1話 遥か彼方の記憶より
雨だ。
雨。そう、あの日も雨だった。
アスファルトさえも貫通しそうなほどの、強い雨。
何処かざわざわする、不協和音。
厄介な気配がした。
彼奴だ。
彼奴が逃げたんだ。
オレには、分かる。
なら、やらなきゃならないことがある。
あの日みたいにはさせない。
オレには、その使命がある。
勝手に背負い込んだ、自己満足の使命がある。
………それにしても、彼奴は………。
………………いや、今は…………─────今じゃなくとも─────そんなことはどうでもいい。
気にしたところで、もうオレにはどうしようもないんだろう。
これは、彼奴の選んだ道だ。
オレには向かわなきゃならない場所がある。
立ち上がり、傘を持つと、カランと鳴るベルを気にも留めず外に出る。
風情なんかない、不安の暗示。
風が一つも吹かず、雨以外の音もなく、何かを恐れるかのように息を潜める街。
不可思議なことに、いつもとは異なり誰もいない道。
傘に雨が当たる音が、余計に不安を煽る。
本当に、嫌な天気だ。
だが、それ以上に不気味なことが、オレの身に起きた。
いや、オレだけじゃなく、街。
街全体に起きた。
先程まで降っていた雨などなかったかのように急に太陽が照り始めた。
「…なんだ、これは………」
空を見上げてみるも、8分前の光が辺りを照らすだけだった。
雨雲なんてなかったかのような、急な晴れ。
だが確かに雨であったと言うかのように、ずぶ濡れのアスファルトには雨による小さな池がそこかしこにあり、もう一つの空が流れていた
彼奴のことを歓迎し、祝福するかのような、情緒不安定な御天道様。
彼奴が今は、ここにいないということだろうか?
それとも、本当に彼奴への祝いの意味を持った晴れなのか?
………まぁ、いいさ。
オレは………オレは今、彼奴と関係ない。
そんなことより、とにかく、今は手を打たなきゃならない。
移動しやすい晴れの方が好都合だ。
相変わらず、風は一つも吹かない街を、歩いていく。
十数分歩いた先に、目的地はあった。
小さな占い屋のわりに、代金は異常に安いか、または取らない。
取らないのには、条件があるようだが………。
とまぁ、そんなことはどうでもよくて、この占い屋は学生なんかがよくその価格故利用するらしい。
だが、同時に奇妙な噂も立つ占い屋でもある。
友達がここに行くと言っていたはずだし、ここに来ていたはずなのに、友達は何も覚えていない、とか。
気付いたら外にいて、何故か時間も経っていた、とか。
そんな、どこか奇妙な占い屋。
入ろうか、とノックしようとしたとき、一人の嬢ちゃんが出てきた。
やはり学生服で、何やら興奮した様子だ。
………きっと、この子は知ったんだ。
ということは………。
『世………忌に触……者よ。或……きな……記……過去…、世界の奥……に封…よう……』
断片的に聞こえる呪文と共に、嬢ちゃんの足元に魔法陣が現れる。
あの厨二臭い呪文。この複雑な魔法陣。
………ここに、いる。
「………あれ?私何しに………あ!え!?もうこんな時間…!?」
………中にもう、人はいないみたいだな。
冷たいドアノブに触れると、ガチャリとドアを開ける。
占い屋さんの第一印象は、『らしくないな』だった。
占い師がよく着けてるようなあの薄い何かわからないやつもなく、ただ水晶やカードがあるだけ。
らしいものといえばフードこそ被っていないが、恐らくローブらしきものくらいか?
何かを考えているのか、こちらに気付く様子のない占い屋さんに。
「やあ、難儀な占い屋さん」
挨拶したところ、占い屋さんはガタリと立ち上がり、警戒の色を見せる。
難儀って言ったのがマズかったかもしれないな。
まあ、今更か。
「………貴方は………、貴方は、僕等のことを知っているな。誰だ」
案の定、物凄く警戒されている。
探られているような、本性を見抜こうとするような、そんな声音。
鋭い眼光は、逃さないと言わんばかりの圧をかけてくる。
少しでも警戒されないよう、両手を上げる。
「まあまあ、そんな殺気立てんでもさ。オレ、こうみえて凄いんだぜ?」
未だ疑いの目を向けてくる。
ここは弁解といこう。
「オレは…ちまっとした郵便局をやってる、時間の神様さ」
………………。
「お帰りを」
嘘だろ決断力ありすぎだろ。
「ちょーーっと待て、話をしよう。いや、怪しいのはわかってたさ。信じてもらえないのもな。でも、まずはオレの力を見てから決めてくれないか?」
あの頃から成長してるってことなんだろうな…。
黙りこくった隙に、ポケットに手を突っ込む。
確か、あれがあったはずだ。
「まあ見てな。これが今から組み立て前に戻る」
ポケットから取り出したペンに、念じる。
この程度なら魔法陣もいらない。
ただ、そうだな…。
戻しすぎてもアレだ、解体するくらいにしよう。
念じた瞬間、ペンが輝き出す。
時間にして3秒程度。
光が収まった瞬間に形を保っていたはずのペンのパーツがバラバラと落ちていく。
「……どうさ、時間を戻せる神の能力」
少し感心したような素振りをみせたが、すぐにまた警戒しだす。
さながら、天敵を警戒する動物のようだ。
まぁ、色々危ない現代社会においては素晴らしいな。
………理由が他にあるのは理解ってるが。
きっと、あの日が原因だ。
神に目をつけられ、目の前で奪われた、あの日が。
「まあ待てって。占い屋さん。オレは郵便局をやってるんだ。時を超えて、過去に届ける郵便局。だけど、お前みたいに記憶を映し出すってことができなくてな。効率がよくないんだ」
時間を戻してバラバラにしていたペンの破片を、念じて戻していく。
もう、ここまできたら仕方ないな。
本来やりたくはないが、強引にやるしかないだろう。
その前に、最後の説得だ。
占い屋さんを刺激しないよう、嘘混じりで。
「まあ、うだうだ言っても仕方ない。単刀直入に言おう。」
「『時の郵便局』で働く気はないか?」
手に再び形成されたペンを少し占い屋さんに向けながら、そう問いかけた。
☆☆☆
あれから、数日が経過していた。
数日間目を光らせていたが、彼奴による襲撃なんかはない。
………目的は、あの占い屋さんじゃないのか?
いや、警戒するに越したことはない。
あぁ、それと…。
「いやぁ…全っ然応じる気ないよなぁ…」
襲撃もなければ、返答もない。
早めに占い屋さんを確保できないと守れる保証がないんだけどな…。
絶対に、あの日の二の舞にはさせない。
今もずっと、目を閉じれば浮かぶ、あの時、あの場所。
静かな狂気を抱えたような彼奴の姿を、オレは覚えている。
………いや、オレが悲しむのはお門違いか?
………まぁ、少しくらい許してくれよ、はは。
おっと、そんなこと言ってる場合じゃあないか。
………どうしたもんか………。
うーん…説得…は、失敗してるんだもんな。
………………………少々手荒い真似にはなるが、もう仕方ないか。
占い屋に手をかざす。
そして、なんとなく、久しぶりに詠唱すると…。
「あっ、ちょっとやりすぎたか…?」
ちょっと気合入りすぎたな。
まあ仕方ない、これしかもう手段がないからな。
………いや、まあ、そんなことはないんだろうけどな。
仕方ないし、今日は帰るか。
あとは、占い屋さん次第だ。
☆☆☆
それは、思ったより早かった。
朝っぱらからカランとベルが鳴り、慌てて髪を束ねる。
丁度日が差し込んで、木漏れ日が差している。
「………お邪魔します」
律儀にペコリとお辞儀した占い屋さんは、一瞬、ほんの一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。
この郵便局は、オレの神力と魔法をいい感じに融合させて、外見よりもそこそこ広くしている。
「やあ、いらっしゃい」
とりあえず何も知らないという風に片手を挙げ会釈する。
いや、まあ、店を更地にしたのは申し訳ないとは思ってるけどな…。
なんかよくわからない足跡とか植物とかあったしな…。
まあ、謝ろう、後で。
………おっと、占い屋さんいるんだった。
「まあまあ、そんなところで突っ立ってないでさ。寛いでくれよ。大爆笑しても構わないし。寧ろ大歓迎。……ま、んなこと言っても無理あるか」
オレがあの当事者だったら、少なくとも占い屋さんみたいに新しい事業なんて出来てないだろう。
笑えって言われて笑えるほど、浅い傷でもないだろう。
………占い屋さんが何やら思案しているみたいだったので、とりあえず身を起こす。
そして、少し軽く。
「生憎、このちょーっとだけ凄い神、オレヴェルレの力を使っても、お前さんの失ったものは取り返せないんだ。悪いな。難儀な占い屋さん」
偵察がてらそんなことを言ってみると、占い屋さんは、なんでそれを、と言わんばかりに愕然としていた。
………これは、気付いてるか…。
ま、そりゃそうか。隠してもないしな。
「………で、気付いてるだろうから言うと、オレはあのことを知っている。それに関して最近動きがあってな。どうしてもお前さんを野放しにはできなかった。店を更地にしたのもそれでだ。それに関しても悪かった」
「………………………」
一応、そっちも謝っておいたが、占い屋さんは表情が曇ったまんまだ。
あまり急に情報ばかり伝えてもいいことはない。
ましてや彼奴の脱獄なんて、一番。
………仕方ない、ここは気分転換といこう。
「ま、そんなのはどうでもいい……訳ではないけどさ。でも今じゃない。それより何だ、自己紹介といこうか、占い屋さん」
「………はい」
「………これ、やっぱオレから?」
「まあ…流れ的にそうでしょうね…」
「だよねー」
自己紹介トップバッターって嫌だよなぁ。
まあ最初か最後か2択なんだけど。
「………んじゃあ、まあ、オレの名乗りといこうか。神の正式な名乗りだ。中々聞けるもんじゃないよ?」
名乗りなんて久方ぶりだなぁ、あんまりするもんでもないしな。
立ち上がり咳払いを一つして、神の名乗りを上げる。
「過去を司りし神、ヴェルレ・ハイド。悔やむべき時と向き合い、輝かしき時を守る者。……よろしくどうぞ」
警戒されないように、できるだけ柔らかく笑みを浮かべる。
「………それで?占い屋さんはなんていうんだ?」
尋ねると、少しの沈黙の後。
「…ミナト。ミナトです。」
………ミナト。
「ミナトか。いい名前だな」
「…………ありがとうございます」
ミナトが少し微笑んだ。
「おお、いい顔するじゃん、ミナト。それだけその名前が大事ってことか」
「…はい」
それから、少し、ミナトは悲しそうで、悔しそうで、何処か堪えるような笑みを浮かべて黙りこくった。
日常でも、思い出しているのだろうか?
………いや、そんな顔には見えないな。
なら………あの時のことでも思い出しているのだろうか。
彼奴を牽制しながらのオレが聞いたのは、断片的な会話でしかなかったが。
だが、それでも。
『………話は終わったか?嗚呼、本当にくだらな──』
それでも、あの言葉ははっきりと聞こえていた。
………らしくないことを考えるのはやめよう。
「ミナト」
ミナトがハッとしたように顔を上げた。
「大丈夫かー、相当険しい顔してたぞ」
「はい…まぁ…」
何処となく元気がないようにみえるが、多分、触れない方がいいのだろう。
オレの勘だが、そんな気がする。
「…まぁいいさ。仕事の説明といこうか」
気を取り直して声を張る。
「ここは時の郵便局。主に未来から過去───未来は、オレ等でいう今。つまり過去と今を繋ぐ郵便局って訳だ。そして、そのためには『記憶』がいる。……記憶に関して、お前さんはどんな認識でいる?」
多分、それなりの認識はあるはずだ。
何せ、ミナトもまた、記憶と切れない縁を持った者なのだから。
ミナトは少し沈黙した後。
「記憶がないと、過去は立証できない…とか…です、か…ね?」
と答えた。
指をパチンと鳴らすと、なんともいえない顔をされたが、まあそれはいい。
「その通り。そこで君の力を借りようという訳だ。オレは過去を司る。でも、お前さんみたいに柔軟に対応することができない。連れていくしかないからな。…そのせいで相当効率が悪いんだ。でも、お前さんなら過去に連れて行かなくても過去を確認できる。それが、お前さん──────ミラジュ、という存在だ」
過去と記憶、一見関係ないと思うかもしれないが、関係があるどころじゃない。
記憶があるからこそ過去がある。
例えば、水をこぼしたとしよう。
水をこぼしたという記憶があれば、例え水を拭こうが乾こうが、こぼしたという過去は立証される。
それを確認できるのがオレで、映し出せるのがミナトだ。
沈黙し感心したようなミナト。
………多分、何も知らないな、これは…。
「……同族であるミラジュとすら殆ど関わりがなさそうだからな。いい機会だ。ミラジュについても確認しよう。そもそも、ミラジュの語源は知ってるか?」
「それくらいは…ミラージュ。蜃気楼…ですよね」
「正解。ミラジュの本質は記憶の消去だ。消去された記憶は、確かに存在するのに思い出せない…蜃気楼のように触れられないものになるからこそ、その名前がついた。でも、基本的なミラジュの能力はそれっきりだ」
そう、それっきり。
基本的に、それ以上の力があることはない。
………………ミナトのような、例外を除いて。
「でも、お前さんは違う。確かにミラジュではあるが、能力はそれ以外にもある。それが復元と投影、そして…………。」
もう一つ、重大な力。
「物の記憶を読み取る力、だ。そして、それらを併用できる。だからこそ、オレはお前をここに勧誘したってわけだ」
………あー、説明しすぎて疲れた。
とりあえず座るか、立っててもあんまり意味ないしな。
「まあ、とりあえず今言えるのはこんくらいか。仕事内容について説明しようと思ったけど、なんか疲れたし、人もそこまで来る訳じゃないからな。のんびりやってんだ」
仮眠でも取るかなー、と寛ぎ始めた瞬間、タイミング悪く、カランという音がした。
慌てて起き上がり、ミナトと共にそちらに目をやると…。
「あの………、過去に手紙を届けられるって聞いたんですけど、本当ですか?」
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