死神化ゼッタイ阻止計画

獅子戸ロウ

死神化ゼッタイ阻止計画



目が覚めると、視界いっぱいに夜空が広がっていた。

ひんやりとした空気が重くのしかかる。

こちらを見下ろしている月は満ちていたが、その光は弱く感じた。

「ここは…」

見覚えのない場所だった。

使われた形跡のない砂場、壊れかけているベンチ、塗装が剥がれたシーソー、葉を散らした木々が辺りを覆い囲む寂れた公園。

どうしてこんな所に…?

ぼうっとする頭で記憶を探るが何も掴めない。

なんとなく手を動かすと、ポケットの中の物とぶつかった。

取り出してみるとスマホだった。

電源ボタンを押しても何も反応がない。

「あれ、壊れてるのかな…」

よろよろと起き上がり、一歩、二歩と足を動かした。

公園の外にある街灯は等間隔に夜道を照らしている。

側にあったカーブミラーに反射的に目をやると、そこには真っ黒なもやを仮面のように纏った人影があった。

「え?…は?!」

自分が立っている場所にそいつはいた。

恐る恐る顔と思われる場所に手を伸ばす。

頬、鼻、目、口とちゃんと感触はあった。

頭の方を触るとフードのようなものを深く被っていた。

どんなに引っ張っても何故かフードは取れなかった。

「なんだよ…これ…生きてるのか…?」

自分の体も、よく見ると所々黒い靄を纏っていた。

靄の隙間から見える素肌は恐ろしく白かった。

うるさいくらいの心音が耳元で加速していく。

これじゃあまるで…

「悪魔みたい…」

いつの間にか、左手に紙が握られていることに気が付いた。

何が起きているんだと、混乱しながらそれを開く。


あなたは死神候補に選ばれました。

365日後に正式な死神となった暁には、この地に大厄災を授けましょう。

それまでは、立派な死神となるためにタナスを十分に蓄えてください。

タナスとは美味で魅力的な死のエネルギーです。

ただし、過剰摂取にはご注意ください。

器が崩壊する恐れがあります。

それでは良き死神候補ライフを。


読み終わるとその紙は消えてなくなった。





「結衣ー!帰りどっか寄ってかない?」

「ごめん!今日バイトなんだ」

「今日も?ちょっと〜、もうすぐ卒業なんだし少しは私達とも遊んでよね!」

「ほんとごめん、また今度時間作るから!」

「絶対だよー!」

「うん!ありがとう!またね」


タイミングよく電車が到着した。

もこもことしたコートやダウンを着た人の間をすり抜け、空いたスペースに入る。

スマホを取り出して求人サイトを開き、ひたすら指を滑らせる。

これが最近の日課になってしまっていた。

「うーん…高卒で就活って難しいなぁ…もうこのままバイトを続けるしか…。でも一人暮らしはしたいし…シフト増やせば大丈夫かなぁ」

電車はゆっくりと停車し、2つ隣の駅に着いた。

人の流れに乗りながらバイト先への道を歩いていると、黒猫が脇道へと入っていった。

この辺で野良猫って珍しいな。

ちょっと追いかけてみようと近づいたら、その子に黒いもやが纏わりついているのが分かった。

黒猫ではなく三毛猫だった。

その猫は、靄をとるように必死に背中を舐めている。

「そっか…この子はもう…」

少しだけ目が合ったが、すぐに向こうへ行ってしまった。

どうしようもない無力感に襲われた私は、足が止まってしまった。

まるで靴底が地面に縫いつけられているみたいだった。


私は、生まれつき黒い靄のような何かが見える。

その正体に気がついたのは、中学生の時だった。

朝起きて両親を見ると、2人とも全身が真っ黒な靄に覆われていた。

いくら心配しても「大丈夫!」と言う両親を見送り、不安なまま学校に登校した。

学校に着いて少しした後、先生に職員室へと連れて行かれた。

「両親が交通事故で亡くなった」と、そう告げられた。

それで確信した。

私には死の前兆が見えるのだと。



翌日、バイトが終わった後、もう一度あの場所へ向かった。

昨日と違って辺りが暗くてよく見えない。

焦っても仕方がない、一度深呼吸をしよう。

ふぅーと息を吐き、鼻から空気を沢山吸った。

痛いほど冷えた冬の空気が肺を染めていく。

流石に他のところに行ってしまったかと思っていたら、草むらからか弱い鳴き声が聞こえてきた。

近づいてみると、あの三毛猫が小さくうずくまっていた。

そして、黒い靄は昨日よりも濃くなっていた。

心臓がどくりと動き、息苦しくなる。

「ごめんね、助けられなくて…」

私は死の前兆が見える…だけ。

そう、見えるだけなのだ。

助けられる超能力も魔法も何もない…。

バイト先から持ってきた段ボールの中にタオルを沢山敷き、コンビニで買った餌を添えた。

「これで少しでも寒さを凌げればいいけど…。ごめんね…バイバイ」

私にはどうしようもない。

こういう場面に出くわす度に、あの時の記憶が私の心を突き刺す。

次に黒い靄を纏っている人に出会ってしまったら、私は…。


家の玄関の前に着き、気持ちをなんとか切り替える。

落ち込んでる顔なんか見せられない。

「ただいま」

「結衣ちゃん、お帰りなさい」

「叔母さん、お仕事お疲れ様」

「ありがとう。もうすぐご飯できるからね」

「うん!」


夜ご飯の準備ができて、2人で食卓を囲む。

ご飯にお味噌汁に魚にお野菜。

叔母さんの気持ちが伝わってくる温かくて安心するご飯だ。

「叔父さん、今日も遅いね」

「最近仕事が忙しいみたいなの」

「やっぱり、仕事って大変だよね」

「そうね、でも…結衣ちゃんもあまり無理しちゃだめよ」

「全然!私は大丈夫。そうだ、これ、今までお世話になったので、少ないお金だけど…」

封筒に入れたお金を叔母さんの方に向けた。

叔母さんは微笑みながら、封筒ではなく私の手を握った。

冷え込んでいるからか、叔母さんの手は冷たかった。

「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」

「でも…」

「私は、結衣ちゃんが自分の為にそのお金を使ってくれると嬉しいな」

「うん…」


更に翌日、バイト終わりに例の場所に行ってみるとあの三毛猫はどこにもいなかった。

辺りは寂しい空気に満ちていた。

私が置いた段ボールとタオルに使われた形跡はなかった。

餌もほとんど減っていない。

「こんなんじゃ…なんの意味もないか…」

ひとつふたつと雫がしみ込んだ段ボールを片付けていると、私よりもどんよりとした様子の人影がとぼとぼと横切った。

「あ、あの!大丈夫ですか…?」

思わず声をかけてしまった。

私の声に反応したその人影は、ぐるりとこっちに顔を向けた。

目が合わない。

そこには、今までに見たことがないくらい黒い靄を纏っていた人がいた。

息、が…出来ない…。

身体の芯から凍り付くのを感じる。

そんな張り詰めた空気を、相手は一瞬にして壊した。

「きゃあぁぁ!!」

ひ、悲鳴!?あ、あげたいのはこっちなんだけど!?

「見える!?見えるの!?私のこと見えるの!?」

口調の割には低めのノイズがかった声が私の耳に届いた。

詰まった喉が解放され、息がすっと通り抜ける。

「え、えっと、はい…一応…見えますけど…」

「良かった…やっと3人…君のこと探してたんだ!」

やったー!とはしゃぐ謎の黒い人物。

話が全く見えない。

そもそも人で、いいんだよね…?

「…何の用ですか?」

「君さ、他の人とは違った不思議な力があるよね?」

「力?力というか…黒い靄が見えるくらいですけど…」

「それだー!!あー良かった!それで、君にお願いがあるんだけどね」

「は、はい」

「私を助けて欲しい」

あ、やっぱり、この人も死が近いんだ…。

どうしよう、私にできることなんて何もないのに…。

「わ、私に人を救う力なんてありません…」

「ん?違うよ。どっちかというと私を殺す手助けをして欲しいんだ」

「へ…?」

「それに君の仲間もいるから大丈夫!」

「は、はぁ…」

何この状況…ツッコミどころがありすぎて脳の処理が追いつかない。

「とりあえず今日はもう遅いから、また明日迎えに行くね」

「む、迎えにってどこに?」

「君はいつも通り生活してて。じゃあね」

気がつくとその人の姿は消えていた。

辺りは再び夜の静けさが訪れる。

もしかしてだけど…。

「え?今のって…にんげん…じゃないの…?」



昨日のあれはなんだったんだろう。

言われるまでもなく、普段通りにバイトに出勤して仕事をこなした。

今日は休みの日だから18時まで。

バイトが終わっても、昨日の出来事が頭の中で何度も繰り返されていた。

殺す手助けってどういうことだろう…。

「こんばんは」

「わあ!?」

考えながら帰り道を歩いてると、真っ黒な人影がぬっと目の前に出てきた。

心臓に悪い…。

「あ、ごめん…びっくりした?」

「そりゃ驚きますよ…昨日の方ですよね?一体誰なんですか…?」

「誰?あーごめんね、記憶喪失みたいであんまり自分のこと覚えてなくて…。あ、でもカイって呼んで。うっすらとそれは覚えてる。多分私の名前」

「そうですか…」

「君の名前も聞いていい?」

「…結衣です」

「結衣ちゃんか、ありがとう。早速だけど時間少しある?来て欲しい場所があるんだけど」

「えっと、あんまり遅くならないなら…」

「分かった。それじゃあ行こうか」

カイさんはそう言うと私を何かの力で引き寄せた。

「え!?ちょっと何!?」

「危ないから離れないでね」

カイさんがジャンプした次の瞬間、私は見知らぬ建物の中にいた。

ぽかんとしている私にカイさんは手をひらひらと振る。

「あれ、結衣ちゃん?大丈夫…?」

「はっ!え、今の…は…?」

「今の?瞬間移動だよ」

瞬間移動!?な、なにそれ…でもここ本当に知らない場所だし…。

口をぱくぱくさせながら混乱していると、他にも人がいることに気が付いた。

「カイ君、やっと3人目見つけた?」

「うん、見つかったよー!」

活発そうな女の人が一人。

「…」

背の高い怖そうな男の人が一人いた。

「みなさんお待たせ。メンバーも集まったし自己紹介しようか。私はカイ。みんなにはもう伝えているけど、私を殺す手助けをして欲しい」

「殺す手助けってどういうことだ?」

男の人が辺りを見回しながら質問をする。

「それはね、私が死神候補に選ばれちゃって、このままだと日本に大厄災が起きてしまうからだよ。だから私が死んでそれを回避しよう!ってこと。タイムリミットはあと319日だね」

「死神候補…?」

男の人と私は頭に?を浮かべていたが、女の人は顔色を変えずにカイさんの話を聞いていた。

「この世界では数百年に一度、死神の器が生まれる。そしてその後、死神が現れた国では大厄災が起こる。まぁ燈ちゃんが教えてくれたことだけど」

カイさんは女の人の方を向いた。

「で、そんなことを知っているお前は何者だ?」

男の人はさっきとは違って、睨むようにしながら女の人に質問した。

「あたしは新堂燈しんどうあかりよ。よろしくね!」

大人なお姉さんといった感じの新堂さんは、見た目とは裏腹にフランクな口調だった。

「新堂ってまさか…あの有名な祓い屋の新堂家か?」

「そうよ。まさかあたしの代で日本に死神候補が来ちゃうとはなぁ。間宮君、そんな君こそ有名人じゃないか」

「裏ではな。俺は間宮爾朗まみやじろうだ。で、残りのあんたは誰だ?」

祓い屋?裏!?私、場違いなんじゃ…。

「えっと…阿佐野結衣あさのゆいです…。い、一般人です…」

「阿佐野…確かに聞かない名前だな」

「はーい!じゃあ作戦会議をしましょう!」

手と思われる部分をぶんぶんと上で振り、カイさんが仕切る。

「さて、今回決めたいことはチーム名と、今後どうやってタナスを回収するかの2つかな。じゃあまずはチーム名!誰か良い案ない?」

私達チームなんだ…と心の中で思いながら2人を見る。

チーム名を考えている様子はなさそうだった。

「ないの~?じゃあ燈ちゃん!どう?」

「なんでもいいわよ~」

「うーん、じゃあ爾朗君!」

「…なんでもいい」

「えー、じゃあ結衣ちゃんはどう?」

え、え~…私もなんでもいいというか思いつかないというか…。

「うーん…え、えっと、チーム…死神化…絶対阻止…?」

咄嗟に思いついたことを口から出してみたが、圧倒的にゴロが悪かった。

「うん、分かりやすくていいね!採用!」

良いんだ…。

カイさんもどこか大雑把というかなんというか…。

「ところでタナスってなんだよ」

間宮さんが、私も気になっていたことをカイさんに突っ込んだ。

「タナスは死のエネルギーだよ。私はそれを過剰に摂取すると体が崩壊するんだって。たぶんそれで大厄災は回避できると思うんだけど…燈ちゃんは他に何か知ってる?」

「そうね、人間は生のエネルギーのクラートと、死のエネルギーのタナスがバランスを取り合うことで生きてるのよ。バランスが崩れてクラートが多くなっても、タナスが多くなっても人間は死ぬ。つまり、タナスを回収するということは必要な分の人間を殺すということになるわね」

「うんうん。そういうことだから議題その2!誰からタナスを回収するべきか」

「誰からって…」

人を殺す…?そんなこと…。

「なるほどな、それで俺を勧誘したわけか」

「ど、どういうことですか?」

「悪人のタナスを使うってことだろ?」

「私はその方がいいかなと思ってるけど、手伝ってくれる君たちの意見を尊重するよ」

「あたしもそれに賛成かな」

「結衣ちゃんはどうかな?」

ど、どうって言われても…。でも、善人を殺すわけにはいかないし…。

「私も…そう思います」

「じゃあ決まりだね!3人とも、これからよろしく!」

カイさんはフレンドリーに接してくるけど、私達3人の間には妙な緊張感と気まずさの壁があった。

だって、今後この3人…カイさんを含めると4人で共犯者になるということなのだから。

「ちょっといいか」

「はい、爾朗くん」

「俺と新堂が選ばれたのはまだ分かる。が、一般人には荷が重いんじゃないのか?」

近寄りがたい雰囲気の間宮さんだけど、その声色は心配してくれているようだった。

「そんなことないよ、私がはっきり見えるってだけでとても貴重な人だからね!」

「あぁ、そういうことか。俺はこいつの声しか聞こえないからな、その辺は2人に任せるぞ」

「は、はい」

間宮さんがカイさんと目を合わさずに話している理由がようやく分かった。

「タイムリミットは残り319日!みんなで頑張ろー!」

おー!と後に続く人は新堂さんしかいなかった。

「じゃあ、今日はもう遅いしこの辺で。また明日みんなのこと迎えに行くね」

カイさんが手を振り下ろすと、次の瞬間には家の目の前にいた。

こんなこともできるんだ…と目を見開いてしまう。

「はぁ…なんか一気に疲れが…」

明日も午前中からバイトだ。

早く寝よう。


今日もバイト終わりの帰り道にでもカイさんがぬっと現れるかと思ったけど、家に着いても遭遇しなかった。

お風呂に入り、夜ご飯も食べ、自由時間ができたので自分の部屋に戻った。

何しようかな、この間買った新しい本でも読もうかな。

少しるんるんとした気持ちで自分の部屋の扉を開けると、なんとそこにはカイさんがいた。

「きゃぁぁあ!?」

「わ!私だよ!カイだよ!」

カイさんも慌てて大きめの声を出したので、つい勢いよく扉を閉めてしまった。

「なぁにー?結衣ちゃんどうしたのー?」

廊下の奥から叔母さんの声が聞こえる。

「え、えっと部屋に虫がいてー!もう大丈夫!」

「そうー?」

叔母さんに怪しまれないように部屋にさっと入った。

「ちょっと!来るなら事前に言ってくださいよ!」

できるだけ小声にしてカイさんに向かって発した。

「ご、ごめん…連絡手段なかったから…」

カイさんも合わせて小声で喋ってくれた。

「た、たしかに…。今日も行くんですよね?」

「うん、爾朗君と燈ちゃんはもう少し後に迎えに行くけど」

そう言うとカイさんはゆったりと床に座った。

「なんか…寛いでますね…人の家で」

「結衣ちゃんの部屋良いね、落ち着く~」

「はぁ…」

カイさんの見た目は黒い靄にまみれていて少し怖いけど、なんだか親近感を覚える。

どうしてこの人が死神候補なんだろう。

どうして…自ら死を選ぶんだろう。

普通だったら、そのまま死神になってやりたい放題したくなるんじゃないのかな。

そうなったらそうなったで困るけど…。

「カイさんは…」

「カイでいいよ。敬語使われるの、しっくりこないんだよね」

「わ、分かった。えっと、カイは死神になりたくないの?」

「んー、なりたい気持ちは少しくらいはあるよ。覚えてないけど何かしらの適性があって選ばれたんだろうし…。でも大厄災が起こるなら話は別だね。そんなの絶対起こしちゃだめだよ。だから私は死神にならないで死ぬ」

「死ぬのは怖くないの…?」

「怖くないよ。きっと私は既に一度死んでいるんだろうね」

「そっか…」

「ほら、よくいうじゃん、トロッコ問題?みたいな」

「何もしないで大勢を見殺しにするか、何かして大勢を救って少数を見殺しにするか、だっけ?」

「そうだね、今回は大勢が日本、トロッコが私、少数が私の為にタナスの回収をされる人、選択するのは今回選ばれた結衣ちゃん達の3人って感じかな」

「でもトロッコ問題って答えは特になかったよね…?」

「そうだね、答えは人それぞれだと思う。だから君たちの選択だって間違ってないよ」

「うん…」

でも、カイもある意味…少数の犠牲の方に含まれるんじゃ…。

上手く言葉が出てこなくて詰まってしまう。

「そういえば結衣ちゃんって想像以上に忙しそうだね。手伝いの方はできそう?」

「うん。高校はもうほとんど授業ないし、バイト終わりに少し手伝うって感じなら大丈夫だよ」

「そっかぁ…どうしてそんなにバイト入れてるの?」

「一人暮らししたいからかな。将来のことはまだよく分からないけど…」

「あ!じゃあさ、卒業したら事務所に住みなよ!」

「え、事務所?」

「うん、昨日行ったところ。空き部屋あるしタダで住んでいいよ!」

「タダ!?そ、それはありがたいけど…新堂さんと間宮さんは?」

「あの2人は家から通うって。他にも色々やることあるみたいだし」

「カイは…?」

「私は事務所にいるけど…基本ぼーっとしてるだけだし、置き物くらいに思ってもらえれば」

「えぇ…」

「食費もガス電気水道Wi-Fiもタダ!」

「ぐっ…」

今の私には魅力的すぎる条件…。

いつまでも叔母さんと叔父さんのところにお世話になるわけにもいかない。

怪しい!怪しいけど…。

「…よろしくお願いします!」

「よーし、そうこなくっちゃ!」

「だ、大丈夫かなぁ…」

「大丈夫大丈夫!じゃあ、高校卒業したら引っ越し始めようか」

「うん」

「さてと、そろそろ行こう。準備はいい?」


慣れない瞬間移動を経て、昨日と同じ建物に到着した。

「じゃあ、あとの2人も連れてくるね」

カイがそう言った30秒後には全員この場所に集まった。


「第2回ミーティングを始めます!」

やっぱり仕切るのはカイだった。

「前回決めたタナスの回収先だけど、爾朗君その後どう?」

「顔の利く場所にはなんとか話は通しておいた。それぞれの場所で月に1人から2人ってところだな。あとはまだ捕まっていない指名手配犯とか、自殺願望者にまで手を伸ばすかどうか…」

「なるほどね、ありがとう。燈ちゃんの方はどうだった?」

「今までの妖怪や幽霊退治の際に回収できたのはざっと10人分かな、タナスそのものが取れるわけじゃないから効率悪いのよね~、今後もやっていくけど…全然足りないわよね?」

「実際に取り込んでみないと分からないけど足りないと思う…」

「あ、あの…私は何を…」

「結衣ちゃんは爾朗君と燈ちゃんのサポートになるかな。君にはタナスが良く見えると思うんだ」

「タナスって見えるものなの…?」

「うん、結衣ちゃんにはその才能があるよ。ということで、今から私の力を皆さんにお貸しします!」

カイはみんなの手と足の部分に黒い靄を当て始めた。

そこには不思議な模様が刻まれていた。

「結衣ちゃんは特別に目もね。ちょっと目閉じてて」

ゆっくりと目を閉じると、ひやりと冷たい空気が目の周りを包んだ。

奥の方に微かな熱を感じる。

心地よくて…寝てしまいそうな…

「結衣ちゃん」

「はっ!ご、ごめん」

「ううん、大丈夫だった?」

「うん、なんともないよ」

こんなんで何か変わるのかと疑問だったけど、周りを見渡すと今までとは全く違う光景が広がっていた。

カイには黒く光る大きな宝石の様な物が、新堂さんと間宮さんにはそれよりも遥かに小さいものと、温かい光を放つまた別の小さな宝石の様なものもあった。

私が普段目にすることがある黒い靄はどうやらタナスから漏れ出しているものらしい。

「…この黒いのがタナス?」

「そうだよ」

「もう一つの光が、えっと、クラートってこと?」

「そう、生のエネルギーだね。良く見えてる!バッチリだよ。3人に共通で与えた手の力はタナスを回収する力、足の方は瞬間移動の力。燈ちゃんは大丈夫だけど、爾朗君は使用回数に気を付けてね。疲れが出たらそれ以上使わないように」

「あぁ」

「じゃあさっそく爾朗君がアポ取ってくれたところで回収作業してみようか!」




「爾朗君と結衣ちゃんの組み合わせだね。いってらっしゃーい」

カイと新堂さんに見送られ、間宮さんと目的地に向かった。

今後通うことになる刑務所だ。

そんなに遠くはないということで、瞬間移動は使わずに徒歩と電車で移動する。

不安で身体を強張らせながらついて行く。

随分と大きな建物だった。

間宮さんは当然のように裏口らしき場所から入り、手続きを進める。

本当に慣れているんだなと分かる。

「阿佐野、こっちだ」

「は、はい」

1つ扉を潜ると小さな部屋が沢山並んだ場所に出た。

黒い靄が床に積もっていて、かなり空気が悪い。

「2207番、こいつが今回のターゲットだ」

間宮さんはその番号が書かれた扉に、紙切れを貼り付けた。

身体が何かの膜を通り抜けたような、空気が変わるようなものを感じた。

「それ、なんですか?」

「新堂から貰ったお札だ。結界が展開されるらしい。これで他の奴らに気付かれないように処理できる」

処理…これから無関係の人のタナスを回収する。

つまり殺すということ…。

でもこの人は犯罪者だし…カイが死神化して大厄災が起きたら死ぬ可能性もあるし…無関係でもないか…。

間宮さんが部屋の扉を開けると、中には大柄な男の人がいた。

「…誰だ」

その男は私達を鋭く睨んだ。

思わず後ずさりをしてしまう。

「誰でもいいだろう。大人しくしてろ。すぐ終わる」

「は?」

間宮さんはカイに教わった通りに念を込めて手の模様をなぞる。

右手が黒い靄に包まれ、魂を刈り取る様な鎌の形になった。

その男には何も見えていないようだったが、間宮さんの異様な雰囲気を察して戦闘態勢に入っていた。

「阿佐野!見えるか!?」

「は、はい!右手です!」

「なんなんだよ!クソ!!」

大柄な男は右手を大きく振りかぶり間宮さんに殴りかかった。

間宮さんはそれを避けることなくカイの力で武装された右手をぶつける。

黒い鎌がその男の拳を貫くと、強烈な叫び声と共にタナスが浮かび上がり宙に舞った。

漆黒の綺麗な宝石。

床に落ちる寸前のところでなんとか受け止めた。

「あ、危なかった…」

いつの間にか倒れていた男を見ると、心臓のあたりにクラートがあった。

少しずつ輝きが失われるクラートに思わず手を伸ばす。

やっぱりその宝石は温かかった。

「微かに見えるが…それがクラートか?」

「そうみたいです…」

クラートもタナスも失われた男の身体は徐々に崩壊し消滅した。

跡形もなく。

いざ目の前にしてみると、この仕事の責任の重さがわかる。

私にやり遂げられるだろうか。

ただの18歳の私に。

後の大厄災を回避するために。

「本当によく見えてるんだな、助かった」

「い、いえ、こちらこそありがとうございます。私だけだったらやっぱり…怖くてできなかったと思うので…」

「そうか」

帰るぞと言った間宮さんはやはり淡々と処理を進めて刑務所を出た。

2つの小瓶に詰めた宝石を握りしめて事務所へと戻った。


「戻ったぞ」

「戻りました…」

事務所の扉を開けると、カイと新堂さんは何かの会話で盛り上がっていた。

まるで女子会だった。

刑務所での空気とは180度違い、少し気が抜ける。

「あ!2人ともお帰り〜!」

「お疲れ様!上手くいった?」

「う、うん。なんとか」

2つの小瓶をカイに渡した。

「わ!クラートも回収できたんだ!結衣ちゃんやる〜!」

「えー!見せて見せて!」

新堂さんも体を寄せてじっと見つめた。

「ねぇ、これって大きさどんな感じ?砂粒みたいなサイズ?」

「いえ、これくらいの宝石の様に見えます…」

指で小さく輪を作る。

直径3cmくらいだろうか。

「そっかー、やっぱりあたしには少ししか見えないのね。クラートも少ししか見えないわ…」

「見えてるだけで燈ちゃんもすごいよ〜!」

「え!そうかな?やっぱり?!」

新堂さんの表情はころころと変わり、相変わらず2人の間にはきゃっきゃっとした楽しそうな空気が広がる。

少し離れたところで間宮さんが咳払いをした。

「それで、それらはどうするんだ?」

「タナスは私が食べるよ」

「クラートは?」

「それは回収できると思ってなかったからまた何か考えとくよ。とりあえずクラートは結衣ちゃんが持ってて」

「分かった」

再びクラートを預かる。

ビンには、ずっと眺めたくなるような淡い光が満ちていた。

カイはタナスの入ったビンを眺め、なんだかそわそわしていた。

「た、食べていい?もう食べていいんだよね!?」

待ちきれないという様子でカイが口元にタナスを放り込む。

「あ!!ちょ!待って!」

新堂さんの声はカイには届かず、次の瞬間、ぐしゃりぐしゃりとおぞましい音が聞こえた。

部屋の空気が急激に重くなる。

「みんな!目を伏せて!!」

冷たく暗いカイの世界に飲み込まれそうになる。

頭から爪先まで恐怖が放たれた。

新堂さんの言葉は耳に入ってきたけど、身体が言うことを聞かない。

呼吸がままならない。

全身がビリビリする…。

そして死神と…カイと目が合ってしまったような気がした。

いつもは見えない、黒い靄のその奥にある目…

あれ…なんか…

私の目元は柔らかい黒で覆われた。

新堂さんの手だった。

「あ…」

次第に人肌を感じ、元の世界に戻っていくのがわかる。

新堂さんの手が離れ、事務所の蛍光灯の光に目を細める。

「あれ…今何が…」

「あー!間宮くん倒れてる!最初に説明しとけば良かったわ…」

間宮さんはカイから一番離れていたが、耐性があまりない為か良くないものをくらってしまったようだった。

タナスを食べ終わったカイは元の様子に戻っていった。

「え?え?何が起きたの!?なんかだめだった!?」

「恐らくだけど、カイ君が食事をする時は力が強まる時だから周囲に影響を与えやすいんだと思う。2人とも事前に伝えてなくてごめん…」

「燈ちゃんは悪くないよ!私のせいだね…ごめんね結衣ちゃん…爾朗君…」

「ううん、私は大丈夫!それより間宮さんをソファで休ませた方がいいかも」

「そうだね。今日はもう解散にしよう。爾朗君は目を覚ましたら送っていくから」

「お願いするわ。じゃあお疲れ様」

「お疲れさまでした」



それから私は、カイの手伝いにバイトに卒業式に引っ越しにと忙しくしていた。

叔母さんや叔父さん、バイト先には何とか引っ越しのことを誤魔化した。



カイの死神化まで残り274日


「引っ越し完了~!」

引っ越しはカイも手伝ってくれた。

どうやらカイは一般の人には見えないし、声も聞こえないらしい。

「カイ、手伝ってくれてありがとう」

「ぜーんぜん!結衣ちゃんにはこれからもっと手伝ってもらうんだし!」

「が、がんばる!」

不安しかないけど、カイにここまで助けてもらってるんだからやるしかない…!

「あと、卒業祝いだね。はい!おめでとう!」

カイは両手を叩くように合わせると、目の前にケーキが現れた。

「わ!ケーキ!?カイってほんとになんでも出来るね」

「これが食費も無料の秘訣なのです~」

見た目も香りも完璧なチョコレートケーキだった。

上にチョコのプレートまで乗っかっている。

「…食べても死なない?」

「私をなんだと思ってるのさ!」

「死神…」

「まだ候補だよ!取り合えず食べてみなって!」

カイのツッコミにあははと笑いながら一緒に召喚してくれたフォークをケーキに差し込む。

しっとりとチョコレートの層に沈んだ。

口どけが良く、私が好きな味だった。

「すごい美味しい!ありがとう。ケーキなんて久しぶりに食べたよ」

「ふふ、良かった」

「カイは?食べないの?」

「私はタナスがあれば十分だよ。もう人間じゃないからね」

「そっか…でもほら、私食べきれないから、はい!」

食べきれるけど、なんだかカイにも食べて欲しくて半ば無理やりフォークをカイの口元へ運ぶ。

…どこが口なのか分からない。

「うーん、じゃあお言葉に甘えて…」

右手がまるごと暗闇に包まれる。

もうカイのことはそんなに怖くはない。

それどころか…。

「うん!美味しいね。ありがとう」

少し困りながらも優しく答えてくれるカイを見て、きっとタナス以外の味覚はもう無いんだと察した。

この優しい人を、カイを助けるにはどうしたらいいんだろう…。


ケーキが食べ終わる頃に、事務所の方からいつもの明るい声が聞こえた。

「やっほー。カイ君、結衣ちゃんいる?燈さんが来たわよ~」

「新堂さん!早かったですね」

「今日は記念すべき結衣ちゃんとの初仕事だからね〜。お姉さんがサポートしなくちゃ」

ガッツポーズをし、ばちこーんと音が聞こえてきそうなウィンク。

新堂さんは今日も元気だ。

「あれ、今日は新堂さんと?」

「確かに、もう溜まってる頃かも。じゃあ今回は燈ちゃん結衣ちゃんペアでお願いしようかな」

「やったー!旅行だー!」

「りょ、旅行!?」

「うん。自殺の名所や心霊スポットとかを巡回してタナスの欠片を回収するんだよ。燈ちゃんは旅行って言うけど」

「だって色んなところ行けるんだもん」

「で、でも怖い場所なんですよね…?」

私には変わった力があるとはいえ、幽霊とかそういったものは苦手…。

「やること自体は簡単だし、結衣ちゃんに向いてると思うから安心して」

「も、もし幽霊とかが出たら…」

「あはは、だいじょーぶ!そういうのはあたしが祓うからさ、結衣ちゃんは黒い靄が濃いところを探してタナスの欠片を回収すればオッケー!」

「欠片がその場所に落ちてるんですか?」

「落ちてたり浮いてたり。負のエネルギーが溜まりやすいところにあるのよ。タナスそのものじゃないから少し効率は悪いんだけどね。まぁ塵も積もればってやつよ」

「分かりました」

「今回は瞬間移動使って行こっか」

そういえば私の足にもカイの力が宿っているんだった。

間宮さんと行動することが多かったし、怖さもあったからまだ使ってない。

「瞬間移動ってどうやるんですか…?」

「あら?まだ使ってなかったの?行きたい場所を念じて飛ぶだけよ」

「と…飛ぶ…」

「最初はあたしと一緒にやろっか。手繋いでいればタイミングとか分かりやすいから。じゃあまずはここからね!」

新堂さんがスマホのマップを表示してくれた。

そこは、誰もが知る有名な場所だった。

ぎゅっと握ってくれた新堂さんの手を握り返す。

足の力を解放し、行きたい場所を念じて…。

「行くわよ!せーのっ」

新堂さんを信じて空間を駆けた。

次の瞬間、さくっと何かを踏みつける音がした。

ゆっくりと目を開ける。

深い森の中だった。

無限と思えるような木々と、少し遅めの降り積もった雪とのコントラストに感動するよりも早く、閉じ込められたような不気味な感覚が肌に届いた。

「樹海、ですよね?」

「そうよ」

樹海を見渡すとすぐに黒い靄が目についた。

近づいて手に取ってみると、黒い小さなガラス破片のようなものだった。

「新堂さん、これですか?」

「そうそうこれ!やっぱり見つけるの早いわね、助かるわ~!その調子でガンガン取っていくわよ!」

ちまちまと地味な作業が続く。

新堂さんにはこの作業が難しいようで、空間や地面と睨めっこしながら探していた。

沈黙が続く。

何か話した方が良いのかな。

「あの、新堂さんは…どうしてカイに協力しようと思ったんですか?」

「んー?まぁそれが新堂家の使命だからね。ちょっと前までは本当にそんな奴が現れるの?とか、現れたりしてもめんどくさいなとか、別に世界が滅ぶとか…割とどうでも良かったのよね」

はぁー目疲れたーと眉間をさすりながら続きを話してくれた。

「でもあたしの代で現れちゃったし、しかもなんか面白い子だし。あたしはさー、小さい頃から幽霊とか妖怪とか見えちゃったから周りから不気味がられたのよ。こういう家系なのに見える人あたし以外いなかったのよ?ひどい話よねー」

新堂さんは淡々と話しているけど、視線はどこか遠くを見ていた。

「だから結構ずっと独りぼっちでさ、カイ君に出会って、死神候補でもなんでもいいから楽しく話せるのが嬉しかった。だからカイ君の願いを叶えるのを手伝いたいなって思ったの」

「カイは、願いが叶ったら…死神化に失敗したら、いなくなっちゃうんですかね」

「そうね。昔日本で死神化を防いだ時の資料が家に残っているけど、崩壊した死神は消滅すると書かれてあったわ」

「昔もやっぱり同じようなことをやったんですね…」

「資料が古すぎて、どうやったかは細かく残ってなかったんだけどね。じゃあ次は結衣ちゃんの番!結衣ちゃんはどうして?」

「私は…成り行きです。カイに頼まれて、私なんかが力になれるならと…こんな感じですみません」

「すごく助かってるわよ。現にほら!」

新堂さんが小瓶を傾け、さらさらと鳴らす。

4分の1くらいだろうか、タナスの欠片で埋まっていた。

私の方の小瓶は既に満杯だった。

「ねぇ、結衣ちゃんがその力がどんなものなのか知ったのはいつ?」

「えっと…中学生の時に。真っ黒な靄を纏った両親がその後すぐに交通事故で亡くなって…それで…」

「そっか…辛かったわね」

「死の前兆が見えるだけの力なんて…」

なんで私にこんな力があるんだろう。

もっとふさわしい人が他にいるんじゃないかな…。

「本当にそんな言葉で片付けられる程度の力かしら」

「…え?」

新堂さんはじっと私を見つめていた。

まるで、心の奥底まで覗き込まれているようで少し怖かった。

「結衣ちゃんは死の前兆を感じ取ったけど、その後は動かなかった。何もしなかった」

「で、でも交通事故ですよ?私が助けられるはずが…」

「…まぁ、たらればの話をしてもしょうがないわね。動いた結果は誰にも分からないし。ごめんね、意地悪言っちゃって」

「い、いえ…」

あの時…それが死の前兆だって分からなかった。

でも、絶対に悪いものだということは感じ取っていた…。

私が無理やり両親に付いて行ったら結末は変わっていたのかな…。

学校は…休めば良かったのかな…。

動いていれば、か…。

新堂さんに指摘されるまで考えてもいなかった。

いや、頭のどこかでは分かっていたけど…考えないようにしていただけかもしれない。

だって、もしもそんな未来があったなら、私は後悔という大きすぎる感情の海に飲み込まれて…きっと死んでしまう。


小瓶を変え、またこつこつと集めていく。

2つ目が埋まる頃、気付いたことがあった。

少し大きめのタナスの欠片に触れると一瞬、何かを感じる。

これを持っていた人の見た目とか、感情とか。

はっきりはしないけど少しだけ流れ込んでくる。

改めて小瓶を眺めていると、もう少しでなにか分かるような気がした。

もう少し…もっと近くに…。

「だめよ」

新堂さんの声にハッとする。

あれ、私、今なにを…?

「ここは負のエネルギーが強いし、今の結衣ちゃんはカイ君の力も使える。だから時にはタナスが魅力的に見えてしまうことがあるわ。でも取り込んじゃだめよ。私たちは吸収できずに死んじゃうからね」

「す、すみません」

「んーん!そろそろ出よっか。結衣ちゃんのおかげで早く集まったわ」

差し出してくれた新堂さんの手を掴み立ち上がる。

その瞬間、空気が変わる気配がした。

ひりついた…更に悪い空気に。

「…やっぱり来たわね」

新堂さんの目線の先には真っ黒な人影が複数あった。

ゆらゆらとこっちに近づいてくる。

「大丈夫、結衣ちゃんはここで待ってて」

新堂さんはそう言うと懐からお札を取り出し、地面に貼り付けた。

あれは…結界のお札だ。

何度か体験した膜を潜り抜ける感覚があると、小さな部屋の様な空間が生まれた。

新堂さんは手際よく手の力を発動させる。

真っ黒な人影が私達に向かって襲い掛かった。

この世のものとは思えない奇声が耳に刺さる。

ぐっ…耳が…!

私は突然の事態に対応できず、手の力の発動にもたついていた。

焦りで呼吸が出来ず、念が乱れる。

まずい…!間に合わない…!

視界が狭まる。

心臓がうるさい。

もうだめだと目を瞑ると…奇声は消え去った。

「あ…れ…?」

恐る恐る目を開ける。

人影は全て新堂さんの腕に貫かれ、その手には大きめの欠片がいくつか握られていた。

「はい、おしまい」

地面のお札をぺりっと剥がすと、空間は再び世界と結合した。

「す、すごい。ありがとうございます」

「怪我はない?簡単に済んで助かったわ」

「すみません…私…何もできなくて…」

「仕方ないわよ、私は慣れてるだけだし。結衣ちゃんも慣れたらこのくらい楽勝よ!」

新堂さんの手を借りて立ち上がると、頭をぽんと撫でられた。

「…あれは人だったんですか?」

「あれは幽霊ね。だから欠片なのよ」

「あれが…幽霊…」

カランとその欠片達は小瓶に納まり、新堂さんの小瓶は満杯になった。


再び新堂さんと空間を駆けると見慣れた事務所の目の前に着地した。

「おかえり〜、早かったね」

「結衣ちゃんちょー優秀!」

「いえ!そんな…新堂さんのおかげですよ」

「2人とも流石だね、お疲れ様!」

いつもの光景に胸を撫でおろす。

緊張で身体が強張っていたからか、一気に疲れが流れ込んできた。

事務所の椅子に座り一息つく。

「そういえば、カイは自分でタナス取りに行かないの?」

「私はタナスに目がないからね、無差別に取りたくなっちゃうんだ。暴走しちゃうと危ないし…だから、なるべく悪い人から取れるように君たちにお願いしてるって感じかな。まぁ人を殺してることに変わりはないけどね」

「そっか…。はい、じゃあこれ」

「待ってたよありがとう!3分!いや1分でいいから外に出てて!!」

カイは今日の成果の小瓶を全て受け取ると、自分の部屋に引っ込んだ。

例の件があってから、私達から距離を取って食べてくれている。

事務所の外に出て、新堂さんと2人で終わるのを待った。

近くにある桜の木はちょうど三分咲きくらいになっていた。

もう学生じゃなくなったんだなぁとしみじみと思う。

来年も桜、見れると良いな。

「そういえば結衣ちゃんさ、あたしのことも名前で呼んでもいいのよ?」

「え!で、でも目上の方ですし…」

「うーん、確かに結衣ちゃんより10歳くらい年上だろうけど、そんなの気にしなくてオッケー!」

「じゃあ…えっと、燈さんで…!」

「はーい!これからもよろしくね、結衣ちゃん」

「はい!」

年上の人と仲良くなれる機会なんて滅多にないから嬉しかった。

しばらく燈さんと雑談をしていると間宮さんが戻ってきた。

「お前ら、そこで何してるんだ?」

「間宮君おつかれさまー!カイ君が食事してるから外で待ってるの」

「食事!?離れた方がいいか!?」

珍しく間宮さんの表情が崩れた。

前に倒れたのが相当嫌だったんだろう…。

「多分もう食べ終わってるから大丈夫よ」

「…じゃあ入るぞ」


再び事務所の扉を開けると満足そうなカイがいた。

「あ!爾朗君!おつかれさま。じゃあみんな集まったことだし私からの報告をするね。これを見てほしいんだ」

カイが向いた先には見かけない大きな機械があった。

あれ、こんなの事務所にあったっけ…?

「さっき私が作り出したんだけどね」

「さっき!?そりゃ見覚えがないわけね…」

さすがの燈さんも驚いて少し引いている。

「クラートを何かに使えないかなーって考えてて、クラートが足りてない人に再分配できたらいいなって思ったの!」

「なるほどねぇ」

「あれ?でも人間はクラートとタナスのバランスが崩れたら死ぬんですよね…?クラートが多くなってもダメなんじゃ…」

「簡単に言うとそうなんだけど、厳密に言うとバランスが崩れた瞬間にすぐ死ぬってわけじゃないの。分かりやすく言うと病気とかで死にそうな人、精神面がかなりダメになってきている人は一時的にタナスの方が少しだけ多くなってしまっているのよ」

「そう!だからこの機械を使って過剰になってしまったタナスに、クラートを必要な分だけ結びつける。上手くいけば死を回避できるはずさ!結衣ちゃん、今まで集めたクラート持ってきてもらえる?」

「うん」

自室に入ると鍵のかかった引き出しを開けた。

クラートがどこかに行ってしまうなんてことはないんだけど、大事な物だから念の為鍵のかけられる場所にしまったのだった。

クラートは採取した日より、それぞれが少し小さくなっていたけど、まだ温かい光を放っていた。

ゆっくり壊れないように運ぶ。

「カイ、持ってきたよ」

「ありがとう。じゃあ機械のそこに設置してみて」

ドームの形をしたガラスを開け、中の台座にクラートを乗せる。

「そうしたらここのボタンを押して」

隣にあった黄色いボタンを押すと、ギュイーンと機械は動き出した。

モニターにはマップが映し出され、警告マークが100箇所ほど現れた。

「わ!何これ!?」

「これが今現在バランスが不安定な人達だね」

間宮さんがモニターに触り、それぞれの情報を読み取っていく。

「これは…自殺者というか、自殺寸前な状態の人が多いな…」

「他にも事件や事故の直前も察知できるはずだけど、そっちの方が反応しやすいんだろうね。早速クラートの力を試してみようか」

カイは機械に付いている大きなレバーを引いた。

クラートから光がどんどん溢れ、次第に跡形もなく消滅した。

もう一度モニターを見てみると警告マークは少しずつ減っていっていた。

「こ、これって自殺しようとしてる人が減ってるってこと!?」

「うん、上手く行ってるみたいだね。君たちの心が少しでも軽くなると良いんだけど」

「カイ…」

日本を大厄災から救うためとはいえ、日々人を殺している罪悪感。

きっと燈さんや間宮さんだって感じているだろう。

人を殺すだけの仕事ではなくなり、少しだけ暗い気持ちが和らいだ。

「今この瞬間の死は全員回避された。ただ、その人達が今後死ぬ可能性がなくなったわけじゃないよな?」

「そうだよ、人はいつか死ぬからね。自殺は悪だとは言わないけど、不本意な自殺はなくなったらいいよね…ってあー!!」

「ど、どうしたの?」

カイが慌ただしく機械をカタカタと操作している。

「うーん、どうやらこの機械は1日1回の稼働が限界みたい…」

徐々に動きがゆっくりになった機械はぷしゅーと息を吐きそのまま停止した。



同じ様な仕事を繰り返し夏になった。

燈さんとはすっかり仲良くなったけど、間宮さんはまだ少し壁を感じる。

背が高くて、眼鏡をしていて、いつもピシっとした服装で一見怖いんだけど、話してみるとそんなことないってことくらいしか。

でも、それだけ分かってたら十分なのかな。


カイの死神化まで残り152日


「阿佐野、ちょっといいか」

「何かありました?」

「このモニターを見てくれ」

クラートの機械のモニターには、いつもと違う警告マークが1つ出ていた。

「これは…?」

「今、クラートの放出を行ったが、この場所だけクラートを補充しても異様に消費されていく。しかもまだ足りないようだ」

「この件数ならいつもは1つのクラートで賄えるのに…何かがおかしいですね」

「あぁ。だから直接向かって確かめよう。それにしてもこの消費量、自殺や事故じゃなくて事件か…?」

「もしかして…殺人事件…?」

「可能性は高いな。急ぐぞ!」

「はい!」

「瞬間移動を使う。この路地に着地しよう」

マップのルートを確認し、足の力を発動させる。

一度深呼吸をし、間宮さんに続いて地面を強く蹴る。

着地したすぐ近くに間宮さんはいた。

「わ!あ、あぶな!」

思わず背中にぶつかってしまい慌てたが、間宮さんは気にしていなかった。

「大丈夫か?なんとか間に合ったみたいだな」

「はい…」

物陰に隠れながら、事件場所と思われる所を観察した。

人気のない道だった。

街頭も少なくあたりは暗い。

夕立があったせいか、じめじめとした嫌な空気だ。

「あの女性がおそらく被害者だな…。犯人はまだ見えない…様子を見よう」

少し疲れた様子の女性が歩いている。

仕事終わりなのだろう。

その女性には黒い靄が付いたり消えたりしていた。

これから事件が起こるから…?

初めて見る現象に不安になり、遠くの方まで注意深く凝視する。

すると、真っ黒な人影が遠くに見えた。

夜だから黒いのではない、嫌な黒さだった。

…もしかして待ち伏せ!?

「ま、間宮さん、あっちの奥の方に怪しい人影があります」

「分かった。少し近づこう。奴が襲い掛かってきたら俺が止めに入る。阿佐野はあの女性を保護してくれ」

「間宮さん1人だと危ないですよ!タナスも見えないですし…さっき瞬間移動使っちゃったから手の力だって…」

「大丈夫だ。カイの力を使わなくても本来の俺のやり方がある。気にするな」

「わ、分かりました」

女性はあの人影に気付いていない様子だった。

地面ばかりを見て、歩くペースが変わることはない。

私達の尾行も特にバレていない。

このまま行くと、あの黒い人影の目の前を通ることになる。

女性が前を通る瞬間、その人影は腕を振り上げた。

その手には刃物が握られていた。

「今だ!!」

間宮さんは結界のお札を地面に貼り付け、人影を押さえ付けた。

私は女性の手を取り、走ってその場を離れた。

「え!?何!?何!?」

「すみません!今不審な人に狙われてました!急いで逃げましょう!」

その女性は困惑しつつも心当たりがあったのか、手を握り返してくれた。


しばらく走って距離を取った後、息を整えた。

「すみません、急に走ってしまって…」

「い、いえ、助かりました。最近ストーカー被害にあってたので…」

「知り合いの方ですか…?」

「それが…誰だかわからないんです」

「そうですか…でもあなたが無事で良かったです。襲い掛かってきた人も私の同僚が取り押さえてくれているので…」

「あ、あなた達は何者…?」

「あ…えっと通りすがりの者です!とにかく今日は帰ってゆっくり休んでくださいね!それではおやすみなさい!」

こういう時の言葉を何も用意していなかった私は、逃げるようにその場を去った。

間宮さんのところに戻らなきゃ。


「間宮さん!大丈夫ですか!?」

「あぁ、大丈夫だ」

間宮さんは何かの処理をしていた。

「阿佐野、悪いがこいつのタナスを回収して欲しい」

「は、はい」

倒れている人影に手を伸ばす。

タナスの暴走が止まって靄が少なくなり、顔が見えるようになっていた。

頭には真っ赤に染まったハンカチが被さっていて、タナスはその下の目元にあった。

この人、死んでる…これは…。

タナスを取るイメージを強くし、力を発動させる。

死神の鎌で相手の魂を刈り取る、そんな感触がした後、手の中にはタナスが収められていた。

犯人の身体は徐々に崩壊し消滅した。

零れ落ちたクラートを間宮さんが回収し、雨と血で汚れた地面を手際良く掃除した。

「間宮さん、この人は…」

「ただの悪人だ。帰るぞ」



「ただいま」

「お帰りなさーい」

カイは待ってました!とばかりに私達に駆け寄った。

なんだか犬みたい。

カイを見ると少し癒される。

「結衣ちゃん?」

「あ、いや、なんでもないよ。はい、今日の分」

「ありがとー!早速食べ…ないで爾朗君が帰ってから食べるね」

言葉とは裏腹にタナスは手元にガッチリと握られていた。

「悪いな、カイ」

燈さんはもう帰宅してるみたい。

間宮さんはふぅと一息つき、クラートを保管庫に収納した。

機械を確認すると全ての警告マークはクリアになっていた。

「これで今日の仕事は完了だな。阿佐野、助かったよ。ありがとう」

「いえ!こちらこそありがとうございました…あの、間宮さん」

「なんだ?」

「間宮さんの本来のやり方って…」

「…君みたいな子が見るものじゃない。気にするな。それと…慣れるなよ、この仕事に」

「はい…」

間宮さんだってきっと私と5歳くらいしか違わないのに…どんな世界で生きてきたんだろう。

「じゃあお疲れ様。ゆっくり休めよ」

「お、お疲れ様でした!」

「お疲れ様〜!」


扉がゆっくりと閉まると、カイと2人きりになった。

「ねぇ、カイ」

「ん?」

「間宮さんってどんな人?」

「優しい人だよ」

穏やかな声が耳に届く。

「そっか」

それが答えなんだ。

「そういえばどうやって間宮さんを誘えたの?裏社会の偉い人なんでしょ?」

「あー、それはねぇローラー作戦だよ!元々爾朗君のことは知らなかったから、そういう人達の縄張りを日々巡って怪奇現象を起こしてたわけ!誰か気付け〜!って。そしたらある日、爾朗君が来て私のことは見えなかったけど声を聞いてくれた。幸いなことに爾朗君のボスはオカルト好きで、世界が滅んだらつまんねぇから協力してやると言ってくれたんだ!」

「へぇ…そんな漫画の世界みたいなことが…」

私には想像のつかない世界すぎてぼやっとした感想になってしまった。

「すごいよね、ダメ元だったんだけど上手く行って良かったよ」

カイは喋りながら自分の部屋へと向かっていた。

手元の小瓶をカチャカチャと揺らしている。

「じゃあ私はタナス食べてくるから出来るだけ離れててね!」

「あ、待って!」

「どうしたの?」

「えっと…ここで食べて欲しいの」

「え、でもそしたら結衣ちゃんが危ないよ」

「大丈夫!前だってそんなに影響なかったし」

本当は色々影響あったけど、怖かったけど…やっぱりあれを確かめたかった。

あの時微かに感じた…温かさは何だったのかを。

きっともう怖くないから。

「うーん…燈ちゃんに怒られちゃうよ…」

「内緒にするから!お願い、カイのこと…もっと知りたいの」

「…分かった。危険だと思ったらすぐ離れるからね」

「うん」

カイがその場でタナスを食べ始めた。

ぐしゃりぐしゃりと耳を塞ぎたくなるような音が響く。

世界が闇へと引きずり込まれる。

夏とは思えないほどに身体がどんどん冷たくなる。

まだ…まだだ。

これをもう少し耐えれば…。

怖くない。

目を…開けろ…!

本能に抗って必死に瞼をこじ開けた。

やっぱり、カイと目が合ってる気がした。

その先には暗闇の…だけど温かい、君がいて…。

あと少しなのに届かない…。

君は…だれなんだ……


意識をかき集め、もう一度目を閉じ、ゆっくり開くと、いつも通りの事務所に戻っていた。

「結衣ちゃん、だ、大丈夫?」

深く息を吐く。

「うん、大丈夫。ありがとう」

「私のこと、何か分かったの…?」

「ううん、もう少しで分かりそうなんだけど…」

「あんまり無理しないでね。自分が何者なのかは私自身も気になるけど…あとは消滅するだけなんだし」

「うん…」

「今日はもう休もうか。おやすみなさい」

「おやすみなさい…」


その日は悪夢を見た。

カイの暗闇を、直で長時間浴びてしまったからだろう。

様々な場面に切り替わり、今まで回収してきたタナスから声が聞こえてきた。

人殺し、最低、犯罪者!

…お前が死ねばいいんだ!

「!!…はぁ…はぁ…はぁ」

飛び起きると大量の汗をかいていた。

気持ち悪い。

もう一回シャワー浴びよう…。


シャワーが終わって部屋に戻る時、ふとカイの休んでる部屋が目に入った。

扉を開くとカイはソファに座っていた。

窓から入ってきた月明りに照らされていて、少し幻想的な雰囲気だった。

「…結衣ちゃん?どうしたの?」

「…寝れなくて…ごめん」

「悪い夢でも見た?」

「…うん」

「きっと私のせいだね、ごめん」

「ううん、カイのせいじゃないよ。私が…自分の意思でやってきたことだから。隣、座ってもいい?」

「…うん」

いつもだったら「近くに居すぎると危ないから離れて!」とか「結衣ちゃんは私に心を許しすぎ!」ってカイに怒られるんだけど、今日は何も言われなかった。

隣に座ると安心したのか涙が止まらなかった。

「結衣ちゃん…」

「ううん、大丈夫。大丈夫なんだけど…止まらなくて…」

ふわっと柔らかい空気を感じた。

うずくまる私をカイが包んでくれたのだ。

優しく…何も言わずに。

私もカイに触れたくて少し手を伸ばした。

だけど、何かに触れることは出来なくて…カイの体を通過してしまった。

行き場を失った手でもう一度ぎゅっと膝を抱える。

次第に眠くなってきてしまった私は、そのまま意識を手放してしまった。


また夢を見た。

小さい時の私が地面にうずくまっていた。

そういえば…包んでくれたおかげで怖くなくなるって、前にもあったな。

たしか小学生の時。

急に自分の周りに黒い靄がどんどん集まって来たことがあった。

怖くて、どうしたらいいか分からなくて泣いちゃってたんだよね。

普通の人はそれが見えないから、気味が悪いだとか変な人だとかひそひそ言われて、もう何もかも嫌だった。

だから何も見ないようにうずくまったの。

そしたら誰かの駆け寄ってくる足音が聞こえて…もう大丈夫って抱きしめてくれたんだよね。

どこか安心して目を開けると周りにあった黒い靄は全部その子の中に入っていった。

だめだよ!きっと良くないものだよ!って私が言っても、その子は「へーきへーき、私は大丈夫だから」ってばかりで、しばらくその子が心配で追いかけまわしてたな。

そこから仲良くなったんだっけ。

私の…大事な親友…名前は


朝、目が覚めるとソファで眠っていた。

隣にカイはいなかった。

「…なんだっけ…なにか思い出したような気がしたのに…」

はっきりとしていた夢は、掴む間もなく記憶の彼方へと沈んでしまった。



カイの死神化まで残り44日


気持ちの良い秋晴れの日に、私は間宮さんとある場所に向かった。

間宮さんのところに連絡が入ったみたいだった。

着いた先は、とても立派なお屋敷だった。

なんとここは間宮さんの実家だそうだ。

「ま、間宮さん…こんなところに私が入っても大丈夫なんですか…!?」

「こんなところとはなんだ。俺が良いと言っているんだから良いんだよ」

「は、はい…」

大きな門を潜るとお屋敷への道が続いていた。

お庭は綺麗に整えられていて、今の時期は紅葉が美しかった。

なだらかな砂紋を横目に、何人もの使用人とすれ違い奥の部屋へと向かう。

襖を開けると、大きなベッドに人が横たわっていた。

側には医療機器がいくつも取り付けられている。

生きている、のだろうか。

黒い靄が全身に纏わりついていてどんな人なのか分からない。

でも、ここが間宮さんの実家ということは…

「俺の祖父だ。先日容態が急激に悪化した。阿佐野にはどう見える?」

「全身が黒い靄に覆われていて…死が間近なのを感じます…」

「そうか、では始めようか」

間宮さんは使用人へ簡単に説明し、部屋に入らないように伝える。

「は、始めるって何をですか!?」

「タナスの回収だ」

「だ、だってまだ生きてるんですよね…?諦めて良いんですか…?」

「諦めとかそういうのじゃない。祖父からの伝言だ。命を最大限に利用しろと。俺達が何をしているのか、祖父も知っているんだ」

「分かりました…」

「阿佐野、祖父のタナスはどこにある?」

「お腹の部分です。ちょうど真ん中の」

「流石、肝が据わってることで有名だっただけはあるな」

間宮さんは一度深く息を吐き、お札をベッドに貼り付けた。

ゆっくりと展開する結界の膜に3人が取り込まれる。

間宮さんが手の力を発動させると、右手は黒い鎌を纏った。

慎重に狙いを定める。

その手は震えていた。

声をかけようかと思った時、微かに声が聞こえた。

「…爾朗…あり…がとうな…」

その声が耳に届く頃には、間宮さんの右手はまっすぐにタナスを掬い取っていた。

ゆっくりと消滅した体からクラートが零れ落ちる。

間宮さんはしばらくそれを眺めていた。

その表情はいつもの間宮さんとは少し違った。

きっと家族と過ごしている時の間宮さんなのだろう。



カイの死神化まで残り29日


すっかり寒くなり、コートにマフラーが必要になってきた頃、燈さんと毎月恒例となっている旅行に来ていた。

旅行という名のタナス欠片集めだ。

あれから色んなところに行った。

海や山や、ある時は都会のアングラな場所に。

今回はまた山奥だった。

近くに小さな集落があるみたいだけど、本当にあるのかな?と思うくらい自然が深い。

こんな場所でもタナスの欠片が集まりやすいんだな…。

燈さんと幽霊や妖怪に警戒しながら回収を進める。

だいぶ欠片が集まってきたので、燈さんとおしゃべりをしながら少し歩いていた。

さくさくと枯れ葉を踏む音の隙間に、小さな声が聞こえたような気がした。

誰か…泣いてる…?

「燈さん、どこかから声が聞こえませんか…?」

「うん…幽霊とかの類いではなさそうね」

慎重に歩みを進めると、はっきりと人の泣いている声が聞こえてきた。

「結衣ちゃん、こっちよ!」

何かあったのかと急いで向かう。

近くに集落があるから、もしかしたらそこの子供かも…。

茂みを掻き分けながら進むと崖に出た。

危うく落ちそうになる程、危険な地形だった。

崖の付近に泣いている小さな女の子がいた。

小学生くらいだろうか。

「君、どうしたの?大丈夫?」

燈さんが優しく声をかけると、必死になって説明してくれた。

「きぃちゃん…が…急にいなくなってて…どこ行っちゃったの…こわいよ…」

その子は、震えながらぽたぽたと地面を濡らしている。

「行方不明…?ここなら崖の下が怪しいけど枯葉が多くて見えにくいわね…。結衣ちゃん、見える?」

「ちょっと待ってください…」

集中して目を凝らす。

この高さから落ちてしまったのならきっと重症…もしくは…。

「見つけました!」

枯葉越しでも強く感じるタナスを見つける。

「どう!?」

「おそらく…もう…」

「…気をつけながら降りて、あの子を引き上げるわよ」

「…はい」

少し時間が掛かってしまったが、なんとかもう1人の女の子を引き上げた。

タナスは心臓のあたりにあった。

「燈さん、タナスは…」

「今回はやめましょう。タナスを回収したら身体が消えてしまうわ」

「ですね…」

泣いていた子はその子に抱きつき、更に泣いてしまった。

燈さんと落ち着くのを待ち、近くの集落まで送っていった。


「燈さん、本来の…寿命や病気や事故とかで死んでしまった時は、タナスとクラートはどうなるんですか?」

「そうね、本来ならゆっくりとあの世へ向かうわ。そして時間をかけて身体も消滅する。でも実際には火葬とかで人の手が入る方が早いわね」

「そうなんですね…」

「それにしてもあの女の子、目の前で友達を亡くしてしまって…トラウマにならないと良いけど…」

瞬間移動で燈さんと事務所に戻り、いつも通りカイにタナスの欠片を渡した。


夜になりベッドに横たわる。

今日の出来事が頭から離れない。

仲の良い子が突然消える…そして亡くなる…。

もうほとんど覚えていないあの時の夢と、何かが繋がる感覚があった。

ふとスマホのアルバムを開く。

するすると指を滑らせていると、中学時代の写真がやけに少なく感じた。

あれ、前はそんなこと思わなかったのに…。

痛っ…!

脳の奥がぴりっとなったように頭痛がした。

波紋が広がるように痛みが増していく。

大事なことが思い出せなくて…大事な何かを忘れてる気がしてイライラする。

どうして…こんなに…!

強くなっていく頭痛に耐えきれなくなりうずくまる。

手から滑り落ちたスマホは鈍い音を立てて床に落ちた。

「結衣ちゃん?大丈夫?」

すぐにノックの音と共にカイの声が聞こえた。

なんとか声を出そうとするが、それは呻き声にしかならない。

「結衣ちゃん!?」

勢いよく部屋の扉が開くと、カイが慌てて駆け寄ってきたのを感じた。

あの時の姿と重なる。

あぁ、なんで私は…大好きなあの子のことを忘れてしまっていたんだろう…

海里…



目が覚めると、みんなが揃っていた。

「あれ…私…なんで…」

喉が掠れて声が出しにくかった。

「結衣ちゃん!!よかった…心配したよ」

「何が…あったんだっけ…?」

「カイ君曰く、急に結衣ちゃんが倒れたみたいなのよ。3日は目を覚まさなかったわ」

「…!?」

意識を失っていた時間に驚き、反射で咳き込んでしまった。

「あぁ、まだゆっくりしてて!すぐにご飯とか飲み物用意するから!」

カイはドタバタしながら召喚を始めた。

「す、すみません…忙しい時に…」

「安心しろ、俺と新堂で進めている」

「結衣ちゃんもきっと気付かないうちに疲れが溜まってたのよ、ゆっくり休んでね」

「ありがとうございます…」

カイが張り切って用意してくれたご飯を少しずつ食べ、もう2日ゆっくり休ませてもらうことになった。



カイの死神化まで残り23日


「あの、燈さん、相談があるんですけど…」

「なあに?珍しいわね。もう体調は大丈夫?」

「はい…大丈夫です。ありがとうございます。それで…」

燈さんに海里を思い出した経緯を説明した。

それと私が辿り着いた仮説も。

「死神候補に選ばれた人間と、関係を持った周囲の人間の記憶が消される。なるほど、理にかなってるわね」

「確か…高校生になってから海里と連絡が取れなくなって、行方不明になったんです」

「見つからなかったわけね…」

「燈さん!私、海里のこと助けたいです!助かる方法はありませんか!?」

今度こそ、海里を助けたい!

あの時みたいに…両親の時みたいに…ただ現実を受け入れるだけじゃだめなんだ!

まだ何かあるはず…まだ諦めたくない…!

「よし、分かったわ!実家の資料をもう一度調べてみる!」

「ありがとうございます!」

それから燈さんは資料の洗い直しで忙しくなり、私はいつもの倍以上動き回った。


あれから1週間後、燈さんから結論が告げられた。

「結衣ちゃん、例の件だけど…残念ながら助けられる方法は見つからなかったわ…」




カイの死神化まで残り14日


「カイ、調子はどう?」

「うーん、あと少しで満タンになると思うから崩壊もあと少しだと思うんだよね〜」

「そっか、だいぶ成長?したよね」

出会った時は私と同じくらいの身長だったカイは、今や2m近くある。

とはいえ大半は黒い靄に覆われているため輪郭はぼやけている。

「私もこんなに大きくなるとは」

えへえへとカイは少し恥ずかしそうに言う。

「そういえばさ、カイと行きたい場所あるんだけど…一緒に出かけることって出来る…?」

「うーん…そうだなぁ…ちょっと待ってて」

カイはごそごそと、もぞもぞと動き出した。

そしてガキンっと何かが砕ける音がした。

「はい、これ持ってて」

「えっと…それは?」

「これは私の…魂の欠片みたいなやつだよ」

「え!?ど、どうして!?」

「これだけの大きさの欠片を結衣ちゃんに預けたら、私の力は相当弱くなるしその辺の人を襲うこともなくなるだろうから」

「…触っていいの?」

「特別にね」

「ありがとう」

どうやって持てばいいのか分からないまま慌てていると、カイがそっと手のひらに乗せてくれた。

いつも見ているタナスよりも更に漆黒で、とても重い。

物理的に重いのではなく、命の重さを感じる。

今まで回収してきたタナスがここに集まっているんだ。

今にも手が凍りつきそうだった。

「結衣ちゃんでも長時間それを持っているのは危ないから手短に済まそうか。どこに行きたいの?」


何か確信が欲しくてカイを連れ出した。

私と海里が通っていた小学校、中学校。

海里が通っていたはずの高校。

最寄りの駅や、よく行きそうなスーパー、コンビニ。

だけどカイの反応は特になかった。

やはり何も覚えていないらしい。

最後の頼みであの公園に行った。

「この公園って…」

「昔よく友達と寄り道してた公園なんだ」

それと、海里の目撃情報が途絶えた場所…。

「この公園、私が目を覚ました時の公園だ!」

「え?」

「前の記憶はないんだけど、目が覚めたらここにいて…」

「ほ、他には?何かあった!?」

「えーっと…あ、スマホ持ってた!壊れてたから何もしてないけど…」

「まだ持ってる?」

「うん、確かこの辺に…」

カイは服のポケットを探る。

私が魂の欠片を預かっているからか、出会った頃よりも黒い靄が薄く、手や首や頬など素肌が少し見えた。

「あったあった、これだよ」

「それって…!」

そのスマホには、見覚えのあるものが付いていた。

あの時、お互いにプレゼントした…。

なんで忘れてたんだろう。

本当に海里に関する記憶だけ抜け落ちてる。

急いで自分のスマホを取り出した。

私のスマホにはイルカのキーホルダーが、カイが持っているスマホにはサメのキーホルダーが付いていた。



「結衣、大丈夫…?」

「うん、なんとか…。これからは親戚の家で暮らすことになったよ」

「そっか…転校に…なっちゃうのかな」

「うん…ごめん」

「結衣が謝ることじゃないよ」

「一緒にいるって言ったのに…」

「でも、転校って言ったってスマホもあるからいつでも連絡取れるし、また…いつでも会えるよ」

ぽんぽん、と頭を優しく撫でられる。

海里の言いたいことは分かる。

「でも…。あのさ、海里」

「ん?」

「最後に、1日だけ遊びに行けないかな…?海里の家が厳しいのは知ってるけど…このまま離れるのは寂しい…」

「うん…私もそう思う。なんとか言ってみるよ」

「ほんと!嬉しい!じゃあさ、水族館行こうよ!」

「うん、いいね」

「やった!約束ね!」



高校生になってあれを目撃するまで、当時の私は海里の家庭環境を正確に理解できていなかった。

あのやり取りの後、なんとか1日だけ遊びに行けたけど、見えないところで海里の傷は増えていたのかもしれない。

私が我儘言ったせいで…。


…やっぱり、カイは海里なんだ。

「このキーホルダー、そういえば似てるね。なにか分かった?」

「うん、全部分かったよ」

「全部って…?」

「…ちょっと頭の中を整理したいな。今は事務所に戻ろう」

「そうだね、そろそろその欠片を戻さないと」

その後、無事に欠片をカイに戻し、記憶を改めて整理することにした。


あと2週間。

急がないと。




海里は不思議な子だった。

「なんであなたは平気なの?」

小学生の時の、あの出来事を思い出す。

「平気、なのかな。よくわからない」

出現した黒い靄はいつも海里に付き纏った。

よく観察してみると、黒い靄は少しずつ吸収されていた。

そのため、海里の周りはいつも空気が綺麗だった。

こんなんじゃ海里自身の身体が悪くなってしまうと不安になった私は、学校でよく一緒にいるようになった。



「海里!今度遊びに行かない?」

「あー、えっと、家が厳しくて難しいかな…ごめんね」

「そうなの?じゃあ帰り道に少し遊ぼうよ!」

「うーん…本当に少しになっちゃうけどそれでもいい?」

「うん!」


「この公園って遊んでる子ほとんどいないよね、なんでだろ?」

小学校の通学路にある、大きな木々に覆われた公園はいつも寂れていた。

「近くに大きな公園ができたからじゃない?それにここは遊具もあんまりないし…」

「ふふ、2人の秘密基地みたいだね」

「そうだね」

あははと楽しそうに笑う海里を、その時初めて見た。



「私が上手く立ち回れば全部良くなるんだ。家族も、何もかも」

中学生になったある時、海里はそう言った。

その目は、校舎から見える遠くの飛行機雲を眺めていた。

どこかに行ってしまいそうな彼女の手に、無意識にそっと手を重ねる。

夏の暑さに反して冷たく、壊れてしまいそうな手だった。

「海里は優しいんだね。でもそれじゃあ海里が疲れちゃうよ…」

「大丈夫。そんなに悪いものじゃない。それに…結衣がいるし。こんなにずっと側にいてくれるの、結衣が初めて」

「私でよければ一緒にいるよ」

「…ありがとう」

少しだけ海里は手を握り返してくれた。



「結衣!よかった…今日はいた。大丈夫?」

「ご、ごめんね、1週間も休んじゃって…」

「ううん、休むのは大事だよ。連絡が取れなかったのは心配したけど…」

「か、海里…!あの黒い靄はやっぱり悪いものだった…!」

「…何があったの?」

「この間の朝…私の両親がすごい量の黒い靄に覆われてて…それでそのまま交通事故にあって死んじゃったの…」

誰にも言えなかったことを口にした瞬間、涙で前が見えなくなってしまった。

「そっか…そんなことが…」

「だ、だから、海里も危ないよ!海里…どうしよう…」

ぼたぼたと涙を落としてしまう私を海里はぎゅっと抱きしめてくれた。

「大丈夫だよ、私は真っ黒じゃないでしょ?」

「そうだけど…でも危ないよ…」

「それに人はいつか死ぬし」

海里はたまに、こういうことをさらっと言う。

放たれた声にはいつも…諦めが漂っている。

そして…こんなこと聞く私は、きっとどうかしてたんだ。

「…海里は…死にたいの?」

「私はただの臆病者だよ」

海里の表情は肩に遮られて見えなかった。



とてもとても楽しかった海里との初水族館は終わり、私は親戚の家へ引っ越して、中学を卒業し高校生になった。

海里とはスマホで何度かやり取りは出来たけど、会うことは結局出来なかった。

薄々感じていたものが確信へと変わる。

居ても立っても居られなくなった私は、様子を見に行くことにした。

色んな電車を乗り継ぐこと約3時間。

海里の家の場所は大まかにしか分からなかったけど、実際に近くまで行くと簡単に見つかった。

黒く、異様な雰囲気を放っていた家があった。

そこから出てきたのは両親らしき人だった。

2人の仲は良さそうだった。

家が禍々しいのに反して、綺麗な格好をして楽しそうに会話をしている。

これから外食に出かけるらしい。

人は見かけによらないとはこのことだった。

虐待をするような両親にはとても見えなかった。

でも私には、人には見えないものが見える。

それに、その会話の中に海里はいない。

それが答えだった。

両親が家から離れた隙を見てインターホンを押す。

「…はい」

「海里?私だよ!結衣だよ!大丈夫!?」

「ゆ、結衣?!ご、ごめん、連絡返せてなくて…」

「そんなの全然大丈夫だよ、ここ開けれる?」

「…今は…ダメなんだ…ごめん。えっと、怪我してて出れない…」

「怪我!?だ、大丈夫?病院行けてる!?この家、黒い靄で溢れてるよ!今度こそ危ないよ!!」

「うん…大丈夫…。まだ大丈夫だから…また連絡するから!今日はほんと…ごめんね」

そこでインターホンは切れてしまった。

海里の様子があまりにもおかしい。

警察に連絡…?いや、でもなんて説明すれば…。


一度家に引き返した数日後、海里の名前を聞いた。

夜咲海里が行方不明になったというニュースだった。


私は、またしても何も出来なかった。




カイの死神化まで残り0日


「最後の追い込み、きっついわねー!」

「なんとか間に合いますかね…!」

「間に合わせるのよ!間宮君、あと回収できそうな場所ない!?」

「今調べてる。候補は3箇所だ!」

「それぞれで向かいましょう!」

「はい!」

カイのタナスの限界値が見えなくなっていて私たちは焦っていた。

後少し、その言葉を信じて最後まで力を使う。


3箇所のタナスの回収後、戻ってきたのは私が最後だった。

回収したタナスを一時的に隔離されているカイに差し出す。

崩壊は起こらなかった。

「どうなってやがる!!」

間宮さんは壁に強く拳を叩きつけた。

「まだ、ダメなの…?」

「限界の近くまでタナスを溜め込んでいるはずなのに…!」

3日くらい前から、カイと意思疎通が取れない。

正確なタナスの限界値が分からなくなっていた。

「まずい…時間がな……」

「間宮さん!?」

隔離されていたカイから邪悪な波が溢れ出し、それに触れてしまった間宮さんが倒れた。

更に強い衝撃波が私達にも襲い掛かる。

「くっ…これはヤバそうね…私も…意識が…」

「燈さん!!」

一体何が起きてるの!?

「…っ!!」

また!…私の意識も一瞬飛びかけた。

ふらつきながらカイに近づくと、中心に空間が破れたような隙間があった。

「なに…これ…」

覗いてみると、そこには見たことのない世界が広がっていた。

「…きっとこれが君の世界なんだね」

…カイの死神化が始まった。

どうしよう…でも先に進むしかない!

まだ出来ることがきっとあるはず。

私は海里を救いたい…今度こそ…!

破れた隙間に触れた瞬間、私はそこに吸い込まれた。


そこには全てがあった。

もしくは何も無かった。

私にはそれが何なのか一つ一つ認識できない。

人間に扱える領域じゃないと、直感的に思った。

浮いているのか、進めているのかも分からない。

ただ海里に会いたくて足を動かす。

私は信じてる。

あの時、カイの中に見えた温かい光を。

私だけが知っている彼女の温もりを…。


意識が朦朧とする中、手を伸ばすとそこには巨大なタナスの塊があった。

その中に海里は閉じ込められていた。

「海里…!!」

拳で思いっきり叩いてもビクともしない。

しかし、その塊には既に亀裂が入っていた。

「この形…どこかで…そうだ!あの時、カイの魂を預かった時の形に似てる…!」

この亀裂から壊せれば…!


私にはずっと考えていたことがあった。

もし、万が一、カイの死神化が回避できなかったら。

あと少しなのにタナスが足りない、なんてことが起きたら。

その時は私のタナスを使うんだと。


両親を救えなかった過去の私。

海里を救うのに間に合わなかった私。

今、ここにいる私は…もう後悔はしない!

親友を救う私になる!!


この世界に囚われる前に、最後の力を振り絞って手の力を解放する。

深呼吸をして、真っすぐ自らの胸を貫いた。

無理やり魂が割かれるような感覚がする。

出したことのない苦痛な叫び声が頭に響いた。

はやく…!間に合え…!

タナスが取り出された私の身体は崩壊が始まっていた。

まだ残っている右手でタナスを亀裂に押し込み、最後の壁をぶち壊す。

亀裂は大きく広がり、何人もの、何百人もの悲鳴のような音を立てて塊は崩壊した。

中で眠っていた海里は、まっさらで綺麗だった。

瞼がうっすらと開かれた。

「すぐに気付けなくてごめんね…海里」



――――――



ずっと聞きたかった声が聞こえた。

大好きな優しい声が私の耳を撫でる。

闇の底に眠っていた意識が覚醒する。

この声は…

「…結衣!!」

意識が戻った私の目に映ったのは、大切な人が崩壊する瞬間だった。

「結衣!?結衣!!待って!やっと会えたのに!!」

駆けだそうとしたが足が動かない。

足元を見ると、自分の身体も崩壊が始まっていた。

「このっ…くそ!!動けよ!!…っ、結衣!!!」

急いで伸ばした手が結衣に触れた瞬間、彼女は消えてしまった。

手の中にはクラートが握られていた。

「結衣!!!」

急いでそれを抱きしめた。

優しい温もりに包まれて、涙が込み上げてくる。

待って。消えないで。

まだ結衣と話したい事、たくさんあるよ。

伝えたいことも…。

…生きたい。

結衣と…燈ちゃんと爾朗君と、もっと一緒に生きたい。

もう世界がどうでもいいなんて思わない。

…死神さん、今まで私を見守ってくれててありがとう。

結衣達と出会わせてくれてありがとう。

これからはきちんと人生に向き合います。

だから…どうか…!!

奇跡をください。




目が覚めると荒れ果てたビルの床に横たわっていた。

「生きてる…?」

そう呟いただけなのに、声が重なって聞こえた気がした。



「痛たた…あれ、あたし倒れて…間宮くん!!大丈夫!?」

「う…だ、大丈夫だ…。それよりカイと阿佐野は…?」

「一応、様子から見ると死神化を回避することには成功したみたいね。建物はボロボロ…結衣ちゃん逃げれたかしら…」

「探すぞ……ん?」

「どうしたの?」

「お、おい、あれ…」



「おーい!燈ちゃん!爾朗君!大丈夫ー?」

駆け寄ると、二人ともぽかーんとした表情をしていた。

「あ、あれ?結衣ちゃん?いやカイ君なの…?」

燈ちゃんが目を丸くしながら私の顔を覗き込む。

「し、新堂?どういうことだ」

「あたしにもよく分からないわ…」

「えーっと、多分私と結衣が繋がったみたい…!」

「えー!?!?」


念のため、燈ちゃんに詳しく身体を診てもらった。

「なるほどなるほど、結衣ちゃんのクラートと海里ちゃんのタナスで奇跡的にバランスが取れて生き返ることができたのね」

前の身体の崩壊のタイミングやクラートとの再結合のタイミングで、身体は私で中身は私と結衣という感じになっているようだ。

おかげで結衣の心の声が私には聞こえる。

試しに鏡の前に立ってみた。

確かに外見は以前の私だった。

でも表情というか、雰囲気はかなり変わったように見えた。

きっと結衣のおかげだね。

「それにしてもカイ君が18歳の女の子だったなんて…全然気付かなかったわ…」

「私もまさか死神候補になっているとは…」

分かる範囲で2人に今までの経緯を説明した。

「きっと、死への大きすぎる感情が死神を呼び寄せていたのね」

「死神に助けられていた、か。物は考えようだな」

「死神候補としての素質が無かったら、私は小学生の結衣に出会う前に、とっくに死んでいたんだろうね…。私はこれから結衣と一緒に生きるよ。燈ちゃんも爾朗君も今までありがとう」

「さてと、やっと仕事も片付いたことだし4人で飯でも行くか」

「いいね!行きましょ!」



「結衣…」

なぁに?

「ごめんね…私のせいで結衣の体が…」

ううん、いいの。

今回の件が無かったら、きっと私は一生…前を見れない人生を送っていたと思う。

騙し騙し生きて、心には蓋をして…。

でも、海里を救えたから。

私の大切な人と、また会えたから。

私が私であるための、生きる意味になったよ。

海里の中で、だけどね!

「結衣…ありがとう。あのさ、今度は私から言わせて」

うん。

「これからはずっと側にいるね。助けてくれた分、今度はまた私に守らせて」

私だって!最後までずっと一緒にいるし、海里の事これからも守るんだから!

「ふふ、嬉しい」

海里…涙が…

「あれ、おかしいな…すごく、すごく嬉しくて…世界が、眩しくて…」

そっか、ずっと靄に覆われてたもんね…暗かったよね。

「うん…誰かと生きたいと思える世界って、こんなにも輝いて見えるんだね」

ふふ、なんだかやっと海里と心から話せてる気分だなぁ。

「今まで話せなかったことも…伝えられなかったことも、これからゆっくり話していくね」

うん!楽しみ!


気付いたら私は黒い靄が見えなくなっていた。

でも私は忘れない。

身近に潜んでいる死を。

私たちを救ってくれた沢山の人の魂を。


世界は再び、降り積もった雪が溶け出す春になった。

それから私たちは、タナスを回収してきた場所を周った。

電車に揺られ、バスに揺られ、時には飛行機にも乗って、そして歩いて。

1か所1か所、丁寧に手を合わせる。

無意味…だと思う。

でもこれは、死ぬまで毎年続けることにしたんだ。


後日、燈ちゃんの伝手で今回の出来事を本に書き残すことにした。

次が何十年、何百年先になるか分からないけど、その時の人たちが協力して大厄災を回避出来るようにと。

「よし、こんな感じかな」

「歴史的な書物になるかもしれないのよ?タイトルはそれでいいの?」

「うん!分かりやすさは大事!でしょ?」

「ふふ、それもそうね」


『死神化ゼッタイ阻止計画』






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死神化ゼッタイ阻止計画 獅子戸ロウ @sisidorou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ