第4話 マドンナのその後

 では、マドンナはどうか……

 マドンナの名前は遠田ステです。ステと云う名はおそらくてで、これで末子すえこで終わりだと分かります。しかし、遠田ステには妹のトヨもいました。これで終わりじゃなかったのです。

 マドンナは、小説では2回か3回くらいしか出ません。しかし、赤シャツこと横地石太郎の処にはよく行ったようで、それは赤シャツの次女、敏子としこもいたようです。夏目漱石も毎日のように赤シャツの処まで行っていたようです。「坊っちゃん」の小説では、マドンナは二回か三回しか出て来ませんが、実際は、毎日のように会っていたようです。

 マドンナのそれからは正直云って分かりません。この松山でも知っている人は当時でもいなかったようです。130年程昔ですからなおさらです。

 昭和46年に朝日新聞に赤シャツの次女の広瀬敏子ひろせとしこさんにインタビューしたことが出るのですが、まずは、マドンナは軍人の娘だったこととか、マドンナが遠田ステが分かったようです。「坊っちゃん」のマドンナが遠山のお嬢さんが遠田のお嬢さんになっている。また、マドンナの妹のトヨが梅木うめきに嫁いだことも分かったのです。そして、英語の教師の梅木が野太鼓だったことも分かったのです。東京帝大卒の英語の夏目漱石の子分だと云うと将来のかてになるのではないかと云う配慮もあったのではないか。野太鼓ですのでそれも有りかと。

 しかし、それからのマドンナは分かりません。

 松山では、マドンナは、軍人の嫁になったとか、その軍人は日清戦争で戦死だったこととかがありますが、マドンナは日清戦争とは時系列が違うし、そもそも明治と云っても11歳で嫁に行くか? 

 他には、広島の商家に嫁いだとか、京都の坊さんの嫁になったとか、大阪の商家に嫁いだとか、大阪の病院に嫁いだとかもあります。全く根拠も何もありません。それでもあるかなと思うのが、大阪の病院の医師に嫁いだのもあります。

 マドンナは同志社の系列の松山女学校(現東雲高校)の二回生で創立二年で答辞を述べています。美人で頭も良かったはずです。同志社のキリスト教は京都・大阪で急速に広まったので、マドンナの美貌の噂もあったはずです。大阪の商家か医師に嫁いだと云うのが普通にあるはずです。何度も云うのですが、130年前です。広瀬敏子(当時90歳)さんのインタビューも昭和46年です。半世紀以上ですからスンマヘン。


 その当時の学生が教師の付けた仇名が残っている。

弘中又一は弘中シッポク

住田昇はふくれた豚の腹

横地石太郎は横地のゴート髭

太田厚は醜い太田

夏目金之助は鬼瓦

中堀貞五郎はコットリ一寸法師

 弘中のシッポク饂飩が「坊っちゃん」では天ぷら蕎麦になっている。だが、生徒の中では「ぼんち」の仇名になっている。「ぼんち」が「坊っちゃん」になって主人公になるのだが、夏目漱石はその意味がおそらく分かって無い。「ぼんち」が反対に「ちんぼ」になるのだが、どうでもいい事だ。

 夏目漱石は「鬼瓦」の仇名になっている。疱瘡の鼻にある跡が鬼瓦となるのだが、松山の隣に菊間と云う村があり、奈良時代からの瓦産地で、その鬼瓦の名物である。その村の出身の生徒が付けた仇名ではないかと云われている。夏目漱石の顔は斜め左の顔が殆どである。夏目漱石はその鼻の疱瘡の後が、かなり気になっていたようである。

 中堀貞五郎はうらなりであるが、生徒たちには背が低いし足も引きづっていたようだ。コットリと云うのは、引きづった音が「コットリ、コットリ」と聞いていたようでこの仇名になった様である。

 昔の生徒は、容赦なかったようだ。


 

 

 


 


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