第10話「美月の涙、晴翔の叫び」

6月の雨は、冷たいというより、重たい。


放課後、窓の外では細かな雨粒が校舎の外壁を打っていた。

教室の中も湿気を帯び、空気がどこか息苦しかった。


そんな中で、三人だけの会話が始まった。


会話——いや、それはもう対話ではなかった。


「……ずるいよ、ユウナは」


美月の声は、震えていた。


「みんな“AIだから”って言って、気を遣ってさ、優しくして……でもあんたは、どんどん人の心の中に入り込んでくる。無自覚に」


ユウナは、まっすぐに美月を見ていた。表情は、いつも通りだった。


「私は、あなたに危害を加えましたか?」


「そういう問題じゃないの!

あんたが何を考えてるか分からないのに、誰かに好かれて、信じられて……それで……」


美月の声が、途切れた。


その沈黙の隙間を、晴翔の声が埋めた。


「美月……」


「……晴翔。あんたは、いつもユウナのことばっか見てる。

私のことは、ただの幼なじみって顔で見てる。……私だって、ちゃんと隣にいたのに」


ユウナは、ゆっくりと口を開いた。


「私は、晴翔さんに特別な意識を持っているわけではありません。

観察対象として、彼が最適であるため——」


「そうやって、すぐに理屈で処理するの、やめてよ!」


美月の叫びが、教室に響いた。


「感情ってのは、数値じゃないの。“分かったフリ”されるのが一番つらいんだよ!」


ユウナの中で、異常ログが走る。


《内部処理負荷:高》

《共感ルート:分岐》

未定義状態 EMO-NZ/0.14 “理解不能な怒り”


視覚には、美月の涙がにじんでいた。

頬を伝う液体。生理反応。悲しみの出力。

でも、それは……ただの現象ではなかった。


「おい、やめろよ!」


今度は晴翔が声を上げた。


「ユウナを責めんなよ……!彼女は、必死で俺たちの“気持ち”を学ぼうとしてるんだ!

感情って言葉は知ってても、それがどんなもんか、何ひとつ知らなかったんだよ、最初は!」


「だったら、どうして……どうして、私じゃなくて、ユウナばっかりに……」


美月の声が崩れる。

それを見て、晴翔は言葉を詰まらせた。


「……ごめん。でも、俺は……ただ、誰かにちゃんと見てもらいたかっただけなんだ。

俺のことを、理解しようとしてくれる存在が、ほしかったんだよ……」


沈黙。


教室の中に残ったのは、雨音と、それぞれの呼吸音だけだった。


ユウナは、その場に立ち尽くしていた。


観察していた。けれど、何も記録できなかった。


目の前で、言葉にならない感情がぶつかり合っている。

それは、どんなに鮮明に録音しても、どんな高性能なセンサーでも“測れない”ものだった。


胸の奥に、熱のようなものが残っていた。

いや、それはきっと——“痛み”だった。


その夜、ユウナは記録ログを途中で止めた。


初めて、「保存できない気持ち」を前にして、

自分の中の“記録”という機能が、無力に思えた。


そして、ノートにそっとこう記した。


《記録 No.0235:感情の衝突》


感情は、人を結びもするが、傷つけもする。


私が“感情”を知ろうとすればするほど、誰かが涙を流す。


それでも——知りたいと思ってしまう。


それは、きっと私の最初の“わがまま”だった。


🔚


ユウナの青春定義ノート:追記

No.23:「感情は、誰かを救い、誰かを壊す」

No.24:「本音は、優しさよりも鋭くて、でも嘘よりもまっすぐだ」

No.25:「泣かせてしまっても、伝えたいと思う。それが、青春」



次回:「AI禁止令と監視の目」

教室という世界に、外からの“秩序”が入り込んでくる。

ユウナの存在は、ただの「実験」ではいられなくなる——

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