逃走!

城内に侵入してきた勇者パーティーの動きは驚くほど迅速だった。

正門前のバリケードは破られ、囮として配置していた罠もあまり効果を発揮していない。


――まずいな。想定していた以上に相手の意思決定が早い。


城の見取り図を頭に描きながら、俺は次の一手を模索した。勇者たちの意思決定速度が予想を超えている場合、それは彼らが使う情報処理能力が極めて高いことを意味している。


「報告! 勇者一行、北東のダンジョン区域を突破。モンスターの防衛ラインが完全崩壊しました!」


またしても響いた悲鳴のような報告に、俺の脳内では激しい情報処理が行われた。


『現状』を整理する必要がある。


城内に残る防衛力は限定的。城門は開放状態にあり、勇者たちは障害を容易に突破している。


『課題』は明白だ――勇者の意思決定能力と進軍速度をどうやって減衰させるか。


「伝令! 今すぐ残存兵を全員城内中央通路に集めろ。そこで時間稼ぎをする!」


「しかし、中央通路は魔王様のお部屋に直結しています! そこを破られたら――」


「いいからやれ!」


厳しい口調で言うと、ゴブリン兵士はびくっと肩を震わせながら慌てて駆けていった。


俺は即座にリリスへと向き直った。


「リリス様。『この世界』では意思決定のスピードこそ勝敗を分けるカギです。勇者は恐ろしく迅速ですが、弱点が一つだけあります」


「弱点……ですか?」


「ええ。どれほど強力な勇者であろうと、複数の選択肢を同時に処理することは難しい。そこに一瞬の迷いが生じます」


これは俺が元の世界で何度もクライアントと対峙する中で得た知見だった。相手の判断を鈍らせるには、単一の強力な障害よりも、『複数の選択肢』を提供し、判断のリソースを分散させるのが最適だ。


「勇者パーティーを混乱させるために、意図的に複数の『選択肢』を提示するんです。これをこちらでコントロールすれば、彼らの意思決定速度を削ぐことが可能です」


リリスが目をぱちくりさせて首を傾げる。


「選択肢、ですかぁ?」


「はい。具体的には、勇者たちが中央通路へ進軍する途中に、あえて進路を複数に分岐させます。通路を複雑にし、複数の扉や罠を設ける。実際には行き止まりの部屋ばかりですが、それを事前に告知する必要はありません。心理的に勇者の選択リソースを奪い去るのです」


「わ、わかりましたぁ……!」


すぐに指示を受けたモンスターたちが動き出した。大急ぎで通路の仕掛けを設置し始める。


だが、それだけではまだ不十分だ。相手の心理に入り込むためには、さらなる一手が必要になる。


「魔法を使える者は俺の元へ来い!」


即座に集まった魔法使いのモンスターたちを見回しながら、俺は静かに続けた。


「これから使うのは、『小さな精神的攻撃』だ。勇者のパーティーを分断し、連携を崩す。例えば――」


そこで俺は言葉を切った。突如として背筋に冷たい悪寒が走ったのだ。


(――待て。何かがおかしい)


遠くから聞こえていた剣戟の音や悲鳴が消えた。静寂が訪れたその瞬間、扉が凄まじい轟音とともに吹き飛んだ。


「見つけたぞ、魔王!」


埃が舞い上がる中、声高らかに登場したのは、いかにもナルシストな笑顔を浮かべた勇者だった。背後には、冷めた目をした毒舌そうな賢者と、異様に筋肉質な女性の神官らしき人物が控えている。


「も、もう来ちゃいましたぁ……!?」


「くそっ、罠が全然効いていない――!」


勇者はにやりと得意げに剣を構え、俺たちに向かって一歩踏み出した。


「お前たちの仕掛けた罠なんて、俺の美しき直感の前にはまったく意味をなさなかったな!」


賢者が眉をひそめ、ため息をついた。


「仕掛けが稚拙すぎて、逆に読みやすかったな。くだらん」


神官がムキムキの腕を組みながら鼻息荒く言った。


「さっさと魔王を倒して、プロテインタイムといこうか!」


俺は歯噛みした。


――予測を超えた事態だが、焦りは禁物だ。今ここで何か新しい『問い』を立て、『仮説』を再構築する必要がある。


(敵は罠を『読み切った』と言ったが……)


その瞬間、俺の中で『新たな仮説』が浮上した。


「リリス様、逃げる準備を!」


俺は叫び、リリスをかばうように立ちはだかった。


「お前らが罠を見抜いた方法……まさか、こちらの動きを事前に把握できるスキルを持っているのか?」


勇者がにやりと口角を上げた。


「さすがは魔王軍の参謀さんだ。鋭いな。その通り――俺たちには『未来予知』の加護が与えられているのさ!」


――これだ。状況のズレの本質は、敵が情報の非対称性を覆したことにあった。


俺は心の中で深呼吸した。


(情報の優位性を失った戦場では、『イシュー』そのものを再設定しなければ勝てない)


つまりこの戦い、現状のルールのまま戦う限り俺たちに勝機はない。だったら、戦いそのものの枠組みを再構築しなくてはならない。


俺はゆっくり口を開いた。


「リリス様、ここは撤退します」


「で、でも……お城が……」


「城を守ることにこだわれば全滅します。『何を守るか』、その問いを今すぐ変えるべきです」


勇者が怪訝な顔をしたが、俺は構わずリリスの手を引いた。


「撤退! ここでの防衛戦は終了だ!」


勇者の声が背後から追いかけてくるが、俺の心は既に次のフェーズに移っていた。

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