第11話:ここはどこかの受付ですか?

「ま、魔石……ですか……?」


 陽は、かろうじてそれだけを口にするのが精一杯だった。

 目の前に立つ、見慣れない制服を身にまとった女性――専門機関の者と名乗った彼女――は、静かに頷く。

 その揺るぎない落ち着き払った態度が、かえって陽の混乱をさらに深淵へと誘っていた。


(どういうことだ……? 俺が昨日拾ったただの石ころが、“魔石”……?)

(まるでファンタジーゲームの設定じゃないか。というか、ゲームでしか聞いたことのない単語だぞ……)


 頭が正常に機能しない。

 理解しようとする前に、現実感そのものが崩壊しかけていた。

 けれど、女性の瞳には一切の冗談も作り笑いもなく、ただ静かで揺るぎない真剣さが宿っていた。


「はい。あなたが持ち帰られた物体は、わたくし共の世界――と申しますのは、わたくしが所属する組織が関わる、もう一つの現実とでも表現すべきでしょうか――において“魔石”と呼ばれる、特異なエネルギー反応を持つ鉱石です」


 彼女は淡々と続ける。


「そして、あの“異空間”――わたくし共は『ダンジョン』と呼称しております――についても、いくつか確認させていただきたい点がございます」


 さらりと語られたその言葉。

 ダンジョン。

 魔石。

 異空間。

 次々と放たれる“フィクション”としか思えない単語が、陽の知る現実の皮を一枚ずつ、容赦なく剥いでいくようだった。


(落ち着け……落ち着け俺。何かの手の込んだ間違いだ)

(全部、新手のドッキリか、あるいは演劇の壮大な仕掛けなんだよ、きっと……)


 だが、否定すればするほど、昨夜の記憶が鮮明に蘇ってくる。

 洞窟の湿った空気、妖しく発光する苔、そしてあの石たちの、掌に残るざらついた確かな感触――。


「あの……椎名と申しますが、失礼ですが……お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 なんとか平静を装い、話をそらすように、陽は女性に尋ねた。

 せめて相手の名前を知ることで、この非現実的な状況を少しでも理解する足がかりにしたかった。


「これはご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくしは、氷川英玲奈ひかわえれなと申します。以後、お見知りおきを」


 優雅な仕草でお辞儀する彼女の胸の名札には、「氷川英玲奈」と端正な漢字で記されている。


「それで、椎名様。早速で恐縮ではございますが、昨日の“ダンジョン”内で何をご覧になり、どのような行動を取られたか――特に遭遇された生物や、持ち帰られた魔石の種類と数について、可能な範囲でお聞かせ願えますでしょうか」


 彼女は続ける。


「ご負担をおかけして申し訳ありませんが、わたくし共の調査にとって非常に重要な情報となります」


 事務的ながらも、どこまでも丁寧な口調。

 だが、そのまなざしは陽の一挙手一投足、心の揺らぎすら見逃さないかのような鋭さを宿していた。


(……まるで尋問じゃないか。いや、別に悪いことをしたわけじゃないし……でもこれ、下手な嘘をついたら即座に見抜かれそうだな)


 陽は一瞬逡巡したが、相手が自分の行動をすでにある程度把握していることは明らかだった。

 ポケットの中の石のことさえ正確に見抜かれている以上、下手に隠し事をしても意味はないだろう。


 それに、目の前の女性――氷川英玲奈からは、少なくとも今のところ敵意や威圧感のようなものは感じなかった。

 どちらかといえば、真摯で、そしてどこか少しだけ疲れているような……そんな不思議な印象すらあった。


「あの……えっと……どこからお話しすれば……。正直、自分でも何が何だか全く分からなくて……。まるで質の悪い夢でも見ていたのかと思うくらいで……」


 しどろもどろになりながらも、陽は昨夜の出来事を語り始めた。


 終電間際、駅の連絡通路で見つけた古びた木製の扉のこと。

 ほんの出来心と興味本位で開け、中に入った先が洞窟のような異様な空間だったこと。

 発光する苔にぼんやりと照らされた薄暗い通路、そして突如として現れた、棍棒を振り回す緑色の小人たち。

 彼らとの、まるで悪夢のような“戦闘”。

 そこで拾い集めた光る石――魔石。

 そして、必死に探してようやく見つけた出口。


 話しているうちに、昨夜の肌を刺すような感覚が少しずつ体に蘇ってくる。

 あの湿った特有の空気のにおい。

 不気味な足元の感触。

 異形の生き物たちの、耳障りな鳴き声。

 夢ではない。

 まぎれもなく、それは現実だった。


 英玲奈は終始黙って陽の話を聞いていた。

 時折、小さな黒革の手帳のようなものに何かを精密に書き留めながら、一言も聞き漏らすまいという凄まじい集中の面持ちで。


 話し終えた陽は、まるで魂が抜けたように最後に付け加える。


「――と、まあ、そんな感じです。正直、最初はどこかのテーマパークの新しいアトラクションか何かかと思ってたんですが……たぶん、全然違いましたね……」


「詳細なご報告、感謝いたします、椎名様。いくつか、さらに確認させていただきたい点がございます」


 英玲奈は手帳を閉じ、わずかに姿勢を正した。


 そこから始まった質問は、まるで警察の厳密な事情聴取のようだった。


 遭遇した生物の正確な数、体格、動きの細かな特徴。

 彼らがどういった武器を持ち、どのように攻撃を仕掛けてきたか。

 陽がどのようにそれを回避し、対処したのか――ただの偶然としか答えようがなかったが、彼女は納得したようには見えなかった。


 さらに、拾い集めた“魔石”の正確な数とそれぞれの色、大きさ、表面の質感や内部から放たれる光の強弱まで、詳細に尋ねられる。

 通路の構造や分岐の有無、光源の種類、出口の正確な位置。


 まるですべての情報を寸分たがわず記録し、分析しようとしているかのように、英玲奈は鋭く、しかしどこまでも丁寧に問いを重ねてきた。


(うわ……本当に本格的な取り調べみたいだな……。これ、今日の会社、間に合うんだろうか……?)


 陽は、必死に記憶の糸を手繰り寄せながら答えていった。

 正直、恐怖と混乱で全部を正確に覚えているわけではなかったが、それでも彼なりに思い出せる限りのことを誠実に伝えた。

 英玲奈は終始、遮ることなく耳を傾け、時折鋭い眼差しで陽を見つめていた。


 ようやく一連の質問が一段落したとき、陽はどっと魂が抜けるような疲労が押し寄せるのを感じた。

 彼女は再び丁寧にお辞儀をして、静かに言った。


「貴重な情報、誠にありがとうございました。椎名様のご協力に、深く感謝いたします」


 陽は、まだ頭がぼんやりとしたまま、思わず核心を突くような質問をしてしまう。


「あの……結局、あの場所って何だったんですか? そして、あなたは……その“専門機関”っていうのは、一体どういう組織なんですか?」


 英玲奈は少しだけ表情を曇らせたあと、重々しく、しかし静かに口を開いた。


「詳細につきましては、現時点ではお答えできないことも多くございます。ただ……わたくし共は、警察や行政といった公的機関とは異なり、独立して運用されている非公開の調査機関です。各地で突如として発生する“異空間”――いわゆる“ダンジョン”への対応を、主な任務としております」


 そして、少しだけ言葉を選ぶように、彼女は続ける。


「ひとつだけ明言できるのは――椎名様は、極めて稀有で、そして非常に重要な体験をされた、ということです」


 その言葉が、陽の胸にずしりと重くのしかかった。

 まるで運命の宣告のように。


「わたくし共の組織――正式名称は『日本異空間調査及び危機管理機構』、通称『危機管理機構エージェンシー』と申します」


 英玲奈はそう述べると、制服の内ポケットから一枚の硬質な名刺を取り出し、丁寧に陽へと差し出してきた。


 陽は、反射的にそれを受け取る。

 手触りはしっかりとしていて、見慣れない複雑なロゴマークとともに、彼女の名前と「危機管理機構」の肩書きが重々しく印刷されている。

 例の、盾と剣を組み合わせた紋章も、金の箔押しで添えられていた。

 そこに記された連絡先や所属部署は、どれも現実味がありすぎて、逆にそれが嘘くさく思えるほどだった。


(……“危機管理機構”? 完全にスパイ映画か、秘密結社の世界じゃないか……)


 混乱はすでに通り過ぎ、陽の中には諦めにも似た、奇妙な脱力感が漂っていた。

 ここまで来て、もはや「全部冗談でした」というオチでは済まされない。

 この女性が“真剣にふざけている”のではなく、“真剣に本物”なのだということだけは、疑いようもなく理解できた。


「今後、椎名様にご協力をお願いする機会が、おそらくは訪れることと存じます。その際は、どうかご助力いただけますよう、心よりお願い申し上げます」


 英玲奈は変わらぬ落ち着きでそう言うと、もう一度、深く礼儀正しく頭を下げた。

 その所作一つひとつが洗練されていて、どこかこの世のものならぬ、異世界の儀礼のようですらある。


(……いや、どう考えても断れる雰囲気じゃないよな、これ……)


 陽は名刺をじっと眺めながら、ひとつ長いため息をついた。

 数日前までの平凡で、退屈ですらあった日常が、まるで遠い過去の記憶のように思える。

 目の前には、見たこともない精巧な制服を着た、謎めいた美しい女性。

 どこかの大企業でも、国家の行政機関でもない。

 けれど、確実に“何かを裏で動かしている側”の人間。


(ここって、一体何の受付なんだよ……人生の、新章スタート受付か? それとも破滅への片道切符か?)


 心の中でそんな軽口を叩いてみても、冷厳な現実は変わらない。

 英玲奈が言った“ご協力”が、具体的に何を意味するのか――

 それを知る日が、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない。


 そして陽は、ふと胸の奥底で、言いようのない不安と共にひっそりと呟いた。


(……次に、またあの呪われた場所に行くことになったら――俺は、本当に生きて戻ってこられるんだろうか……?)

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