第14話 キチジョー

 吉祥寺の奥、倉庫の残骸の鉄扉の中にそれはあった。


 キチジョー自治連邦共和国


 冗談みたいな名前だと思ったが、その向こうに広がる光景は冗談では済まされなかった。廃倉庫の屋根にはソーラーパネルがあり、風車があり、小規模な畑や水耕設備まである。人が暮らしている。生きるための工夫と熱意が、そこには確かにあった。


 「お待たせしました、公務員さん」


 声がして、僕は振り返る。そこにいたのは、まだ声変わりもしていないような少年だった。十三歳くらいか。背は低く、痩せている。だがその目つきは、誰よりも大人だった。油断も怯えも、そこにはない。


 「僕が佐伯。ここの代表だよ」


 彼が、この“キチジョー”のリーダー――佐伯。


 まるで芝居でも見ているような気分だった。だが、俺の視線を受け止める少年の目は、真っすぐで、揺るがなかった。


 「集会の時驚いた? よく言われるよ。けど、年齢で判断されるのは慣れてる」


 笑いながら佐伯が手を差し出す。僕も、自然とそれを握っていた。


 「まずは案内するよ。せっかくだし、うちの国を見てもらいたい」


 僕が言葉を返す前に、彼はくるりと背を向けて歩き出す。周囲にいた若者たちが黙ってそれを見守っている。その視線に、信頼と尊敬がにじんでいた。


 ――この子供が、本当に彼らを率いているのか。

 僕は思わず背筋を伸ばし、彼のあとを追った。


「メインのソーラーパネルはバッテリーがないからそのまま使うしかないんだけど、いろんな場所から持ってきたやつを繋げることで一日分の電力はまかなえる。正直、効率は最悪だけど、ないよりはマシ」


 佐伯は誇らしげにそう言いながら、組み上げられたソーラーパネル群を指差した。日差しを反射するパネルの間には、見たこともないような即席の電線と、自作装置らしき配線のかたまりが繋がっている。


 「これで最低限の電力は確保してる。冷却ファンも動かせるし、風力を使ってLEDで夜間照明もいける。あとで見せるけど、これ使って農業もやってるよ」


 僕は唸った。技術的にはギリギリの組み合わせだが、理にかなっている。しかも、明らかに“学ばれて”いる。中途半端な知識じゃない。これは、蓄積された思考と実践の成果だ。


 「電気が安定してるとね、人の心も落ち着くんだ。冷たい水が飲めるだけで争いは減るし、夜に明かりがあると治安も保てる。だからまず電気。そこから始めたんだ」


 彼の口調には熱があった。ただの子供の夢物語ではない。現実を見据えた計算と、目的意識に裏打ちされた言葉。


 「この先に畑がある。今はハウス内で水耕栽培してる。栄養バランスは最悪だけど、それでも生きていけるくらいにはなった。たまに他の地区と物々交換もしてるしね」


 風通しの悪い倉庫の一角には、小さな温室が広がっていた。水と光で育てられた野菜たちは、みすぼらしいながらも確かに実っていた。


 「教育はまだ課題だね。ここの大人たちは、ほとんど戦後、それも平和ボケにボケまくった無教育状態で育ったから。だから僕がやってる。週一で講義開いて、物理と倫理を教えてる」


 ふと、彼が振り返って俺を見た。


 「君は……大学、出てるんでしょ? だったら分かるはずだ。知識こそが、未来をつくるって」


 言葉を失った。

 この子は、どこまで本気なんだ。


 「僕らは夢を見てるんじゃない。現実を変えようとしてる」


 彼の横顔は、信じられないほどまっすぐだった。


 「こっち。住居エリア」


 佐伯が指差したのは、倉庫の裏側、雑居ビルを改造したような建物だった。外壁には手描きのペイントが施され、窓からは手作りのカーテンがひらひら揺れている。入口の脇には「キチジョー住民以外立入禁止」の手書き看板が掛かっていた。


 中から出てきたのは、若者たち――僕と同年代か、もう少し年下か。風変わりな服装に、独特の視線。中には子どもを抱いた女性の姿もあった。彼らの顔には、奇妙な安心感と同時に、どこか浮世離れした空気が漂っていた。


 「ここにいるのは、みんな僕の考えに賛同した人たち。政府に見捨てられ、社会に居場所がなかったやつばかり。でもね、今は違う。ここでは誰もが、必要とされてる」


 佐伯の声は穏やかで、それでいて強かった。


 「僕のやり方が正しいかどうかは、正直わからない。けど……一回壊れたこの国を、僕たちの手で作り直すってのは、そんなに間違ってるか?」


 僕は言葉を返せなかった。

 彼が話すのは、理想だった。けれど、そこにいた人々の目は――現実を生きる人間のそれだった。


 「君、政府の役人なんでしょ? だったらわかるはずだ。今の仕組みじゃ、誰も救えない。あんたたちは、守るために遅すぎることばっかやってる」


 胸の奥を刺されたような気がした。


 「君には、そう見えるのかもしれないけど……僕たちは、僕は、守ろうとしてる。少しでも」


 「その“少し”が遅いって言ってるんだよ」


 目を見開いた佐伯が、真っすぐ僕を見つめていた。

 あの視線には、確信があった。

 まるで、自分たちの方が真の“正義”だと、信じて疑っていないような――そんな目だった。



 案内の最後、佐伯は町工場の廃墟を改修した広いホールに僕を連れて行った。元は生産ラインだった場所に、今はソーラーパネルで照らされた灯りと、簡素なステージ。数人の若者がホワイトボードを前に議論していた。


 「ここが、僕たちの中枢。作戦会議室ってとこかな」


 そう言って佐伯は笑った。


 「何の作戦だよ」と僕が口に出す前に、彼は僕の目を真っすぐに見た。


 「君は、僕たちと同じ目をしてる。……強者の目だよ」


 強者――僕が?


 「信じてるんだ、自分の行動が誰かのためになるって。それって、選ばれたやつにしかできないことなんだ。だから……僕たちと一緒に来ないか?」


 場の空気が、急に重くなった。黙って後をついてきた詩織さんと僕は目を合わせた。この子のカリスマ性に僕たちは恐れおののき、言葉を失った。


 「我々は、東京の旧支配構造を覆す。自由で、平等な新しい都市をつくる。このパンデミックの終息を期に、新世界を作り上げて僕は王になる。既存の政府には任せておけない。君はその最前線に立てる器だ。ここに来てもらったのは、その確認のためだよ」


 ――なるほど。僕が呼ばれた理由が、ようやくわかった。


 これは視察なんかじゃない。

 僕を「仲間」に引き込むための、誘いだったんだ。


 「……返事は、今じゃなくていい。考えておいてくれ。君は調査官だからもう少しここにいるんだろ?僕は君のこと、信じてるから」


 佐伯はそう言って、背を向けた。

 ホールに残された僕と詩織さんは、張りつめた緊張をほどいて同時に静かに息を吐いた。


 ――志か。

 確かに、僕にもそれはある。けれど、あの光景が正しいのかは……まだ、わからなかった。

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