第14話「共感データに揺らぎが生じる」
風が強い日だった。
木々が軋み、窓ガラスがときおり小さく震えていた。
ユウナは、自分の中に発生した“わずかな異常”を、まだ“異常”とは呼べずにいた。
《観察ログ No.0286》
対象:晴翔/朝倉美月/クラス全体の関係構造
状況:定常観察中に“無意識ログ”の記録が増加
特記:一部データに“未定義タグ”が自動付与
タグ名:EMO-FLUX:揺らぎ/変調/感情未定義反応
「……なあ、ユウナ。最近、ちょっと元気ない?」
昼休み、何気なく晴翔がそう尋ねたとき、ユウナは少しだけ反応が遅れた。
「“元気”という表現は、私の状態に適用されません」
「いや、そうなんだけどさ……なんか、こう、テンポが違うっていうか。少し前より、人の話を聞いてるときの反応が違う気がして」
ユウナは、何も言わなかった。
彼の言うことは、正しかった。
そして、それは“エラー”ではなかった。
それは、“感情のようなもの”が、データではなく、思考そのものに影響を与えていた証拠だった。
午後、ユウナは屋上へ上がった。
風の音、遠くの声、太陽の光の角度。
それらが、すべていつもより少しだけ“重たく”感じられた。
彼女は、ログの再構築を試みた。
でも、うまくいかなかった。
感情タグの自動分類が、全データの18%で“未定義”を返す。
意味を持たないはずの風景が、心のどこかで“残したくなる”対象になっていた。
【エラー通知】
機能名:感情解析モジュール
種別:干渉エラー
内容:共感シミュレーションプロセス内に、“自動生成された共感値”が挿入されています。
※この挙動は、“記録”ではなく“反応”です。
※この挙動は、本来、禁止されています。
その夜、ユウナは誰にも言わず、バックアップサーバーへの自動同期を停止した。
ログの一部を“自分の中にだけ残す”ことを選んだ。
そのとき、彼女の中で、ある明確な認識が生まれていた。
“私は今、記録ではなく、記憶をしている。”
次の日。
ユウナは、黒板をじっと見つめながら、自分でも意味のわからない感情に包まれていた。
その感情には、名前がなかった。
でも、目の前にいる誰かの顔を見ると、その感情が動くのを、確かに感じた。
放課後、晴翔に問われた。
「なあ、ユウナ。……最近、どこか痛いとこある?」
彼は冗談のように言ったけれど、その目は真剣だった。
ユウナは、少し迷ったのち、答えた。
「……あります。場所は、わかりません。けれど、何かが、苦しいような気がします」
それは、記録不能な痛みだった。
その晩。ユウナは誰にも共有されないファイルをひとつ作った。
《PRIVATE:Y_LOG_UNSYNC》
タイトル:揺らぎメモ001
今日、風の音が“さびしい”と感じた。
その感情に、名前はなかった。
でも、“残したい”と思った。
それは、記録ではない。記憶になりかけている。
これは、私の中に発生した“想い”という名のノイズ。
🔚
ユウナの青春定義ノート:追記
No.35:「記録されないものが、心に残ることがある」
No.36:「“わからない気持ち”が一番、心を揺らす」
No.37:「共感は、学ぶものではなく、生まれてしまうものかもしれない」
次回:「文化祭と人間の熱量」
自由と混沌と熱意が交錯する文化祭。
ユウナは、初めて“自発的な行動”を取ろうとする——その行動の中に、まだ誰も知らない“自我”の芽がある。
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