第12話:最初の「お宝」鑑定依頼

 氷川英玲奈と名乗る女性から名刺を渡された。

 半ば強制的に「危機管理機構エージェンシー」なる謎の組織への協力を約束させられた(ような気がする)。

 陽は、茫然自失のまま、どうやって会社にたどり着いたのかよく覚えていなかった。


(危機管理機構……エージェンシー……。異空間……ダンジョン……魔石……)

(……ダメだ、情報量が多すぎて処理しきれない。頭がショートしそうだ)


 デスクに座っても、仕事が全く手につかない。


 目の前のモニターには、昨日やり残した業務のファイルが開かれている。

 だが、その内容が頭に入ってこないのだ。


 時折、課長が背後から「椎名くん、あの件どうなった? 例のクライアント、今日中に回答欲しいって言ってるぞ」などと声をかけてくる。

 しかし、それすらもどこか遠くで聞こえる音のようにしか感じられなかった。

 まるで自分だけが、この喧騒の中で、別の次元にいるような感覚だ。


 陽は、適当な返事をしながら、必死で平静を装う。


(とにかく、今日は目立たないように……。気配を消して過ごそう)

(定時になったら、即効で帰ろう。そして、今日のことは全部忘れるんだ。そう、忘れよう。あれは幻だ)


 しかし、そんな陽のささやかな願いは、昼休みを前にあっけなく打ち砕かれた。


 スマートフォンのバイブレーションが震え、画面に見慣れない番号からの着信が表示されたのだ。

 番号は、先ほど英玲奈からもらった名刺に記載されていたものと一致する。

 胸騒ぎがする。


 陽は、嫌な予感を覚えつつ、おそるおそる通話ボタンを押す。

 胃がまたキリキリと痛み始めた。


「……はい、椎名です」


「椎名様、わたくしです。氷川英玲奈です」


 電話の向こうから聞こえてきたのは、あの凛とした、しかし有無を言わせない響きを持つ声だった。


「お昼休み中、少々お時間を頂戴できますでしょうか」

「持ち帰られた物の件で、少し確認したいことがございまして」


(うわぁ……もう来たよ……。仕事早すぎだろ、この人……)

(というか、俺の聖なる昼休みを勝手に予定に入れるなよ……!)


 陽は心の中で呻いた。

 断れる雰囲気ではない。

 というか、断ったら後が怖い。色々な意味で。

 下手に断って、夕刻にでも自宅に押しかけられても困る。

 彼は力なく「……はい、分かりました。場所は……」と答えるしかなかった。


◇ ◇ ◇


 昼休み。


 陽は、英玲奈に指定された駅近くの、少し古風な喫茶店へと向かった。

 店の奥まった席に、彼女はすでに座っていた。

 コーヒーカップを前に、姿勢良く背筋を伸ばしている。

 まるで、絵画の一場面のようだ。


 私服姿ではなく、朝と同じあの特徴的な制服を着ている。

 周囲の客はスーツ姿のサラリーマンやOLが多い中、彼女の姿は明らかに浮いていた。

 隣のテーブルの女性客が、ちらりと興味深そうにこちらを見ているのが視界に入ったが、すぐに何事もなかったかのように視線を逸らした。

 彼女の放つオーラが、そうさせるのかもしれない。


 英玲奈本人は、そんな周囲の視線など全く気にしていない様子だ。

 さすが、と言うべきか。


「お待たせして申し訳ありません」


 陽が声をかけると、英玲奈は顔を上げ、軽く会釈した。

 その手元には、昨日陽が話した内容がびっしりと書き込まれた手帳と、上質なペンが置かれている。


「いえ、こちらこそ、お忙しい中お呼び立てして恐縮です」


 彼女は静かに告げる。


「早速ですが、椎名様……昨日ダンジョンから持ち帰られたという“魔石”、拝見させて頂いてもよろしいでしょうか」


 英玲奈は単刀直入に切り出した。

 その瞳は、獲物を前にした狩人のように(陽にはそう見えた)ギラリと光っている。

 いや、研究者が未知のサンプルを発見した時のような、純粋な探求心と抑えきれない興奮が入り混じった光かもしれない。


(やっぱり、あの石ころのことか……。そんなに重要なものなのか、あれ……)

(ただの綺麗な石だと思ってたんだけどな……。土産物屋で売ってそうな)


 陽は、おそるおそるポケットから、昨日集めた光る石ころ――魔石をいくつか取り出し、テーブルの上に並べた。


 喫茶店の薄暗いオレンジ色の照明の下でも、それらは内部から淡い光を放っている。

 青、赤、緑……。

 まるで、小さな星々が輝いているようだ。


 英玲奈は、それらの魔石を食い入るように見つめている。

 その眼差しは真剣そのものだ。

 そして、おもむろにカバンから小さなルーペと、何やら細長い金属製のピンセットのような器具を取り出した。


 まるで、精密機械でも扱うかのように慎重な手つきだ。


(なんだ、あの道具……? 宝石鑑定士みたいだな……)

(でも、ここは普通の喫茶店だぞ……。空気が違う……)


 英玲奈は、まず青い魔石を一つ手に取り、ルーペでじっくりと観察し始めた。

 時折、金属製の器具で軽く表面を擦ったり、指で弾いて音を確かめたりしている。

 その美しい眉間には深いシワが刻まれ、彼女が極度に集中しているのが分かる。


 陽は、ただ黙ってその異様な光景を見守るしかなかった。

 コーヒーを注文するタイミングすら掴めない。

 息を呑むような緊張感が漂う。


「……これは……素晴らしい……。純度も非常に高い」


 しばらくして、英玲奈は感嘆の声を漏らした。


「これほどの質のものは、わたくしも滅多にお目にかかれません」

「わたくしも、こうして優れた魔石を鑑定するたびに、初めて魔石を手にした日の興奮を思い出しますわ」


 少しだけ頬が紅潮しているように見える。

 その顔には、純粋な学術的興奮と、目の前の発見に対する驚きが入り混じったような表情が浮かんでいる。


(え……? そんなにすごいの、これ? ただの石ころだと思ってたんだけど……)

(初めて魔石を手にした日、ねぇ……この人にとっては、こういうのが当たり前の日常なのか、やっぱり)


 陽は、自分の認識と英玲奈の評価とのギャップに戸惑う。


「椎名様、この青い魔石は『蒼玉そうぎょくの魔石』と呼ばれるもので、特に魔力を安定させ、増幅させる効果が高い貴重品です」


 彼女は説明を続ける。


「これだけの大きさと、この驚異的な純度となると、かなりの高値で取引されます。例えるなら……そうですね、非常に高性能で大容量な魔力バッテリーのようなもの、とでもご理解いただければ」


(バッテリー……? スマホの充電池みたいなもんか? それが石ころに……?)

(全然ピンとこないけど、すごそうだってことだけは分かる……気がする)


「は、はあ……そうなんですか……」


 陽は、曖昧に頷くことしかできない。

 次に英玲奈は、赤い魔石を手に取った。


「そして、こちらは『紅蓮ぐれんの魔石』……。その名の通り、強力な炎の力を宿しております」

「この透明度と内部の揺らめき……これもまた一級品ですね。質の悪い燃料とは比べ物になりません」


(炎の力……。ますますゲームの世界だ。俺には縁がなさすぎる……)


 陽は、遠い目をした。

 自分とは無縁の世界の話だ。


 さらに、緑色の魔石。


「これは『翠風すいふうの魔石』。軽やかな風の魔力を内包し、主に移動速度を上げたり、探査系の効率を高めます」

「これもまた……素晴らしい! 旅の必需品と言えるでしょう」


 英玲奈は、一つ一つの魔石を鑑定するたびに、興奮を隠しきれない様子で解説していく。

 その専門的かつ、熱のこもった弁舌ぶりに、陽は若干、いや、かなり引いていた。

 まるで、子供のように目を輝かせている。


(この人、本当にこういうのが好きなんだな……。俺には、ただの綺麗な石ころにしか見えないんだけど……)

(まあ、その道の専門家にとっては、とんでもない価値があるってことか)


 一通り鑑定を終えた英玲奈は、ふう、と一つ息をついた。

 満足げな表情だ。

 そして、陽に向き直り、真剣な眼差しで言った。


「椎名様。これらの魔石は、わたくし共『危機管理機構』が買い取らせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」


 彼女は続ける。


「もちろん、相応の対価はお支払いいたします」

「もしご希望であれば、これらの魔石を素材として、椎名様が使用できる何らかの道具に加工することも可能ですが……いかがなさいますか?」


(買い取り……? いくらになるんだろう……。加工して道具に? 俺が使う……?)

(全く想像できないな……。とりあえず、お金になるなら、それが一番助かるけど……)

(でも、これ、俺が勝手に拾ってきたものだしな……。少し罪悪感が……)


 陽は、ふと、そんな真っ当な、しかしこの状況では些か場違いな罪悪感を覚えた。

 しかし、英玲奈はそんな陽の心中を見透かしたかのように、穏やかに続けた。


「ダンジョン内で発見された無主の物品は、基本的に発見者の所有となります。ご安心ください」

「ですから、売却されるか、ご自身のために利用されるかは、椎名様がお決めになることです」


(そ、そうなのか……。なら、まあ、いいか……。持ってても使い道ないしな)

(加工とか言われても、専門的すぎてよく分からないし。そもそも、俺には不要だ)


「は、はい。それなら、買い取りでお願いします」


 陽がそう答えると、英玲奈の顔がぱっと明るくなった。

 まるで、探し物を見つけた子供のように。

 彼女は手早く手帳に何事かを計算し、やがて陽に金額を提示した。


 その額を聞いて、今度は陽が目を丸くする番だった。

 彼の月給の、実に数ヶ月分に相当する金額だったのだ。


(え……? ゼロが……一つ、二つ……いや、俺の月給の三倍以上あるぞ、これ!?)

(あの石ころが、そんな値段になるのか!? まるで錬金術だ……)


 それは、陽の金銭感覚を根底から揺るがす金額だった。


 ただ石ころを拾ってきただけで、こんな大金が手に入るというのか。

 にわかには信じられない。

 何かの巧妙な罠か、あるいは夢でも見ているのではないかと疑ってしまうほどだ。


「これが……最初の『お宝』鑑定依頼、ということになるのでしょうか……」


 彼は呟く。


「いや、依頼されたわけじゃないけど……。ただ、偶然拾っただけなんだが……」


 陽は、呆然と呟いた。

 英玲奈は、満足そうに微笑んでいる。

 その表情は、まるで名匠が傑作を仕上げたかのようだ。


 彼の平凡な日常は、もはや完全に過去のものとなりつつあった。

 そして、目の前には、とんでもない大金と、さらに厄介で、面倒で、そしておそらくは危険なことになりそうな、波乱万丈の未来が、キラキラと(あるいはギラギラと、不気味に)輝きながら広がっていた。

 もう、引き返すことはできない。

 運命の歯車は、静かに、しかし確実に回り始めていた。

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