第5話 公務員の仕事は人間としての失敗なのか

「この家屋を利用させていただければと思っております」


僕は地図を広げながら、現場にいた数人の住民に声をかけた。

元は診療所の裏にあった個人宅。瓦は少し落ちてるけど、壁はしっかりしてるし、床も乾いてる。屋根にブルーシートをかければ当面の雨も防げる。


「行政としての一時避難所ってことではないんですが、調査の拠点があると情報の集約がしやすいので」

丁寧に説明したつもりだった。でも、住民たちは黙ったまま僕の顔を見ていた。


「……あ、あの、なにか?」


「……その家よ、婆さんが一人で住んでたんだ。でも春先に、あのウイルスで」


一人がぽつりと呟いた。


「あ、そ……そうでしたか」


手が止まった。資料の文字がぼやける。誰かの家だった、じゃなくて、誰かが死んだ家だった。

僕はうっかり、ただの空き家として扱っていた。


「まあ、好きに使えばいいさ。あんたら役人のやることだ、必要なんだろ」

そう言って、彼らは去っていった。背中が、怒っているというより――諦めているように見えた。


取り残された僕は、しばらくその場に立ち尽くしていた。



診療所に戻ると、詩織が水を汲んでいた。顔を上げると、少し驚いたような目で僕を見た。


「……どうしたの。顔、ひどいよ」


「さっき、空き家を使おうとしたら……そこ、亡くなった方がいた場所だったみたいで。配慮が足りなかった」


正直に話すと、彼女は黙って僕の方を見つめた。

やっぱり怒られる、と思った矢先。


「そういうの、よくあるよ。現場知らない人が、よかれと思ってやること。紙の上だけでやる支援って、時々人を傷つけるんだよ」


詩織の言葉は、きつくも優しくもなかった。ただ、まっすぐだった。


「……ごめんなさい」


謝る僕に、彼女はため息をついてから少しだけ微笑んだ。


「でも、あなたが“住めそうだ”って思ったってことは、それだけ家の状態をちゃんと見てるってことでもある。何も見ずに『ここに住め』って言う人よりは、全然マシ」


「そう、ですかね」


「私は、そう思うよ。……あなた、名前は?」


「一ノ瀬諒。復興省の調査担当官です、前も自己紹介したんだけどな……」


「あ、そう、他人の名前覚えるの苦手なの。私の名前は榊原詩織。前も自己紹介したなら必要ないか……医者じゃないけど、仮免で医療やってる」


そう言って、詩織は青い腕章を見せた。この世界の終わりの生活でボロボロになった証だったが、太陽に照らされ一瞬ビニールが輝いたように見えた。


「父が医者だったの。田舎の、小さな診療所で、子どもの頃から人の血とか見慣れててさ。だからたぶん、向いてたんだと思う」


彼女の瞳が、ふっと遠くを見た。


「……でも、ワクチン届く前に、家族みんな発症して。私だけ、都心の大学にいたから助かっちゃって」


それ以上、彼女は語らなかった。僕もそれ以上は聞けなかった。


僕の“善意”は、誰かの“悲しみ”に気づけなかった。けれど、そんな僕に対しても、彼女はちゃんと向き合ってくれていた。


「少しずつでいいよ。……ちゃんと見るってことができる人なら、大丈夫」


その言葉が、胸に染みた。

詩織に言われたからじゃない。本当にそうだと思えたから。


僕はまた、資料を広げる。

この街の全体像を把握するために、もう一度歩いてまわることにした。


――「現場」を知るために。

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