第7話 ホームセンターで見つけた希望と絶望

僕は自転車のペダルをゆっくりとこぎながら、舗装の割れた田舎道を進んでいた。朝方はまだ寒かったが、昼近くになるとコートの下がじんわりと汗ばんできた。東京といえばビル群やアスファルトのイメージが強かったけれど、この西の外れには、まるで別の県に来たみたいな風景が広がっていた。


畑の跡地や、誰もいない住宅地。郵便ポストに溜まったチラシ。車の通らない道路。静かすぎて、自転車のチェーンが回る音がやけに大きく聞こえる。


「こんなに平和なのに……」

そうつぶやいた自分の声が、空に吸い込まれていく。


だけど僕は知っている。この静けさは、生きている人間がいないからだ。生ける屍――いや、あの感染症で街は壊された。人々は死に、逃げ、あるいは感染した。ここにはもう、日常は残っていない。


途中、小さなコンビニを見つけた。興味本位で立ち寄ってみたが、食料も水も、使えそうな物資はすでに誰かが持ち去った後だった。雑誌コーナーに置き去りにされたままのギャンブル雑誌だけが、時間を止めていた。


再び自転車にまたがり、しばらく走ると目的地が見えてきた。ホームセンター、チェーン店の農業資材専門店舗。周囲は雑草が伸び放題で、駐車場には誰のものとも知れない車が錆びついて止まっている。


割られた自動ドアを慎重にまたぎ、中へ入った。


日光が差し込まない店内は薄暗く、黙っていると心細くなる。リュックを背負い直して、売り場を一つずつ見ていく。農具、土、肥料、そして集水のための部品……どれも重いが、なんとか持ち帰れそうな物をリュックに詰めていく。


そして、種コーナーを見つけた。


「……あった」


小松菜の種。さらに、かいわれ大根の種も棚の隅にあった。小さな袋に入ったそれらは、まるで未来の希望が詰まっているかのように輝いて見えた。


「これで……」


と、安心しかけた瞬間だった。


奥の方から、かすかな声が聞こえた。歌のような、うめきのような。僕は息を止めて耳を澄ました。もう一度、声。確かに人の声だった。


僕はゆっくりと、慎重に音のする方へ向かった。農機具売り場の奥、崩れた棚の陰に、誰かがいた。


それは、髪の長い女性だった。やせ細り、目の焦点が合っていない。その腕の中には、明らかに生気を失った赤ん坊がいた。


「……赤ちゃん……?」


僕がそう声をかけると、彼女は一瞬だけ僕を見た。しかしすぐにまた赤ん坊に向き直り、揺すったり、頬をなでたりして「ねんねしようね」と繰り返していた。


「大丈夫ですか?ここから一緒に行きましょう。安全な場所があるんです」


僕はゆっくりと歩み寄り、できるだけ優しい声で言った。けれど、彼女の瞳は虚ろなままだった。


「あなた、私の赤ちゃんを、取りに来たのね……」


「違います、そんなことは……」


その瞬間、彼女は叫び声を上げ、突然僕の横をすり抜けて走り出した。崩れかけた棚に突っ込むように転倒し、そのまま鉄パイプが倒れてきて――彼女は、動かなくなった。


……僕は動けなかった。救うことができたかもしれない。いや、何か言葉を間違えたのかもしれない。けれど、もうどうにもならなかった。


赤ん坊の遺体と彼女を、そっと並べるようにして寝かせた。目を閉じて、黙祷を捧げた。合掌すら、彼女には届かないだろうけど。


それから僕は、残されたリュックを背負い直し、再び自転車に乗った。


帰り道、風景は朝と同じだったはずなのに、どこか色を失って見えた。


村に着いたのは、夕方だった。子どもたちの笑い声が、かすかに聞こえる。詩織が井戸のそばで何かを洗っていて、僕の姿を見つけて駆け寄ってきた。


「おかえり。無事だった?」


「ああ、種は見つかったよ。……これでちょっとは希望が見える」


そう言ってリュックを下ろした僕に、詩織が首をかしげる。


「……どうしたの?なんか顔色悪いよ?」


「ううん、なんでもない。ちょっと、疲れただけ」


僕はそう言って笑ってみせたけど、うまく笑えていたかはわからなかった。

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