第21話 閉ざされた部屋で

 硬い床。冷たい空気。鉄筋コンクリートの壁はなんとなく湿っている感じがして、まるで牢獄が呼吸をしているかのように感じられた。


 僕は膝を抱えて、懲罰房の片隅にうずくまっていた。懲罰房は窓の鍵が針金で固定されており、黒い紙が外側から貼られていてわずかな隙間からの木漏れ日しか感じられない。食事は一日一度。水も限られていた。


 けれど、空腹よりも耐えがたいのは、頭の中で繰り返される光景だった。


 ——バン、という乾いた銃声。

 ——倒れる若者。

 ——詩織さんの走る背中。

 ——佐伯の怒鳴り声。

 ——止めようとした僕を取り押さえる、複数の腕。


 「どうして、ああなった……」


 つぶやいた声が、誰もいない壁に吸い込まれる。


 僕はただ、守りたかっただけだ。キチジョーと、詩織さんと、あの空気を。


 暴力で解決しない道を、どうにか探せると思っていた。思い上がりだと、言われても仕方ない。けれど、それでも。


 「……止めなきゃいけなかったんだ」


 拳を握る。誰に向けてでもない。ただ、自分を見失わないために。


 扉の向こうで何かが動いた音がした。重たい金属の鍵が回され、ガチャン、とロックが外れる音。僕は思わず身構える。


 開いた扉から差し込んだ光の向こうに、誰かのシルエットがあった。


 現れたのは詩織さんだった。目の下に濃いクマを浮かべ、髪はいつもよりぼさついている。


 「詩織さん……どうして……?」


 「あなたの面会を認めてもらったの。時間は少しだけ」


 彼女は足早に中へ入り、扉の内側が再び閉じられる。その音は、まるで時限付きの檻に閉じ込められるようだった。


 「どうして、あんなことをしたの……?」


「こうでもしなきゃ、あなたが死ぬわ」


 「君は佐伯くんに何を吹き込まれたんだ?」


 「佐伯くんはここに医者が必要だって。インフラは解決できる。食料も自給できる。あとはあなたが必要だって言われた」


 「君はここで生きていくつもりなのか?」


 「……ここなら本当に新しい政府がつくれるかもしれない」


 詩織さんの声が響き、二人の間の空気がピリリと張り詰めた。


 でも次の瞬間、詩織さんはふっと力を抜き、小さくつぶやいた。


 「……でも、わからない」


 「どういうこと?」


「キチジョーの思想はすごいと思う。だけど、キチジョーはキチジョーしか救えないかもしれない。日本には、いや世界にはまだまだ苦しんでいる人がいるのに、私はここに残っていいのかな……」


彼女は医療者として苦しんでいた。小さな村で生まれ、小さな村が滅びるのを目の当たりにし、大きな力で人々を救おうとしていた。現場を救うという意思と、未来を育むという意志が葛藤しているのだった。


「とにかく今は危険な状態。佐伯くんは警官隊との戦争を望んでいる。小競り合いが各所で起きて怪我人も出てる……それに死傷者も。なんでみんな生きてるのに……命を取り合うの……」


 詩織さんは目に涙を浮かべてが去っていった。狭い懲罰房に再び静寂が戻った。壁のシミのひとつひとつが不気味に見えてくる。空気は重たく、時折外から響く怒号が不安をあおった。


 けれど、耳を澄ますと――別の音も聞こえてきた。


 「……集会の声?」


 僕は壁に耳を押し当てた。外では誰かが演説のようなことをしている。扇動的な言葉が響く。怒りと、復讐と、団結。


 「もう話し合いなんて意味がない! 俺たちは踏みにじられたんだ!」


 誰かが叫ぶと、それに呼応するように歓声が上がった。警官隊への怒りが、雪崩のように広がっていくのがわかった。


 このままだと、もう止まらない。


 僕は奥歯を噛みしめる。これが、佐伯が目指していた未来なのか? 詩織さんが必死に守ろうとした、希望のカタチだったのか?


 手の届かない扉の向こうで、世界が崩れていく音がした。


 爆発音のような破裂音が遠くから響いた。壁が震え、天井の埃がぱらぱらと落ちてくる。


 「なんだ……?」


 僕は反射的に身を縮めた。数秒遅れて、外から警報のような金属音と、叫び声が重なる。「来たぞ!」「なんで今……!」そんな断片的な声が廊下を駆け抜ける。


 ドン! という衝撃音と共に、扉の向こうの壁が軋んだ。


 そのときだった。扉がガン!と開け放たれる音がした。


 「一ノ瀬くん! 逃げて!」


 叫んだのは、詩織さんだった。息を切らしている。


 「まさか、警官隊が?」


 僕は立ち上がることもできず、ただ呆然と詩織さんを見つめた。彼女は震える声で答える。


 「キチジョーが武力蜂起を決めたって知った瞬間、光の庭が動いたの。最悪の形で――」


 「止めなきゃ……! 佐伯くんたちが……!」


 「一ノ瀬くん!」


 僕たちは、戦争の中心に放り込まれた。

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