第19話 招かれざる客


今日もキチジョー内部の農場やら発電装置についてメモしていると、昼頃から雨が降り出した。空の色はいつになく重かった。

弱い雨音にまぎれてキチジョーの鉄扉に重たい足音が響いた。


「開けろ。警察隊だ」

低く抑えられた男の声が、鉄扉越しに伝わってくる。


夜から起きていた見張りの住民二人が即座に扉の前へ向かい、覗き窓から外を確認する。僕にも確認するよう門番が目配せしてきた。うなずき、恐る恐る小窓を覗く。

視線の先にいたのは、明らかに只者ではない空気をまとった男だった。黒い制服、胸のバッジ。この物資不足でも制服をこしらえたのは明らかに威圧のためだった。階級章のようなその胸の輝きは、パンデミック前で言えば警部クラスの幹部だろうか。


「……通せ」

いつの間にか現れた佐伯の合図とともに扉が開く。中へと入ってきたのは、警部らしき男と、その後ろに続く3人の部下。全員が無言で周囲を見渡しながら、アジトの広間へと足を踏み入れた。


僕は詩織さんとあかりと共に、その様子を廊下の奥から見ていた。

場違いな黒の制服。銃のホルスター(まだ使用可能な銃なんて残っていたのか?)。空気が一気に冷えたような気がした。


「こりゃまた……ずいぶん賑やかなことだな」

男が広間を見回しながら、ニヤリと笑う。


佐伯が前に立ち、警戒を隠さず口を開く。

「今日は何のご用で?」


「なに、あいさつだよ、リーダーは誰だ?」

男は気安げに言いながら、佐伯をすれ違い、勝手に中へ踏み込んでくる。


「僕がリーダーですが」


大げさにずっこけて振り返る男。ニヤニヤしながら「この子がねぇ……」とアゴを触りながらまじまじと佐伯を見つめた。


その目線は冷静に、だがどこか愉快そうに、我々を一人ずつ舐め回すように走った。


まるで、“品定め”でもしているかのように。


僕の背筋が、嫌な予感でこわばる。


「ふーん。思ったよりガキが多いな」

警部は壁に寄りかかりながら、退屈そうに口を開いた。

「おい、お前」

突然、近くにいた若いキチジョーのメンバーを指さす。

「銃は撃てるのか?」


「……パンデミックのときに一回だけ撃ちました」

青年が口ごもりながらも答えると、警部は鼻で笑った。


「へえ、それで仲間を守れると思ってるのか? 面白いな。一回だけの訓練なんて“ハナクソ”って呼ばれてるんだがな」

その言葉に、広間の空気が凍る。


佐伯がすかさず一歩前に出る。

「警察隊が組織されるのは聞いていましたが、我々は面倒は起こしてませんよ」


「今までの警察は面倒が起きないと動かなかった、これからは面倒が起きる前に動くことになったんだ」

警部はにやけたまま遮った。

「俺たちがこの街にいるのは、上からの命令があったからだ。ただし、お前たちがこのまま“勝手”を続けるようなら——見逃す理由は、もうない」


睨み合う佐伯と警部。

俺はその様子を息を詰めて見守っていた。

まるで火花が散るような、殺気すら漂う瞬間だった。


「ま、今日はただの顔見せってことで」

そう言って警部は踵を返す。

「引き続き仲良くしようよ、リーダー坊や。住民の安全のためにな」


そのまま連れの隊員たちを従えて、警部はゆっくりと出ていった。


僕は奥で、詩織さんとあかりの顔を見る。

二人とも固く口を結び、目の奥に不安を隠せていない。


佐伯が静かに言った。

「……あまり時間がなさそうだ」


警部たちが去った後、広間には重たい沈黙が残った。


「……あいつら、絶対何か企んでる」

あかりがぽつりとつぶやく。

いつもは明るくふるまう彼女の声が、今日ばかりは沈んでいた。


「なあ、佐伯さん」

僕は声をひそめて問いかけた。

「警察隊とやり合うのか?」


佐伯は短く首を横に振った。

「無理だろうな。僕たちも武力衝突は避けられないと思っているが、それは最低限に留めたい。武器の調達は中央政府には勝てない」


「やつらは挑発してるんじゃないか?」


「おそらく。どこかで火を点けて、全員検挙するつもりだろうね」


僕の背中に冷たい汗が流れた。

警察隊の増加。緊張の高まり。

まるで、嵐の前の静けさだ。


「今のうちに住民を避難させた方が……」

そう口にしかけて、詩織さんと目が合った。


彼女は何も言わなかった。

でも、その目は明らかに「それで済むの?」と問いかけていた。


キチジョーには生活がある。家族もいる。

簡単に「逃げる」という選択ができない人もいる。


僕は拳を握りしめた。

どうする。僕は、ここで何をすべきなんだ。


翌日、広場で水の配給が始まった。手動ポンプでくみ上げた水は貴重で、朝早くから長蛇の列ができていた。ここではキチジョーの外にいる人間にも配給している。文字通り、勧誘のための「呼び水」だ。


「はい、お次の方ー!」

あかりが明るい声で列をさばいている。だが、彼女の声には少し緊張が混じっていた。


そのとき、列の端で怒声があがった。

「おい、順番守れって言ってんだろ!」

ある男が、老人の肩を乱暴に押した。

「年寄りはあとでいいんだよ。俺たちにも時間がないんでな」


周囲の空気が一気に冷えた。キチジョーの住民たちが、じっとその光景を見つめる。


あの体格、警察隊の人間ではないかと疑ってしまう。


「やめてください!」

あかりが間に入った。

「この方は朝から並んでたんです! 順番は守ってもらわないと!」


「は? 誰に口きいてんだ、ガキが」

男があかりを睨みつける。

その瞬間、僕は思わず前に出ていた。


「そのくらいにしてください」

声が震えるのをこらえて言った。

「みんな不安の中で生活してるんです。協力し合わなきゃいけないはずでしょう?」


男は鼻で笑っただけだったが、それ以上は何もせず引いた。

しかし、周囲に残ったのは怒りと緊張、そして一触即発の空気だった。


僕は心の中でつぶやいた。

これは――もう、長くはもたない。


その夜、キチジョーのアジトは静まり返っていた。


さっきまで騒がしかったはずの空間に、今は誰も声を出そうとしない。ただ、重苦しい沈黙が空気を支配していた。


「……あれが“現実”ってことだ」

佐伯がぽつりと呟いた。

「僕たちが今まで築いてきたものが、あの制服の一睨みで崩れるかもしれない」


詩織さんは口を閉ざしたまま座っていた。あかりも笑わない。まるで、街ごと時間が止まったような錯覚さえ覚えた。


「俺たちはあいつらと戦うのか?」

誰かがそう呟いた。


誰も答えなかった。


僕も、できなかった。


何かが、少しずつ音もなく崩れている――そんな気がした。


そして、僕は気づいた。

たとえ武器を持たず、言葉を尽くしても、

人の怒りと恐怖が限界を超えたとき、

火はいつか燃え上がる。


それが、キチジョーの灯火を焼き尽くす前兆だとしても。


佐伯がふと立ち上がって叫んだ。

「僕たちは家族だ!家族を危険な目にあわせるわけにはいかない!明日、あの男と協定を結ぼうと思う!」

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