第8話:ダンジョン散歩と奇妙な視線

 光る石ころ集めにすっかり夢中になった陽は、気づけばどんどん洞窟の奥へと進んでいた。


 ポケットはずっしりと重く、両手にもいくつかの石を握りしめている。子供の頃に秘密の宝物を集めたときのような、単純で満たされた気分だった。


(こんなにたくさん拾って大丈夫か? まあ、咎められたら謝ればいい。そこらへんに落ちてるただの綺麗な石ころだ、大した価値はないだろう)


 自分に言い訳しながら、陽はさらに歩を進める。足取りは軽い。

 しばらくして、視界がぱっと開けた。予想外に広大な空間が広がっている。


 天井はドーム状に高く、壁の一面には発光する苔がびっしりと張りつき、無数の星が輝く夜空のように荘厳だ。足元には静寂を湛えた小さな池があり、水面は鏡のように静まりかえって、そこから流れ出す微かな水音だけが、神聖さすら漂う空間に心地よく響いていた。


(すごい場所に出たな……。アトラクションだとしても、この作り込みは半端じゃない)


 陽は感嘆の息を漏らし、池のそばに腰を下ろした。ポケットから集めた石を取り出し、地面にそっと並べてみる。青、赤、緑、黄色、そして紫。苔の柔らかな光を受けた石たちは、まるで本物の宝石のように妖しく輝き、神秘的な存在感を放っている。


(こうして見ると、本当に綺麗だ。社長室のデスクに飾ったら映えるかも……いや、さすがに怒られるか)


 ふざけた妄想に小さく笑みがこぼれる。この非日常的な静けさと石の輝きが、日常では得られない穏やかな時間を与えてくれていた。


 ――だが、ふいに、何かが変わった。


 背筋にじわりと、氷のような冷たいものが走る。気のせいではない。はっきりとした「視線」を感じるのだ。誰かが、確実にこちらを見ている。本能が警告を発していた。


 ゆっくりと顔を上げ、周囲を見渡す。だが、見えるのは薄暗い岩陰と、苔の光が届かない深淵のような闇だけ。人影はない。


(いや……誰もいないはずがない。この感覚は“視線”だ。しかも一つじゃない……複数に包囲されているような……)


 監視カメラか、隠れているスタッフか? だが、この気配はもっと生々しい。無機質なレンズからではない、獲物を品定めするような、生き物の冷徹な視線だった。


(まずいな……石を拾いすぎたか? 勝手に持ち帰ろうとしたのがバレたのかもしれない。だとしたら窃盗か……)


 冗談半分の思考が、今は全く笑えない。息苦しいほどの沈黙の中、見えざる何かの圧力が肩にのしかかる。敵意はない。だが、無関心でもない。それは、何かを鋭く見極めようとする、探るようなまなざし。


 陽は息を殺し、気配を探りながら岩陰へと目を向けた。

 すると視界の端で、闇に紛れた小さな影がさっと隠れ、続けて――赤い光が、二つ。闇の中で不気味に揺らめいている。鈍く、しかし確かな光を放つ、目のような何か。それが決して友好的なものではないと、直感が告げていた。


(やっぱり誰かいる。歓迎されている雰囲気じゃないぞ……!)


 陽は反射的に立ち上がった。もしこれが“演出”なら向こうからアクションがあるはずだ。だが、もし“そうではない”としたら? 冷たい汗が首筋を伝う。


 浮かびかけた疑念を必死に振り払うが、不気味な違和感はもう消えない。

 長居は無用だ。気づけば陽は、地面の石を慌ただしくポケットに掻き込んでいた。まるで盗みでも働くような後ろめたさに、胸がざわつく。


 腰を浮かせ、広場を抜けて狭い通路へと足早に戻る。

 けれど、あの視線は影のように追ってくる。逃れられない。むしろ、通路に入ったことで密度を増し、四方八方から突き刺さるように感じられた。


(まだ見られている。数も増えてないか? 一体、いくつ潜んでいるんだ……!)


 背後から、何かが静かに、しかし確実に追ってくる。足音も声もない。ただ、“見られている”という耐え難い圧力だけが、陽の背中を押していた。


(動物園の檻のパンダって、こんな気分か? いや、違うな。今の俺は、肉食獣の檻に迷い込んだ草食動物だ)


 無理に冗談を考えても、気休めにすらならない。足取りはどんどん早くなり、もはや駆け出す寸前だった。

 最初のワクワクした探索は、スリルを通り越し、明確な“生命の危険”を予感させるものに変わっていた。これは、遊びではない。


(落ち着け……これは演出だ。手の込んだ仕込みのはずだ……そうに決まってる……!)


 自分に言い聞かせても、その言葉はもう心に届かない。理性は「イベントの一環」だと信じたがっているのに、生存本能は「逃げろ」と激しく警鐘を鳴らし続けていた。


 それでも、陽はまだ――ほんのわずかに、「楽観」という名の薄皮を被っていた。

 だが、その脆い楽観が打ち砕かれる瞬間は、もうすぐそこまで迫っていた。破滅の足音が、すぐ背後まで忍び寄っていることに、彼はまだ気づいていなかった。

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