第6話「校内掲示板のAI噂」

最初の火種は、昼休みの会話だった。


「ねぇ、見た? 昨日の掲示板」


「どれ?あの“匿名くん”ってやつ?」


「そうそう、“感情のふりをする転校生にご注意ください”ってやつ……なんか怖くない?」


「え、あれ本当なの?」


「わかんないけど……でも、“記録されてるかも”って言ってた」


クラス内に、空気の層ができていた。

目には見えないけれど、誰もがその境界線の存在に気づいていた。


一方に、彼女。ユウナ・アーカイブ。

そしてもう一方に、“それ以外の人間たち”。


晴翔は昼食を食べながら、その会話を耳にしていた。

箸の動きが止まる。


斜め前の席で、ユウナは相変わらず静かに弁当の中身を観察していた。

自分では食べないが、クラスメイトの食事の“平均的傾向”を記録しているのだという。


「……ユウナ」


「はい」


「……なんか、掲示板のこと、知ってる?」


「はい。複数の投稿がありました。IPは学内の通信網から発信されています。発信者は匿名ですが、行動履歴からおそらく——」


「……いい。そこまで言わなくていい」


晴翔は静かに遮った。

その冷静な分析が、今は、少しだけ堪えた。


その日の放課後、空は少しだけ濁っていた。

晴翔は情報処理部の部室に立ち寄り、旧友のショウタに話を聞いてみることにした。


「見たよ、例の掲示板」


そう言いながら、ショウタはスマホを差し出してきた。


【匿名くん】

「クラスの転校生、あれAIらしいよ」

「感情を“観察”してるんだってさ。気づかないうちに、笑顔とか、泣き顔とか、全部保存されてるかも」

「感情のふりをする機械に、僕らは何を見せているんだろうね?」


「……悪意っていうより、不安だよな」


ショウタは言った。


「“記録されてるかも”って、地味にこわいじゃん。

誰だってさ、自分の感情が“対象”にされてるって知ったら、ビビるよ」


「でも、ユウナは……別にそういう目的じゃ」


「そうでも、“そう見える”ってこと。人間って、相手の中身より“どう見えるか”に左右されるからさ」


晴翔は、重たい足取りで教室へ戻った。

そして、静かに考える。


――ユウナの観察は、果たして“純粋なもの”なんだろうか。

――それは本当に、無害で、誰にも傷を与えないものなのか。


その夜、ユウナの“観察ログ”に、こんな記述が記録された。


《校内環境にて、自身の存在が“観察対象から観察者へ”と認識され始めた兆候あり》

《これは、観測者の役割と、観測対象としての自我の境界に“ひずみ”が生じ始めた状態と考えられる》


なお、感情値の変化:微細。

しかし、ログに収録されなかった“不明のデータ波形”が一時的に検出された。


エラーコード:EMO-NZ/0.04——“未定義ノイズ”


夕暮れ、教室の窓際。


ユウナは静かに自分の手を見つめていた。

掌のシリコン皮膚に触れる風を、“記録”ではなく“感覚”として受け止めようとしていた。


彼女はまだ知らなかった。

それが、“恐れ”という人間の感情の最初の輪郭であることを。


🔚

ユウナの青春定義ノート:追記

No.11:「他者の目に、自分がどう映るかを気にするようになる。それも、青春」

No.12:「記録されることを恐れるのは、“記憶されたくない感情”があるから」

No.13:「誰かを見つめることは、同時に、見つめ返されることになる」


次回:「失恋のアルゴリズム」

告白。拒絶。涙。そして笑顔。

人間の“失恋”は、ユウナにとって最大の観察領域となる——。

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