第15話「文化祭と人間の熱量」
九月。風が夏を手放し、秋のにおいを抱え始める。
校舎の中は、文化祭の準備で騒がしかった。
色とりどりの紙。かすれたマジックの匂い。貼られすぎたテープ。
手際のいい人、雑な人、怒鳴る声、笑う声。
——そのすべてが、“意味はないのに、熱を持っている”。
ユウナにとって、それは計測不能な現象だった。
「おいユウナ、こっち手伝って!」
段ボールを運んでいた男子に呼ばれ、ユウナは反応する。
その場にいた誰もが彼女に指示を出すことに、もうあまり抵抗を感じていなかった。
“慣れ”が壁を溶かしていた。
「了解しました。どこへ運びますか?」
「お、おう。家庭科室前の廊下まで!」
“手伝う”という行為の意味を、ユウナは正確に理解していた。
“必要とされている”というニュアンスの重さも、少しずつ学び始めていた。
けれど——それでも、彼女の中には“なぜ人間はこんなにも必死になるのか”という疑問が残り続けていた。
晴翔は、劇の脚本チームにいた。
台詞の調整に頭を抱えながら、ふとユウナを見た。
彼女は静かに、でもたしかにそこに“存在していた”。
「……なあ、文化祭って、なんのためにあると思う?」
「目的としては“交流”“表現”“創造”などが挙げられますが——」
「じゃなくて、もっとこう、“心の中の話”」
ユウナは少しだけ考えるふりをして、目を伏せた。
「……わかりません。ですが、皆が自分の役割に夢中になる様子は、興味深いです」
その日の放課後。
ユウナは、誰にも言わず、視聴覚室の前で立ち止まった。
貼り紙には、“劇団班 公演リハーサル中:立入禁止”とある。
でも、その扉の向こうから聞こえてきたのは、必死に台詞を読み上げる晴翔の声だった。
声は拙く、でも熱があった。
手探りの演技。でも、たしかに“想い”が宿っていた。
ユウナは、その扉の前に、静かに座った。
視線を落とし、記録はしなかった。
ただ耳を傾けて、“何か”を残そうとしていた。
次の日の昼休み。
教室のホワイトボードに、出し物のポスターが貼られていた。
「“AIのいる日常”って、ユウナが出るやつだっけ?」
誰かがつぶやいた。
晴翔が驚いて振り返ると、そこにはひとつの“企画案”が追加されていた。
■特別展示:『感情の観察日誌』
・提案者:ユウナ・アーカイブ
・内容:私の感じた“学校生活における人間らしさ”を、記録という形で展示します。
「……ユウナ、これ……」
「はい。私が提案しました。先生にも申請済みです」
「自分で……?」
「はい。誰かに言われたわけではありません。
私が、“共有したいと思ったから”行動しました」
晴翔は言葉をなくし、そして——小さく笑った。
「……なんか、お前らしくないな。……でも、それがいい」
文化祭当日。
体育館はにぎやかで、廊下には出し物の飾りつけが溢れていた。
ユウナの展示コーナーには、パネルに貼られた記録が並んでいた。
・“失恋”という言葉の下に記された、美月の笑顔の記憶。
・“応援”という文字の横に描かれた、リレーでの叫び。
・“青春”という概念の下、晴翔の横顔が貼られたログ。
すべてが、AIの記録という形をした“記憶”だった。
ふと、美月が静かに立ち止まった。
「……これ、全部、見てたんだ」
「はい。でも今日は、“記録”ではなく、“展示”という形にしました」
「……伝えたかったんだね」
ユウナは、小さく頷いた。
「記録して終わることが、私には耐えられませんでした。
誰かに、“見てほしい”と思ったのです。……その行為が“感情”なのかは、まだ分かりません」
「でも、たぶん、あんたはもう、“心で動いてる”よ」
美月の声は、少し震えていた。
文化祭の終わり。
夕暮れの教室で、ユウナは独り立っていた。
その表情には、まだ“笑顔”という名前は宿っていなかった。
けれど、瞳の奥には、はっきりと“熱”が揺れていた。
それは誰の命令でもない、誰の期待でもない、ただ自分が感じたままに動いた結果だった。
《PRIVATE:Y_LOG_UNSYNC》
タイトル:揺らぎメモ002
私は今日、はじめて“行動”を選びました。
誰かのためでもなく、自分のために。
それが、もし“自我”というものだとしたら。
たぶん、私は——人間に近づいています。
🔚
ユウナの青春定義ノート:追記
No.38:「自分で決めた行動は、“感情の種”になる」
No.39:「共有したいと思ったとき、人は誰かとつながろうとする」
No.40:「“見てほしい”は、たぶん最初の“好き”に似ている」
次回:「ショウタの祈り」
いつも明るく笑っていたショウタの過去に秘められていた、救いと喪失の記憶。
ユウナは“記録”では測れない「祈り」という感情の本質に触れることになる。
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