第15話 理想郷なのか


 キチジョーを歩く僕の横には、詩織さんが並んでいた。

 佐伯に案内されて回った後、自由に見て回っていいと言われた僕たちは、このシェルターのような街のあちこちを歩いていた。


 廃工場と廃倉庫の間には市場のような出店がいくつかあり、人で溢れている。かつての吉祥寺を思い出させる、いや、それ以上に若者たちのエネルギーに満ちた空気だった。

 路上には手作りの雑貨や野菜が並んでいた。ギターを弾く少年たち、手を繋いで踊る少女たち。笑い声、歌声、掛け声。すべてが生命力に溢れていた。


「すごい……」


 隣で、詩織さんが呟く。

 頬にかかる髪を風が揺らしていた。僕も頷く。


「ここが、今の吉祥寺……キチジョー、か」


 廃墟の中でかろうじて生き延びるだけの場所を、想像していた。けれどここは違う。

 彼らは生きるためだけじゃない、何かを創ろうとしていた。

 演劇の小さな舞台が組まれ、子供たちが手作りの人形劇をしていた。建物の壁には色とりどりのペイントアート。


「……活気がある。でも、なんだろう。どこか、少し違和感もある」


 僕が口にすると、詩織さんは小さく笑った。


「私も……少しだけそう思った」


 明るい笑顔の影に、ほんの少し、緊張感が漂っている。

 自由を叫ぶ若者たちの目が、ときおりこちらを値踏みするように光るのを、僕たちは感じていた。


 だけど、それでも、こんな場所があるということが、どこか希望に思えた。

 僕たちが忘れかけていたもの。

 それが、ここにはまだ、確かに息づいていた。


 歩いていると、廃工場の裏手の広場の隅に、鉄パイプとブルーシートで作られた大きな屋根が見えた。

 その下に、何台ものソーラーパネルが並べられている。

 日光を受け、かすかに発熱するパネルたちは、まるで命の器官のようだった。


「……あれ、全部、稼働してるんだな」


 僕が驚いて呟くと、詩織さんも目を細めた。


「でも、バッテリーは……もう、ほとんど死んでるはずじゃ」


 そう、僕たちも知っている。

 ゾンビ・パンデミックの混乱から数年が経った今、既存のバッテリーはほとんどが劣化していて、満足に電気を蓄えられない。


「ここは、電気を『ためる』んじゃない。『作ったら即使う』って方針なんだよ」


 声がして振り向くと、整備服を着た若い男が、油に汚れた手を拭きながら笑っていた。

 話を聞くと、彼らは各地の廃墟から使えるソーラーパネルを片っ端から回収してきたらしい。

 直結配線でリアルタイムに電気を供給し、照明、ポンプ、簡易冷蔵庫、そして農業に使っている。


「バッテリーが腐ってるなら、貯めなきゃいいって話。必要なのは、『今』動かす力だろ?」


 どこか誇らしげに言う彼に、僕も詩織さんも感心して頷いた。

 生きるために、彼らは工夫し、知恵を絞っていた。


「できた!」

ある少年が換気扇のプロペラを使って不細工な季節外れの扇風機を作っていた。電力の供給部に直結しスイッチを入れたところ、爆音とともにプロペラが高速回転した。しかしすぐにプロペラは停止した。

「ありゃ?まだまだだなー」


「ここに来てほんとによかったです……」

ボロを纏った男が女性となにやら会話している。

「僕は郵便局員で、パンデミック前は何もできなくて怒られてばっかりで、自殺も考えたんですけど、佐伯さんは君は君らしくいればいい、好きなことを好きなようにやってくれたら皆が助かるんだ、ここはそういう場所なんだよって言ってくれて、こんな僕でも生きてていいんだ……こんな僕でも誰かの役に立てるんだって……」

男はたちまちに泣き出した。そばにいた女が彼を優しく抱きしめていた。


「……ちょっとここに居るの楽しいかも」


 詩織さんが素直に声を漏らす。

 僕も同じ気持ちだった。

 言い訳も、泣き言もない。ただ、今を生き延びるために、彼らは手を動かしていた。


「……この町、想像以上に、本気で『生きてる』んだな」


 僕は心の中で、もう一度その事実を噛み締めた。


 ソーラーパネルのエリアを抜けると、開けた草原に出た。

 そこでは、若い男女が何かの作業に励んでいた。

 農業用の道具を手入れする者、簡易な家屋を修理する者、ケーブルを引き直している者──。

 活気が、空気を震わせている。


「……本当に、若い人ばかりね、私たちと同じぐらい?」


 詩織さんが驚いたように言った。

 僕もあらためて周囲を見渡す。

 10代後半から20代前半、たしかにせいぜい僕たちと同じくらいの年齢層ばかりだった。


「ここには、五百人いる」


 ふいに背後から声がした。

 振り返ると、またあの整備服の青年が立っていた。

 彼は自分の手を広げるようにして、町全体を示す。


「全国のどこかで生き延びた若い奴らが、佐伯さんに引き寄せられて集まったんだよ。大阪から歩いてきたやつもいたな。みんな、居場所を失った連中さ。だからこそ……ここにしがみついてる」


 その声には、どこか哀しみが滲んでいた。

 このキチジョーは、単なるコミュニティじゃない。

 生き場所をなくした若者たちの、最後の砦だった。


「……彼らがいれば、ここはまだ、未来を作れるかもしれないな」


 僕は思わずそんなことを呟いていた。

 詩織さんも、小さく、でもはっきりと頷いた。



 案内が一段落すると、佐伯少年は僕たちを古びた建物へと招き入れた。

 そこは、かつてのカフェだったらしい。打ち捨てられた家具が並び、壁には若者たちの手で描かれた希望の絵が飾られている。


 佐伯はカウンターに腰掛け、こちらをじっと見つめた。

 その目は、年齢を感じさせない底知れぬ光を宿している。


「一ノ瀬くん、榊原さん。君たちをここに呼んだのは、ただの親善目的じゃない」


 僕は思わず身構えた。

 詩織さんも警戒した様子で佐伯を見返している。


「君たちは特別だ。目を見ればわかる。強い意志を持っている。だからこそ、提案したい、あらためてね」


 佐伯はゆっくりと手を広げた。


「……僕たちと一緒に、世界を変えないか?」


 その言葉に、胸がざわつく。


「政府は腐りきっている。お飾りの秩序を守るだけで、本当に人を救う気なんてない。僕たちなら違う。新しい社会を作れる」


 佐伯は熱を込めて語る。

 けれど、僕の中には、妙な違和感が残った。

 何かが引っかかる。


 佐伯は、ちらりと詩織さんに視線を送った。


「医療の知識も、未来には欠かせない。……榊原さん、君の力も必要だ」


 何か彼の目線が気になった。彼が本当に必要としているのは僕なのだろうか。

 今、僕にできるのは一つしかない。


「……答えは、少し考えさせてくれ」


 佐伯は笑みを浮かべた。

 その笑顔には、どこか冷たさが混じっていた。


「良い返事を期待しているよ」

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