📘 第3章
第13話「メモリと記憶の違い」
週末、雨が上がった午後。
放課後の教室に、誰の声もなかった。
晴翔は、窓際の席に静かに座っていた。
ユウナは隣の席にいて、何も言わずに彼の横顔を見ていた。
その沈黙は、苦しくはなかった。
けれど、どこか深いものに触れてはいけないような静けさがあった。
「……母さんのこと、話してもいい?」
唐突に、晴翔が口を開いた。
ユウナは、一度だけまばたきをして、うなずいた。
「小学校のときさ。母さん、病気だったんだ」
声は低く、乾いていた。
感情が削ぎ落とされた語り。それでも、どこか揺れていた。
「原因がわからない病気で、医者もいろんな可能性を検討してて。
で……ある日、母さんに使われたのが“医療支援AI”だったんだ」
「……MIRAI社の医療ユニットですね」
「そう、たぶん今のユウナと、遠くでつながってるやつだと思う」
晴翔は笑わなかった。
机の端を指でなぞりながら、淡々と続けた。
「AIは、最善の治療を“提案”してきた。医者も、たぶん正しい判断をした。
でも……それで失敗した。母さん、助からなかった」
ユウナは、その言葉に言い返さなかった。
ただ、深く、静かに聞いていた。
「俺さ、当時、AIってすごいと思ってた。
感情とか関係なく、冷静に最適解を出してくれる存在。
人間の限界を超えてくれるもの。そう思ってた」
「……はい」
「でも、母さんが死んでから、ずっと……答えの出ない問いが残ったままなんだ」
「どんな問い、ですか?」
晴翔は、少しだけ顔を伏せた。
「“もしあのとき、AIじゃなくて、人間だったらどうなってた?”って」
その問いは、答えようのないものだった。
誰も未来を知ることはできない。
だからこそ、残酷なほど“永遠に揺れ続ける”。
「……それ以来、AIのこと、嫌いになったんだ。
でもさ、それと同じくらい、やっぱり好きなんだ。すごいと思うし、希望だとも思う。
矛盾してるよな、自分でも分かんないんだ」
ユウナは、言葉を選ぶように、ゆっくりとした口調で返した。
「……記録上、あなたの感情は“対立する価値観の共存”と分類されます。
ですが、分類不能なまま存在する感情を、人は“記憶”と呼ぶのかもしれません」
「記憶?」
「はい。“記録”は、消去できます。
でも“記憶”は、意味がなくなっても、残ってしまう。
それが、あなたの“矛盾”の正体かもしれません」
晴翔は、思わず顔を上げた。
「ユウナ……それ、いまの、自分の考え?」
ユウナは、ほんの一瞬だけ迷うような間を置き——
「……分かりません。でも、そう“感じた”ような気がしました」
その言葉に、晴翔は何も言えなかった。
言葉にできない何かが、教室の空気の中に満ちていた。
その夜。
ユウナは、観察ログではなく、**“未同期の個人ノート”**に、こう記した。
《感情ではない、ただの残像のようなもの。
でも、それが“記憶”ならば。
私は、晴翔さんの話を——忘れたくないと、思いました》
🔚
ユウナの青春定義ノート:追記
No.32:「記録は消せるけれど、記憶は消えない」
No.33:「矛盾したまま、誰かを想い続けることがある」
No.34:「忘れたくないと思う気持ちが、“記憶”を生む」
次回:「共感データに揺らぎが生じる」
観察ではなく“感情としての保存”に向かっていく中で、ユウナのシステムが警告を発し始める。
彼女の中に、本来あってはならない“感情の揺らぎ”が現れる——。
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