはや普通の平凡な会社員なんかでは決してなくなりつつあるってことに。そしてその時には……)


 英玲奈は再び鋭い光を宿した目を開けた。

 

 モニター越しに厳重な“保管室”の映像を確認する。

 

 そこには幾重にも特殊遮断ケースに封じられた『冥府の黒曜石』の禍々しい姿があった。

 

 まるで生きて鼓動しているかのように赤黒い光が淡く不気味に脈打つ。


(この魔石を何の気なしに持ち帰った彼はやはり“異常”だわ。狂っている。でも――だからこそ私が)


 その途方もない異常性に向き合い管理し制御する責任が自分にはあると彼女は痛いほど理解していた。

 

 過去のあの忌まわしい失敗を二度と繰り返さないためにも。


(あのときのような後悔はもう二度としない。……今度こそ私が全てを食い止める。たとえこの身がどうなろうとも)


 それが氷川英玲奈という若き覚悟を決めた調査官の静かで揺るぎない決意だった。

 

 彼女の戦いはまだ始まったばかりなのだ。

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