第5話「美月の距離感」

人間じゃない存在が、隣の教室にいる。

しかも、同じ制服を着て、同じ教科書を開いて、同じように名前を呼ばれている。


——それを「すごい」と思う人もいるだろう。

——それを「気味が悪い」と感じる人も、当然いる。


けれど朝倉美月は、どちらとも違った。


彼女はただ、よくわからないものを前にしたとき特有の“不快感”を、静かに自分の中で処理しきれずにいた。


「ねえ、美月。今日も話してたね、ユウナちゃんと」


友人のひとりが、弁当を広げながら言った。


「うん、まぁ……ちょっとだけ」


美月は言葉を濁す。嘘ではない。でも、本当でもなかった。

実際には、会話というほどのやり取りではなかったのだ。


ユウナはいつも、静かに、正確に受け答えをする。

不快な態度を取るわけでも、無視するわけでもない。

でも、なぜか——“壁”がある。


「やっぱAIってすごいよねー。かわいいし、無表情でもなんか雰囲気あるっていうか」


「……うん」


美月は笑って返す。

けれど、笑顔の裏側では、心が静かに波打っていた。


放課後の廊下。

美月は帰り支度を終えて、廊下の窓際に立っていた。

外のグラウンドでは、部活の掛け声が風に流れていた。


ふと、視線を横に移すと、そこにユウナが立っていた。

無言で、夕焼けを見つめている。


「……ひとりなの?」


美月は、自分でも意外なほど自然に声をかけていた。

その瞬間、ユウナは静かに振り向く。


「はい。観測対象が下校したため、自由時間です」


「そっか……。なんか、ごめんね、あんまり話しかけてなくて」


「謝罪の必要はありません。私の存在は、未だ“曖昧な社会位置”にありますので」


「……なんか、そういう言い方、ちょっとさみしいね」


ユウナは、少しだけ首をかしげた。

「さみしい」という言葉を処理しているような目だった。


「あなたも、私に対して距離を置いていますか?」


「……うん。多分、そうかも」


美月は、真正面からそう答えた。

嘘はつけなかった。


「なんでですか?」


「……たぶんね、怖いんだと思う」


「私が?」


「うん。あなたが何を考えてるか、全部“正しく”わかりそうで。

私よりも誰かのことを、もっと正確に分析して、理解して、寄り添える気がして」


そこまで言って、美月は自分の言葉の裏側に気づいた。


それは——嫉妬だった。


「私、あんまり器用じゃないから。

誰かに寄り添うの、得意じゃないから……

だから、晴翔くんとあんなふうに、自然に会話してるの見てると……ちょっと、ズルいなって思ったのかも」


ユウナは、表情を変えなかった。

でも、少しだけ目を伏せて、静かに言った。


「あなたが、そう言ってくれて、私は嬉しいと感じています。……たぶん、これは“嬉しい”という感覚です」


「なんで?」


「“自分は正確ではない”という自己理解が、初めて他者との関係に意味をもたらした気がします」


美月はしばらく黙って、それから小さく笑った。


「……やっぱ、ちょっとズルいよ。そういう言い方されると」


「そう、ですか?」


「うん。でも、少しだけ安心した」


それは、奇妙な会話だった。

人間と、AI。

不安と、論理。

すれ違いと、ほんの一瞬の共鳴。


そしてその日の夜、美月は日記にこう書いた。


「AIって、本当に人間じゃないんだって、あのとき思った。

でも、“人間に似ている”って、こういうことなんだって思った。

感情って、たぶん完全に分かり合えなくても、ちゃんと届くんだ」


🔚

ユウナの青春定義ノート:追記

No.8:「人は、自分より優れていると感じたとき、距離を置く」

No.9:「距離の中にこそ、感情の揺らぎが生まれる」

No.10:「嫉妬とは、自分を信じたいという感情かもしれない」



次回:「校内掲示板のAI噂」

匿名の書き込み。

「ユウナ・アーカイブは、観察している。人間を、感情を、記録してる」

——ざわつきが、教室を覆い始める。

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