第4話 わたしの名前、誰が呼んだ?

「ねえ、これ洗濯機に入れといて」

「ちょっと、あんたさ、トイレットペーパー買ってきてよ」

「そこにいる“あの子”、掃除好きでしょ?」


セリナは、無言で動く。


ふと気づく。

誰も、彼女の名前を呼ばない。


名前というのは、存在の輪郭みたいなものだ。


セリナは昔から、静かな子だった。

自分から話しかけることはほとんどなくて、

言われたことをこなすのが“一番面倒じゃない”生き方だった。


気づけば、家族の誰もが、

「セリナ」ではなく「あなた」「あんた」「あの子」と呼ぶようになっていた。


スーパーの帰り道、買い物袋を両手に下げながら、

セリナは自分の中にぽっかり穴が空いているような気分になる。


重い袋よりも重たいのは、「自分って何者なんだろう」という、形のない問いだった。


夕食時。

「あなた、スプーン取って」

「はいはい、そっちの子、洗い物よろしく」

「“あの子”って、ほんと家事だけはできるのよね」


テーブルに並んだ料理は、セリナが作ったもの。

でもその存在も、“誰か”がやった便利な作業として処理される。


それはまるで、ロボットに「ありがとう」と言わないような、そんな扱い。


夜。

自分の部屋に戻り、スマホを開く。

ふと、フォロワーから来ていた通知を見る。


「セリナさん、今日の投稿も参考になりました!私も干し方、真似してます!」


その一文を見た瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。


“名前で呼ばれる”って、こんなに温かいんだ。


「セリナさん」


「セリナさん」


「セリナさん」


コメント欄を見返してみると、

そのたびに呼ばれていた“名前”が、何かを取り戻すように自分に響いてくる。


画面の中の文字なのに、誰よりも自分を見てくれている気がした。


夜、洗面台で顔を洗いながら、鏡に映る自分をじっと見る。


「……ねえ、セリナ」


小さくつぶやいた自分の声が、

まるで、どこかで置き忘れていた自分を呼び戻してくれたような気がした。


🧹つぶやきメモ

名前を呼ばれるって、存在を“受け入れられてる”ってことなのかもしれない。


家族の中で、いちばん言われなかった言葉だった。


✅次回予告(第5話:洗濯物は、干し方で変わる)

セリナが、ふと深夜に撮った「洗濯の干し方動画」が、思いがけず伸び始める。

誰にも教わらずに身につけた家事スキルが、初めて“価値”として認められる瞬間。

彼女の中に、「伝えること」の喜びが芽生えはじめる――。


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