第7話:光る石ころ発見伝
ゴブリンたちが、まるで蜘蛛の子を散らすように四方へ逃げ去ったあと、陽はしばらくその場に立ち尽くしていた。
ぽかんと口を開けたまま、今起きたことを脳内で整理しようとするが、どうにも現実感が伴わない。
まるで、質の悪い夢でも見ているかのようだ。
(なんだったんだろう、今の……。やっぱり、ここのキャストさんたちだよな……)
(だとしたら俺、完全に営業妨害しちゃったかもしれないな。可哀想なことをした……)
少しだけ、申し訳ないような気持ちが胸をかすめる。
とはいえ、逃げた相手をわざわざ追いかけて「ごめんなさい」と頭を下げるのも、それはそれで妙な話だ。
そもそも、彼らは彼らで何か慌ただしく、焦っているような雰囲気だった。
もしかすると、次の演出か舞台転換の準備で、時間が押していたのかもしれない。
演劇の世界も大変だな、と妙なところで感心する。
(まあ、いっか。こっちは客なんだし、深く考えても仕方ない)
そう自分に言い聞かせて、陽は気を取り直した。
そして再び、足を前に運ぶ。
ゴブリンたちがいなくなったことで、洞窟の空間は急速に、まるで深淵のような静けさを取り戻していた。
聞こえるのは、革靴が湿った土を踏むサクサクという音と、遠くからぽつ、ぽつと響いてくる水滴の音だけ。
それはまるで、耳の奥に直接響いてくるような、不思議な環境音のようだった。
周囲の壁には、薄く発光する苔がびっしりと張り付き、淡い緑色の神秘的な光を灯している。
それはまるで、空間全体が薄明かりのなかに溶け込んでいるような、幻想的な雰囲気を作り出していた。
美しいが、どこか不気味だ。
だが、先ほどまでの騒動が嘘のように静まり返った今、陽はふと、言いようのない孤独を感じる。
あれだけ“作られた敵”と向き合っていたときには意識しなかったが、こうしてひとりで歩いていると、この非日常の空間がやけに広く、そして底なしに深く思えてくる。
まるで、異世界にでも迷い込んだようだ。
(しかし、この洞窟……本当に駅の地下なのか? それとも、どこか別の、未知の施設と繋がっている……?)
(まさかね。そんなSF映画みたいな話があるわけない)
そんな荒唐無稽な考えが一瞬、頭をよぎる。
だが、次の瞬間には苦笑と共に笑い飛ばしていた。
現実離れした馬鹿げた発想だと、自分でもわかっている。
けれど、もし仮にそうだったとしたら――。
この“体験型アトラクション”が、ただのエンターテイメントではなく、何かもっと大きな、人知の及ばない仕掛けだったとしたら――。
陽は胸の奥に、微かな、しかし確かなざわめきを覚えながら、慎重に、そしてどこか期待を込めて歩を進めていった。
緩やかな下り坂が続く洞窟の通路を、陽は慎重に進んでいった。
左右の壁にへばりついた発光する苔は、相変わらず淡い緑色の光を放っている。
だが、どこか頼りなく、先の見通しはあまりよくない。
天井は低く、空気も徐々にひんやりとしてきており、まるで地の底、あるいは深海へでも潜っていくような、不思議な感覚に陥る。
(それにしても……けっこう奥行きがあるな、この洞窟)
(地下鉄の構内を利用したアトラクションだって聞いたけど、一体どこまで広がっているんだろうか……?)
まるで本当に別世界に繋がっているような、そんなあり得ない気がしてくる。
常識ではありえないとわかっていても、どこか現実離れした、不可思議な空気が、この場所には確かに漂っていた。
それは、日常では決して味わえない、甘美な毒のような魅力。
そんなことを考えていたときだった。
ふと視界の端で、何かがキラリと、まるで星のように光った。
反射ではない。
自発的に、内側から輝いているように見える――そんな不思議な光。
足を止めてしゃがみ込み、地面を探ると、小さな物体がぽつんと落ちていた。
掌にすっぽり収まるほどの、不揃いな形をした石。
一見すると、ただの道端に転がっている小石のようにも思えたが、よく見ると明らかに違う。
表面はまるで熟練の職人が研磨したかのように滑らかで、鈍いが確かな、深みのある光沢を帯びている。
さらに、石の内部からは淡い、しかし確かな光がじんわりと滲み出していた。
まるで、生命を宿しているかのようだ。
色は深い青――夜空の最も深い部分をそのまま切り取って閉じ込めたような、静謐で、吸い込まれそうなほど美しい色合いだった。
(……綺麗だな。なんだか、子供の頃に集めたビー玉みたいだ)
陽は、遠い昔、夢中になって集めていたビー玉のことを思い出した。
太陽の光にかざして見た、あの透明で、無垢な輝き。
無邪気にきらきらとした、幻想の世界を信じていた幼い頃の感覚が、ふと胸によみがえる。
(さっきの、ゴブリンとかいう役者さんたちが落としていったのか?)
(それとも、最初からここに落ちていたのか……。アトラクションの小道具かな)
拾い上げた石をしばらくの間、まじまじと眺めたあと、陽は迷わずそれをポケットへとしまった。
たとえ演出用の備品だったとしても、これくらいの小さな小物なら、記念に持ち帰っても構わないだろう――そんな軽い、子供じみた気持ちだった。
ポケットに石をしまったあとも、陽の意識は完全にその美しい、神秘的な輝きに引き寄せられていた。
歩き出してすぐ、さらに数歩先の地面に、また別の、異なる色の光が見えた。
しゃがんで拾ってみると、今度は燃えるような赤みを帯びた石だ。
深紅の、まるで血のような光が、内側からじんわりと漏れ出している。
それはまるで、燃える小さな、しかし決して消えない焰を閉じ込めたような、情熱的な美しさだった。
さらに進むと、深い森のような緑色の石もあった。
その色は、太古の森の奥深く、木漏れ日が差し込む場所を思わせるような、優しく、そして力強い輝きで、見ているだけで心が安らぐようだった。
どれもこれも、ただの石とは思えない、神秘的な、そしてどこか妖しい光を湛えており、陽は夢中になってそれらを一つひとつ、まるで宝物を探すように拾い集めていった。
(なんだか、宝石集めみたいだな……。子供の頃にやった、宝探しゲームを思い出す)
まるで、秘密の宝探しゲームに夢中になった少年のように、陽はしゃがんでは拾い、また立ち上がっては次の光を探した。
いつの間にか、恐怖心は薄れ、好奇心と冒険心が胸を満たしていた。
暗い洞窟の中にもかかわらず、そのひとつひとつが彼にとっての、かけがえのない“お宝”のように見えた。
どれほど時間が経ったのか、もはや時間の感覚が曖昧になってきている。
もはや自分がどこを歩いているのかも、今となってはあまり気にしていなかった。
ただ、光る石に導かれるように、奥へ奥へと進んでいく。
ふと気づくと、ポケットの中の石たちが、カチカチと、まるで囁き合うようにぶつかる音を立てていた。
その微かな音に、陽の耳が鋭く反応する。
(ん……? 今、石が光ったか……? 音に反応したように見えたけど……)
試しに、いくつかの石を取り出して手のひらの上で軽くぶつけてみる。
カチッ、カチッ。
すると、確かに石たちが呼応するように、一瞬だけ、しかしはっきりとその光を強めたように見えた。
気のせいかと思い、もう一度同じ動作を繰り返す。
また、カチッ――ふわりと、まるで呼吸するかのように光が明滅する。
(これ……まるで、意思があるみたいだな。ただの装飾品じゃないぞ、絶対に)
陽の中で、純粋な興味と、抑えきれない好奇心が、まるで魔法のようにふくらんでいく。
この石には、何か重大な秘密が隠されている――それを確かめたくてたまらなくなった。
もしかすると、すべて集めると何かが起きる、特別な仕掛けなのかもしれない。
ゲームの隠しアイテムのように、豪華な景品がもらえるとか、隠された秘密の扉が開くとか……。
(だとしたら、もっと集めないと損だよな! きっと、すごいお宝が待っているに違いない!)
そう思った陽は、目を皿のようにして、血眼になって次の“お宝”を探しはじめた。
もはや、ただの会社員ではなく、冒険者のような顔つきになっている。
社畜としての過酷な生活で、心身ともに押し潰されていた彼の魂が、この非日常の体験のなかで少しずつ解き放たれていくのを、彼はまだ自覚していなかった。
忘れていた何かが、心の奥底で目覚めようとしていた。
手のひらで石を転がすと、再びカチッと軽い音が鳴った。
その瞬間、石たちはまるでその音に呼応するように、ほんの一瞬だけ、しかし確実にその輝きを強めた。
ただの反射や偶然ではない。
陽は確信する。
これは何らかの、神秘的な反応だ、と。
(やっぱり……意思がある、って言ったら大げさかもしれないけど。これ、ただの演出用の小道具じゃないな)
演出用のアイテムというには、あまりにも精巧すぎる。
光の質も、人工的な光沢というよりは、どこか“生きている”ような、有機的な温かみがあった。
陽は、胸の奥に小さな、しかし確かな期待を抱き始めていた。
これらの石――いや、“何か魔力を秘めた存在”――を集めることで、隠された特別なイベントが始まるのではないか。
そして、その先には、想像もつかないような報酬が待っているのではないか。
それはまるで、子供の頃に夢見た、ファンタジーゲームの中でしか体験できない“隠し要素”のような、抗いがたいワクワク感だった。
(だとしたら、もっと集めないと。全部揃えたら、特別な秘密のルートに入れるとか……そんな、とんでもないご褒美があるかもしれない!)
そう思った陽は、再び前傾姿勢になり、まるで狩人のように慎重に辺りを見回す。
次の“光る石”を求めて、ひとつ、またひとつと、一心不乱に拾い続ける。
気がつけば、彼の心はすっかり“ダンジョン探索モード”に切り替わっていた。
会社の重圧や、うんざりするような人間関係の煩わしさなんて、今はまるで遠い世界の、霞のような話だ。
この薄暗い洞窟の中でだけは、ただ夢中になって宝を集める“冒険心に満ちた少年のような自分”がいた。
そのときだった。
ふと、陽の中に、微かな、しかし無視できない違和感が生まれた。
いつからだろうか。
あれだけ固く信じていた「体験型アトラクション」という前提が、どこか現実から遊離し始めている。
足元が、少しずつ崩れていくような感覚。
(……本当に、これはアトラクションなんだよな? 最新技術を使った、超リアルな……)
だが、自分にそう問いかけたところで、すぐにその言葉を打ち消す。
心のどこかで、そうではないと気づき始めている。
冷静になれ、と必死に自分に言い聞かせる。
現実離れしているのは確かだが、きっと最新のVR技術か何かを使った、よくできた仕掛けのひとつだろう――そう、心の底から信じたかった。
まだ、日常にしがみついていたかった。
だが同時に、もう一人の自分が、心の奥底で冷ややかに囁く。
もしこれが「作られた演出」ではなかったとしたら。
この場所も、この光る石も――もっと別の、人知を超えた“現実”に属するものだったとしたら。
そして、自分はとんでもない場所に足を踏み入れてしまったのだとしたら。
その答えは、まだ見えていない。
だが、確かに陽の胸の奥では、静かに、しかし確実に“世界の前提の崩壊”が始まりつつあった。
日常と非日常の境界線が、曖昧に溶け出していく。
彼はまだ知らなかった。
手の中の石が、後に「魔石」と呼ばれる、強大な魔力を秘めた存在であり、国家間の通貨や戦略物資として流通するほど、途方もなく貴重な資源になるものだということを。
そして、彼が必死に信じようとしていた“アトラクション説”が、今まさに、目の前で崩れ去ろうとしていることにも――。
真実は、すぐそこまで迫っていた。
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