第5話:スライム? 新種のペットかな

 緑色の小人たち――陽が心の中で「ゴブリン(仮)」と名付けた存在――は、互いに顔を見合わせ、露骨に混乱した様子を見せていた。


 自分たちの攻撃が一切通じないという現実に、彼らの小さな脳では処理が追いついていないのだろう。


 棍棒を握りしめたまま呆然と立ち尽くす者、震えながら後ずさる者、果ては棍棒を取り落とし、地面にへたり込む者までいる。


(あれ? もしかして、もう終わりなのかな? この場面の演出が終了した、とか)


 唐突な変化に戸惑いながらも、陽はそう解釈することにした。


 下手に刺激して、また襲われるのも面倒だ。

 今なら、敵意を向けられないうちに立ち去ることができる。

 そんな判断が、陽の中で素早く下された。


 彼は足音をできる限り抑えながら、その場をそっと後にした。


 洞窟の奥へ向かって歩みを進めると、背後ではまだ小人たちがギャーギャーと騒いでいる声が聞こえてきた。


 しかし、もう振り返るつもりはなかった。

 あれ以上関わる必要はない――陽はそう割り切る。


(にしても、あの演出……手が込みすぎだろ。あの着ぐるみ、よく見たら肌の質感とかやけにリアルだったし。最近の技術って本当にすごいんだな)


 歩きながら、陽は先ほどの出来事を反芻する。


 攻撃の一切が通じなかったことも不思議だが、あの反応も明らかに演技にしては過剰だった。


 逆に言えば、それだけ演出がリアルだったということかもしれない。


 それにしても、ここまで本格的だとは思わなかった。

 照明も、衣装も、演技も、どれを取っても現実と見紛うほどの完成度。


 その分、陽の中で「これはアトラクションだ」という前提が、かろうじて信じられる支えにもなっていた。


 だが、この異様に精巧な世界の奥には、まだ何が待っているのか――

 その予感と、ほんの少しの不安を抱えながら、陽は黙々と前へと進んでいった。


 しばらく歩くと、道は次第に狭くなり、圧迫感が増してきた。


 左右の壁が迫り、頭上の天井も低く感じる。

 発光する苔がびっしりと張り付いた壁は、さっきよりも光が弱まっているように見えた。


 それでも、足元を照らすには十分で、ぼんやりとした明かりの中を、陽は慎重に進んでいく。


 すると、前方の暗がりの奥から、別種の光がゆらゆらと揺れながら近づいてきた。

 その光は青白く、どこか幻想的で、同時に不気味さも感じさせる淡い輝きだった。


(今度はなんだろう……。この感じ、ちょっと怖いな)


 警戒しながら角を曲がると、そこにはぽっかりと開けた空間が広がっていた。


 そしてその中央に、青白い光の正体があった。


 それは、半透明のゼリー状の塊だった。

 大きさはバスケットボールほどで、表面はつるりとしており、内部には何かがゆっくりとうごめいている。


 静かに揺れながら、自ら光を放っているその存在は――まるでゲームで見たことのある、あのモンスターのようだった。


(……スライム? うわ、本当に出てきたよ)


 陽の脳裏に、ファンタジー作品でおなじみのあの“弱モンスター”の姿がよぎる。


 ついさっきまで戦っていた緑の小人たちといい、この場所はやはり徹底して「異世界ファンタジー」を再現する演出らしい。


(よくできてるなあ、これも。プルプルしてて、妙に可愛い)


 目や口といった器官は見当たらないが、不思議な生命感がそこにはあった。


 陽が眺めていると、そのスライムがゆっくりと動き出し、ペチャ、ペチャ、と小さな音を立てながらこちらに近づいてくる。


(お、こっちに来るのか? これも体験型のイベントか何かかな? 道案内とか……あるいは、ふれあい系のやつかも)


 先ほどのゴブリンたちとは違い、このスライムからは攻撃的な雰囲気は感じられない。


 むしろ、どこか人懐っこさすら漂っていた。


 陽の足元まで来たスライムは、ふにゃりと動きを止めると、その体の一部をそっと彼の靴に押し当ててきた。


(ん? 甘えてる……のか?)


 その様子に、陽の緊張は少しずつ和らいでいった。


 靴にそっと触れてきたスライムは、まるで何かを確かめるように体をくにゃりと動かし、柔らかく押し当ててくる。


 ひんやりとした感触が、じんわりと革越しに伝わってきた。


(これ、やっぱり甘えてるのか……?)


 陽はしゃがみ込み、スライムをまじまじと観察した。

 目も口もない。ただのゼリー状の不定形な塊だ。


 だが、それでも確かに「生きている」と感じる。反応があり、存在感がある。

 そして何より、その動きが、どこか愛らしかった。


(これ、ペットとして売り出したらマニア受けしそうだな。手間はかかりそうだけど……エサとか何食べるんだろ)


 そんな軽口が浮かぶ程度には、陽の警戒は薄れていた。


 スライムはやがて靴から離れ、今度はズボンの裾にぴとりとまとわりついてくる。

 ぬるりとした冷たさが伝わるが、嫌な感じではない。むしろ心地いい。


(……なんだか、犬とか猫みたいだな。人懐っこい)


 陽は思わず笑みを漏らす。


 この小さな存在のふるまいに、心がふっと緩んだ。


 会社でのストレス、日々の疲れ。

 そうしたものが、この不思議なスライムとの触れ合いの中で、ほんの少しだけ和らいでいくような気がする。


 スライムは陽のまわりをくるくると巡り、ときには足元にすり寄り、ときには手の近くに体を寄せてくる。


 その仕草はまるで「もっと構って」と言っているかのようだった。


(これ、かなりの当たり演出なんじゃないか……? 癒し効果抜群だぞ、これ)


 陽の気持ちは、いつの間にかすっかり和らいでいた。


 自分がいま洞窟の奥深くにいるという事実も忘れてしまいそうになるほど、スライムの存在は穏やかで、優しかった。


 しばらくそのふるまいを楽しんだ後、陽はゆっくりと立ち上がった。

 ずっとこうしているわけにもいかない。

 どんなに心地よくても、先へ進まなければならない。


「……ありがとな」


 小さくそう呟き、陽はスライムに別れを告げて歩き出した。


 スライムはしばらく名残惜しそうに後をついてきたが、やがてその場に留まり、静かにプルプルと震えていた。


 青白い光が、ほんの少しだけ、寂しげに揺れているように見えた。


(出口はまだかな……。さすがに、そろそろ普通の場所に出たいんだけど)


 洞窟の奥へと歩きながら、陽はふと現実的なことを考え始めていた。


 どれだけ演出が凝っていても、いつまでもこんな異空間に居続けるわけにはいかない。


 最初こそ楽しくて夢中になっていたが、徐々に意識の中に「時間」という概念が戻ってくる。


 明日の仕事に支障が出る。――いや、もう日付は変わっている。

 このままだと数時間後には、またあのストレスまみれの日常が始まるのだ。


(いくら面白くても、さすがに長すぎるよな……。早く出口を見つけないと)


 そう思った瞬間、なぜか周囲の空気が少し重くなったように感じられた。


 先ほどまで幻想的だった苔の光も、今はどこか色あせ、不気味にさえ見える。


 まるで“魔法の空間”だったはずのこの場所が、現実のフィルターを通して眺め直されたように思えた。


 背後を振り返ると、スライムはもう見えなくなっていた。


 あのときのやわらかな光も、温かい感触も、すでに記憶の彼方へと消えかけている。


 陽は少しだけ歩調を速めた。

 急いでいるわけではない。

 ただ、早く戻りたいという気持ちが、自然と足を動かしていた。


(非日常ってのは、ほんの少しで十分なんだよな……。現実に戻れなくなったら困るし)


 そう自分に言い聞かせながらも、どこか割り切れない思いが残る。


 スライムとのふれあい、あの静かな癒し――それらは確かに心地よかった。

 だが、その余韻さえ、今は現実の時間感覚に押し流されていく。


(けど……本当に、これ全部“アトラクション”なんだよな?)


 一瞬、そんな疑問が脳裏をよぎる。


 演出にしてはリアルすぎる光や質感。生き物のように反応するスライム。


 ――考えすぎだ、とすぐに打ち消した。

 だが、確かに“前提”が揺らぎ始めているのを、陽はうすうす感じていた。


 足元の苔が、どこか冷たく鈍く光っていた。


 現実へと戻る道を求めて、陽は無言のまま、さらに奥へと足を進めていった。

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