勇者一行の侵攻①

「よし、これで当面の方針は決まりましたね。では、まず各自が担当する施策の細部を詰めて――」


俺が言いかけた瞬間だった。会議室の扉が乱暴に叩き開かれ、見張りのゴブリン兵が転がるように飛び込んできた。


「ま、魔王様ぁぁぁぁぁっ! 勇者です、勇者たちがもう目の前まで……!」


その報告に会議室は水を打ったような静けさに包まれ、直後、怒涛のようなパニックが押し寄せた。


「勇者がもうすぐそこだと!?」


「まだ対策も途中なのに、早すぎる!」


幹部たちの叫びが混ざり合い、怒号と混乱が渦巻く。魔王リリスはというと、状況が呑み込めずキョトンとした表情を浮かべている。


「え、えっとぉ……勇者さん、もう来ちゃったの?」


「はいぃぃぃ! すぐ近くの『黒曜石の洞窟』が陥落しました! 魔力結界も破壊され、もはや魔王城目前ですぅ!」


その言葉に俺の心臓が激しく鳴った。黒曜石の洞窟は、この城を守る数少ない防衛拠点の一つだ。そこが落とされたということは、防衛ラインがほぼ突破されたに等しい。


俺は素早く深呼吸し、混乱する幹部たちに向かって冷静な声を投げかけた。


「みなさん、落ち着いてください! まずは状況把握を優先しましょう!」


しかしその言葉は彼らの耳に届かない。幹部たちは我先にと部屋から飛び出していき、統率も指揮系統も瞬く間に崩壊してしまった。


俺は苛立ちを押さえながら、隣でおろおろする魔王リリスを振り返った。


「リリス様、この城の正門から勇者たちが現れるまでどのくらい時間がありますか?」


「ええと、えっとぉ……徒歩なら30分くらいですかねぇ?」


彼女は状況の深刻さを理解していないのか、相変わらずのんきな口調で首をかしげている。俺は頭を抱えたい衝動をこらえ、すぐに頭を回転させた。


――冷静になれ。今できることは何かを考えろ。


まずは状況を整理し、勇者が攻めてくる前に少しでも時間を稼ぐことだ。


「リリス様、とにかく時間がありません。今すぐ防衛陣形を整えさせてください。城門前にいる魔物を呼び集め、即座に指示を出します」


「は、はいっ!」


俺とリリスが急いで廊下に飛び出した時、突然遠くの方から凄まじい轟音が響き渡った。


ズゥゥゥンッ――!


まるで地震のような揺れが足元を伝い、城全体が激しく揺さぶられた。


「な、何事だ!?」


俺は反射的にリリスを支え、窓の外を見た。その視界の向こう、勇者の侵攻ルート上にあった『黒曜石の洞窟』が、まるで砂の城のように崩れ落ち、濃い魔力の煙が空高く立ち昇っている。


「そんな……あの洞窟が、完全に崩壊している……!?」


その光景を見た魔物たちは悲痛な叫び声を上げて逃げ惑い、完全にパニックに陥っている。防衛ラインどころか、魔王軍自体が壊滅寸前だった。


リリスは真っ青な顔で、力なく床にへたり込んだ。


「もうダメですぅ……お父様が築いたあの洞窟がぁ……」


そんな彼女の姿に、俺の頭の中には冷徹な分析が浮かんでいた。


――これは「ただの敗北」ではない。今、完全に状況が変わった。これまでの甘えや楽観を捨て、劇的に方針を変える必要がある。


触媒はすでに投下された。これまでのやり方が通用しないことを、誰もが理解したはずだ。


俺は深く息を吸い込んだ後、冷たい覚悟を固めた目でリリスを見下ろした。


「リリス様、これが現実です。魔王軍はもう変わるしかありません。いや、『変わること』を選択するのではなく、『変わらなければ死ぬ』という状況が突きつけられました」


リリスは怯えた瞳で俺を見上げ、わずかに震える声で問いかけた。


「で、でも、私なんかに何ができるんですかぁ……?」


「今、あなたが本当に魔王として覚悟を決めなければ、この城もあなた自身も守れません」


俺は強く言い放ち、彼女を支えるように手を差し出した。


「俺はあなたの参謀です。必ず戦略を立てます。だが、あなた自身がまず立ち上がらなければ、誰もついて来ませんよ」


リリスは戸惑いながらも、恐る恐る俺の手を握り返し立ち上がった。その瞳には、まだ怯えと戸惑いが残っていたが、確かな変化も感じ取れた。


「わ、分かりました……私、逃げません!」


彼女の頼りない声が響いた瞬間、俺の中にも一つの決意が宿った。


――絶望的状況だが、まだ何か策はあるはずだ。


冷徹な分析、状況を俯瞰する視点、課題の構造化――これまで磨き続けてきた俺のスキルが、まさに今必要とされている。


崩れかけた魔王城の廊下に立ち、俺は深呼吸を繰り返した。


「さて、ここからが本番だ。まずは現状把握とリソースの再配置。勝利条件を改めて設定し直さなければ――」


こうして俺の異世界生活は、一転して緊急事態へと突入した。魔王城の再建は、もはや「仕事」ではない。


――これは、『生き残るため』の本気の戦いだった。

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