第31話:観測史上最大級のゲートエネルギーと、政府の極秘会合
その日、
メインモニターには、都心部地下深くの三次元マップが映し出されている。
その一点が不気味な赤色で激しく明滅し、けたたましい警告音を鳴らし続けていた。
赤く染まった地図の中心には、観測データが示す異常な熱量の渦――まるで都市の心臓が鼓動を制御できずに暴れ始めたかのような、不吉な輝きがあった。
「ダメです! エネルギー反応、依然として急上昇中! 予測閾値を大幅に超過! このままでは……!」
オペレーターの一人が、悲鳴に近い声を上げる。
氷川英玲奈は、その報告を、血の気の引いた表情で聞いていた。
表示されているのは、これまでに例を見ない、観測史上最大級とされるゲートエネルギーの奔流。
未曾有の大災害――都市機能の完全な麻痺。いや、最悪の場合には、東京という都市そのものが消滅しかねない。
それほどまでに、これは“絶対的な破壊”の予兆だった。
「……シミュレーション結果は?」
英玲奈は、かろうじて冷静さを保ちつつ問いかける。
別のオペレーターが震える手でコンソールを操作し、モニターに映し出されたのは――都心部を包み込む赤い光と、崩壊していく建造物の群れ。
「……ゲート暴走までの予測時間は……残り、およそ30分……。現時点での有効な抑制手段は……皆無です……」
その言葉に、司令室内は重苦しい沈黙に包まれた。
誰もが事態の深刻さを理解しながらも、打つ手がないという現実に呑まれていた。
英玲奈は、静かに唇を噛む。
その脳裏に――あの記憶が蘇る。
数年前に横浜で発生した「赤霧事案」。
表向きは「原因不明の局地的な大気汚染」と報じられたが、実際には小規模なゲートの不安定化と、そこから漏出した未知の粒子状物質が原因だった。
当時、対応は遅れ、情報も不足し、多くの市民が呼吸困難や視覚異常を訴えた。
危機管理機構は後手に回り、複数の犠牲者――殉職者も含む――を出してしまった。
あのとき守れなかった命。あのとき味わった無力感。
今も、英玲奈の胸に、重くのしかかっている。
(また、同じことを繰り返すわけにはいかない……)
(でも、今のわたくしたちに……一体、何ができるというの……?)
氷川英玲奈の思考は、焦燥と無力感の狭間で揺れていた。
彼女の中には、もう一人の“自分”が、必死に答えを探し続けていた。
(……あの男、椎名陽。彼の行動は、これまでの常識をことごとく覆してきた。科学的根拠は、何もない。でも……彼の持つ、あの底知れない“未知の可能性”に、今はもう……賭けるしかないのかもしれない……!)
英玲奈は、無力感に苛まれながらも、懸命に思考を巡らせる。
何か、突破口はないか。手段は? 方法は?
だが、どれだけ考えても、有効な手立ては浮かばなかった。
ただ時間だけが、容赦なく過ぎていく。
残された時間は、もう30分を切っている。
沈黙が支配する司令室。
モニターに映るエネルギーグラフは、今もなお、容赦なく上昇を続けていた。
その赤いラインは、まるで破滅への道をなぞるように、無情に高まっていく。
誰も言葉を発しない。誰もが理解していた。
この現象は、もはや人知の及ばぬ領域に達しているのだと。
英玲奈は拳を握りしめた。
それでも、諦めたくはなかった。
かつて守れなかったものを、今度こそ守るために。
だが、彼女ひとりの決意だけではどうにもならない。
人の力が及ばぬ場所で、奇跡が必要とされていた。
◇ ◇ ◇
同時刻。
政府官邸の地下深く――危機管理センター。
ここでは、総理大臣をはじめとする主要閣僚たちが集まり、極秘の対策会議が進行していた。
空気は重く、全員の顔には緊張と疲労が滲んでいた。
防衛大臣が、淡々とした口調で現状を報告する。
「……以上が、現在把握している状況です。原因不明の超高エネルギー反応が、都心部地下で急速に拡大しており、このままでは、数十分以内に大規模な災害が発生する可能性が極めて高いとのことです」
報告を終えた室内に、静寂が落ちる。
会議室には、まるで時間が止まったかのような、冷たい空気が流れていた。
「……何か、手立てはないのかね? 自衛隊の出動は? あるいは、在日米軍に協力を要請するとか……」
重苦しい沈黙を破るように、ある閣僚が、震える声で問いかけた。
しかし、防衛大臣は、苦しげに首を横に振る。
「残念ながら……今回の現象は、我々の既知のいかなる兵器、いかなる技術をもってしても、対処不可能なレベルです。下手に手を出せば、被害をさらに拡大させる危険性すらあります。……現時点では、ただ、祈るしか……」
その言葉に、会議室は再び深い沈黙に包まれた。
国家の最高意思決定機関。
それが今、ただ座して災厄を待つだけの存在となり果てている。
誰もが、言葉を失っていた。
資料を配っていた若い内閣府の官僚が、ぽつりと呟くように言った。
「……渋谷には、まだ“例の男”が……いるはずですが……」
しかし、そのか細い声は、重苦しい空気に完全にかき消された。
誰の耳にも届くことはなく、議事録にも残らなかった。
総理大臣は、天井を見上げるように深く息を吐いた。
「……もはや、神に祈るしかないのか……」
その言葉には、指導者としての権威はなかった。
ただ一人の人間として、迫りくる“終わり”に打ちひしがれた、ありのままの弱さがにじみ出ていた。
そしてこの瞬間、誰の頭にも――あの男のことは浮かんでいなかった。
椎名陽。
彼がこれから何気なく行う“いつもの行動”が、この未曾有の危機を、文字通り「無かったこと」にしてしまうなど、誰一人として想像すらしていなかった。
◇ ◇ ◇
その頃、危機管理機構の司令室。
氷川英玲奈は、静かに、しかし確かな決意を胸に、拳を握りしめていた。
「……先輩。わたくしは、もう間違えません。あの時のように、ただ後悔するだけでは終わらせない」
彼女の脳裏に浮かんでいたのは、椎名陽――あの、どこまでも能天気で、規格外の“何か”を秘めたサラリーマンの姿だった。
科学的根拠など、どこにもない。
だが、彼がこれまでに起こしてきた一連の現象は、すべてが偶然と片づけるには、あまりにも連続しすぎていた。
常識では測れない存在。
その“偶然”の連なりこそが、今や彼女にとって、唯一の希望となりつつあった。
(……彼が、持っているのかもしれない。“あの不可解な何か”を……)
英玲奈は、デスクの引き出しを開けた。
中から取り出したのは、一枚の古びたIDカード。
そこには、若く、自信に満ちあふれた先輩エージェントの笑顔が、今も鮮やかに残されていた。
彼はもういない。
だが、その遺志は、確かに英玲奈の中で生きている。
あのとき守れなかった命。
あのとき届かなかった声。
すべてを乗り越えるために――今度こそ、自分が信じた可能性に賭ける。
「……お願いします。あなたが、“何か”を持っているのなら……どうか、今、この都市を……」
それは、祈りだった。
祈りとしか言いようのない、非合理的な願い。
けれど、願わずにはいられなかった。
何もできないわけじゃない。
信じるという行動だけが、いま、彼女に残された唯一の選択肢だった。
氷川英玲奈の瞳には、悲痛と覚悟が入り混じった光が宿っていた。
絶望的な状況の中――
誰にも知られることなく、たった一人の男に託された“希望”だけが、確かにそこに存在していた。
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