第14話:禁断の魔石、冥府の黒曜石

 氷川英玲奈は、鑑定用の白手袋を装着し、バックヤード奥の解析ブースへと足を踏み入れた。


 室内は気密構造になっており、魔力漏洩や干渉を最小限に抑える仕様だ。温度と湿度は常に一定。光は反射を防ぐ中間調の拡散照明。

 

 この場は、彼女にとって「世界の理を暴くための祭壇」のようなものだった。


 手元のステンレストレイには、先ほど椎名陽が提出した魔石がずらりと並べられている。


 蒼、紅、翠――色彩の美しさに目を奪われそうになるが、英玲奈は分析官としての理性で感情を切り離していた。


 感嘆ではなく、計測。


 驚きではなく、検証。


(……まずは、既存分類に従って順に評価)


 彼女は片手に携帯型『魔力濃度測定器マナ・アナライザー』を取り、蒼玉の魔石にかざす。

 瞬間、ピッ、と控えめな電子音が鳴った。


 モニターに表示されたのは、想定を大きく上回る数値。


「魔力飽和度、98.7%……流動性評価:極めて良好。……分類ランク、特級A」


 静かに読み上げたその声には、わずかに緊張の色が混じる。


 次の紅蓮石。測定器が振動するように音を放つ。


「……飽和度、99.9%。インクルージョン、皆無。……特級S――」


 口をつぐむ。


 信じられない。まるで選ばれた“標本”のように完璧な結晶だ。

 

 自然生成物とは思えない、均整の取れた形状、歪みのない内部構造。まるで誰かが“意図的に”作ったかのような整合性。


(一つや二つなら偶然で片付けられる。だが、この数……)


 翠風石。紫紺石。金色に近い淡光を帯びた未知の結晶。


 測定を続けるたび、数値は跳ね上がっていく。

 通常の市販用トレイでは飽和し、既定上限値を超える項目すら出始めた。


 陽の提出物は、もはや“特級魔石”ではない。


 “未知等級”だ。


(前回の時点で、すでに通常理論から逸脱していた。だが今回は……)


 冷静を装っていても、英玲奈の内心には確かなざわめきが走っていた。


 どれもが、彼女の知識と経験を揺るがす異物だった。


 ここまでの鑑定結果だけでも、危機管理機構の中央本部に緊急報告を上げるに値する。


 彼――椎名陽という存在が、何らかの“超常的干渉を受けている”ことはもはや疑いようがない。


 あるいは彼自身が“干渉源”である可能性すらある。


 ふと、背後の保管ボックスに目を向ける。


 そこには、まだ測定を終えていない魔石がひとつ――他とは明らかに異質な“黒赤い光”を帯びた石が、沈黙して鎮座していた。


(……あれが最後)


 英玲奈は無意識に唾を飲み込む。


 視線の先にあるその石は、ただそこにあるだけで、空気の密度を変えていた。

 

 保管ボックスの中にあった、その石は――明らかに“他とは違っていた”。


 全体に赤黒く、不気味な光を帯びており、角度によってはまるで血のように鈍く脈打って見える。

 見た瞬間、英玲奈の呼吸がわずかに浅くなった。


(……これは、“見覚え”がある)


 だが、ただの既視感ではなかった。

 英玲奈の中に、過去の記憶が電撃のように走る。


 ──新宿ゲート暴走事件。


 あの時、現場に流出したのが、まさしくこれと酷似した魔石だった。

 正体不明のエネルギー暴走、周囲の空間構造の崩壊、次元断裂の前兆。

 死者三十二名、負傷者百九名を出した未曾有の都市型災害。


 その発端となったのが――この石と“同質の反応”を示した、たった一個の魔石だった。


 英玲奈は深く息を吸い、手元のマナ・アナライザーを握り直す。


 解析モードは“特別観測用プロトコル”に切り替え。

 測定限界値の自動拡張、強制データ転送モードを起動。

 慎重に、その石をトレイの中心へと据える。


(警告音が鳴らなければいいけれど……)


 そう思った次の瞬間だった。


 ――キィィィィィィンッ!!


 電子音が突如として甲高く鳴り響いた。

 耳をつんざくような金属的警告音。

 マナ・アナライザーの画面が赤く点滅し、表示がバグのように乱れる。


「っ……!?」


 英玲奈は思わず後退りしそうになる足を踏みとどめ、機器の緊急停止処理を叩き込む。

 だが、表示された断片的な数値が――彼女の全身から血の気を奪った。


「エネルギー飽和度、131%……波動値、規定限界オーバー……。分類不可能……これは……!」


 石の名称が、脳内で閃光のように走る。


 ――『冥府の黒曜石ヘルファイア・オブシディアン』。


 かつて、危機管理機構内でも「封印指定」とされた、魔石の中でも最も危険な“禁忌”。


 その存在は、理論上のみで扱われ、実物の確認例は過去にごくわずか。

 そしてそのほとんどが、“災厄”と直結していた。


(なぜ……これが……)


 英玲奈は歯を食いしばる。

 手のひらが汗ばみ、心拍数が跳ね上がるのを感じながらも、機器の処理と石の封鎖作業を冷静に続けた。


 この石は、ただの魔石ではない。


 “空間”そのものに干渉し、“次元構造”をねじ曲げる。

 封印を誤れば、ここ一帯が一瞬で吹き飛ぶ危険すらある。


(彼は、これを素手で……)


 陽の呑気な声が脳裏に蘇る。


 ――「なんか不気味ですよね、これ。でも、ちょっと綺麗で。触ったら、ぬるっとしてましたけど」


 英玲奈の背筋に、戦慄が走った。


 彼は、触れてはいけないものに“触れてしまった”。

 それを、“何の疑問も抱かず”に、笑顔で持ち帰った。


 無自覚に――世界の均衡を、破壊しかねない力を手のひらに収めて。

 

 両手に残る震えを、英玲奈は深呼吸で鎮めた。


 測定器は停止し、赤い表示は収まりつつある。

 だが、室内に満ちる“異物感”は消えない。


 あの石が放った波動は、ただの高魔力とは異質だった。

 空間そのものを微かに歪める、鈍い圧力――それは言葉にできない本能的な警告として、英玲奈の五感を支配していた。


(……これは、すでに監視対象などというレベルではない)


 陽という男が持ち帰ったもの。

 それは単なる“魔石”ではない。

 世界の法則を蝕む“触れてはならない存在”だ。


 英玲奈は震える指先で、内部通信用の専用端末を操作し始めた。


 分類コードは『D-06』。

 機構が定める中でも、最上位に近い脅威区分。


【臨時報告要旨:コードネーム『ウォーカー』(仮称)】

対象個体:椎名陽

状態:低階層ダンジョンへの高頻度侵入、および特級~禁忌級魔石の継続的持ち帰り

特記事項:冥府の黒曜石と一致する波長反応確認。対象の自覚なし。


 報告の言葉は冷静だ。だが、その行間には、英玲奈の強烈な警鐘が潜んでいた。


(間違いなく、これは“始まり”よ)


 新宿ゲート事件の再来。

 あのとき彼女が目にしたものは、秩序の崩壊だった。


 監視が遅れ、分析が追いつかず、対応が後手に回った結果――


 街は裂け、仲間は死に、記録に残されなかった“何か”が人知れず消えた。


(……私は、もう同じ轍を踏まない)


 どんなに異常で、どんなに理解不能でも。


 理論が追いつかなくても、分析が未完でも。


 目の前に“危機”があると感じたなら、即座に動く。それが、生き残った者の責務だ。


 英玲奈は報告書の末尾に記す。


【提案】対象個体の行動記録を優先監視プロトコルへ移行。

【備考】任意協力の維持を前提としつつ、精神・身体への精密スクリーニングを早期実施すべし。

【危険度補正】暫定レベル:S-(戦略級未満)、緊急再評価推奨。


 ――そう、これはまだ“暫定”だ。

 だが、今後さらに異常な現象が続くようであれば――対象は“戦略級危険個体”として、正式に処理対象となる。


 そうなる前に、どこまで彼に接近できるか。

 どこまで理解し、どこまで引き出せるか。


 英玲奈の心には、恐怖と同時に、微かな“探究”の光も宿っていた。


(もしかしたら、この男は――)


 未だ誰も知らない、“ダンジョンそのもの”への鍵かもしれない。

 

◇ ◇ ◇ 


 数十分後、鑑定を終えた英玲奈はカウンターへ戻り、封印処理を施されたケースを静かに設置した。


 その手つきはあくまで冷静。表情にも動揺の影は見えない。

 だが、背筋に宿る緊張感は隠せなかった。


「椎名様、お待たせいたしました。すべての鑑定が完了しました」


 声は静かで柔らかい。だが、言葉の端々に微かな棘があるのを、陽は――やはり気づいていない。


「おおっ、早いですね。お疲れさまでした、氷川さん」


 陽は気楽な様子で立ち上がると、受領証の控えを受け取りながら、ふと思い出したように言った。


「そういえば、あの赤黒い石……なんかヤバそうな見た目してましたけど、やっぱり危ないやつだったんですか?」


 英玲奈の指が、わずかに止まる。


「……はい。極めて高濃度かつ、取り扱いに十分な注意を要する魔石でした。通常のものとは“根本的に異なる”性質を持っています」


「やっぱり! なんか持ってるだけでゾワッときたというか……。でも、見た目はちょっと綺麗でしたよね。ぬるっとしてたし」


 さらっと言ってのけたその一言に、英玲奈のこめかみがピクリと動いた。


(“ぬるっと”……!?)


 あれほどの禁忌物を、そんな感想で済ませる神経が信じられない。

 いや、正確には――感想ではなく、無邪気な無知。

 

 陽にとっては、ただの“変わった石”でしかなかった。


「……触った際に、体調に変化などはありませんでしたか?」


「うーん、特に……。むしろ調子いいかも? 今日、なんかやたらツイてた気がしますし。通帳もすごいことになってて!」


 にかっと笑う陽。

 その笑顔は、悪意も打算もなく、ただの“純粋な生活者”のそれだった。


(……この男、やはり恐ろしい)


 英玲奈はあらためて思う。

 目の前の人物は、“世界の異常値”だ。


 常識を逸脱し、論理の隙間をすり抜けてくる。

 どれだけ警戒しても、彼の行動は予測できず、意図も読めない。


 そして何より――彼自身が、その事実にまったく気づいていない。


「それと、なんとなくなんですけど……。最近あの場所、ちょっと懐かしい感じがするんですよね。会社より落ち着くっていうか」


 ぞくり、と英玲奈の背中に冷たいものが走る。


 “呼ばれている”。


 その言葉が、頭の片隅で再び点滅する。


「……椎名様、くれぐれも……無理はなさらないでください」


 英玲奈は慎重に言葉を選び、表情を崩さずにそう告げた。


「もし、体調や意識に違和感を覚えた際は、必ずご連絡を。わたくし共で、可能な限りのサポートをさせていただきます」


「え、あ、はい。ありがとうございます。……なんか、保健室の先生みたいですね」


 へらっと笑いながら、陽はペコリと頭を下げた。


 その背中が、のんびりとエレベーターホールへと消えていくのを見届けながら、英玲奈は、そっと息を吐いた。


(これは、もはや個人対応の域ではない。……早急に、上へ繋がなければ)


 だが、その一方で――どこか滑稽さすらあるやり取りに、心のどこかが微かに揺れる。


 あの男は、“異常”だ。


 だがその異常性が、もしかすると――“災厄を終わらせる鍵”になる可能性も、否定できない。 


◇ ◇ ◇ 


 カウンターが静寂を取り戻す頃、氷川英玲奈はひとり端末の前に座っていた。


 目の前には、ほぼ完成した内部報告書の下書き。


 そこには冷静かつ正確な文体で、椎名陽に関する観測データ、提出魔石の性質、危険度評価、対処案の概要が記されていた。


 だが、そこに記された情報は、あくまで“事実”に過ぎない。

 本当の“恐怖”は、文章では伝わらない。


(……これは、ただの運ではない)


 陽が持ち帰った魔石は、偶然でもまぐれでもない。

 そこには確かな“傾向”があり、“規則性”があった。


 彼は、“何かに導かれて”いる。

 あるいは――“選ばれている”。


(それが、世界にとって吉か凶かは……まだ、分からない)


 手元の書類を一度閉じ、ふとタブレットのモニターに映る警戒レベル一覧に目をやる。


 ここ最近、各地の“ゲート”は微弱ながらも異常を示し始めていた。


 検出レベル1未満の次元揺らぎ。マナ濃度のわずかな上昇。

 今は見過ごされる程度の揺れだが、それは確実に“兆し”だった。


 変化が始まっている。

 そしてその渦中に、椎名陽という男がいる。


(彼が災厄を引き寄せる“起点”なのか、それとも……)


 それとも、“未来を切り開く異物”なのか。


 英玲奈はそっと椅子にもたれ、天井を仰いだ。


 過去の悲劇の記憶が、背後からそっと手を伸ばす。

 だが、それに縛られるわけにはいかない。


 今、目の前にいる“観測不能の存在”に、どう向き合うか。

 それは、彼女に与えられた、新たな命題だった。


(まだ間に合う。……なら、私は全力で、向き合うだけ)


 報告書の件名を入力する。


【件名】特異個体『ウォーカー(仮)』に関する中間報告

【宛先】上級分析局/対次元災害研究班/特異存在対応課(暫定)


 そして、最後の確認を終えると、送信ボタンに指をかけた。


 一瞬だけ迷い、しかし迷いを断ち切るように――タップ。


 小さな音と共に、報告書は機構内の中枢ネットへと流れていった。


 その情報が、どれほどの波紋を呼ぶのか。

 どれだけの未来を左右するのか。今は、まだ誰にも分からない。


 ただひとつ確かなことがある。


 ――椎名陽は、世界を変える“何か”をすでに掴んでしまっている。


 それが“偶然”の皮を被った、“運命”であるのなら。


 英玲奈たちは、それに抗い、読み解き、向き合うしかない。

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