第12話 副院長の影

 副院長・須賀啓一――その名が浮かび上がった瞬間、光璃の背中に冷たい汗が伝った。


 須賀は、内科出身のエリートであり、政財界にも顔が利く病院幹部。

 医局の誰もが、彼に逆らおうとはしない。

 だが、葉山光璃は一人、正面から向き合う覚悟を決めていた。


 


 ◇ ◇ ◇


 


「佐藤技師長、例の健康診断の再検査データ……もう一度見せてもらえますか?」


 病院内の情報システムにアクセスし、光璃は再度ログを洗い出す。


 ――再検査の対象者のうち、三割が“ある新薬の治験参加者”だった。


 薬の名前は、《サルディアミン》――慢性肝疾患の新薬。


 製薬会社は「リベラ・ファーマ」。


 その会社の顧問として名を連ねているのが、副院長・須賀。


 「やっぱり繋がってる……!」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 翌朝、光璃はこっそりと副院長室の前に立っていた。


 ノックしようとした瞬間、中から電話の声が聞こえてくる。


 ――「ああ、ええ。リベラには伝えてあります。“数字”は予定通りに出るはずです」


 ――「葉山先生? ええ……新人らしい正義感ですが、処理は考えておきますよ」


 (……聞かれてる?)


 光璃はすぐにその場を離れ、階段を駆け下りた。


 須賀は、完全に裏で“数値を作っていた”。


 治験に必要な症例数や異常値を、職員の検査データを操作することでクリアしていたのだ。


 「そんなこと……命をなんだと思ってるんですか」


 怒りが沸騰しそうになるのを、必死に抑える。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 その夜、柏原慎司から連絡が入る。


 《話がある。あんたの覚悟、本物か確かめさせてくれ》


 待ち合わせ場所は、病院近くの廃倉庫。


 薄暗い光の中で、柏原はファイルを差し出した。


 「これは、サルディアミンの治験症例と検査データの照合リスト。副院長が命じて、俺が加工したやつだ」


 光璃は、その中の一行に目を止める。


 ――「症例番号:S-018」「職員名:香月雄一」


 「……香月さん? 去年、肝障害で急死した薬剤師……」


 「そう。副作用が出ていたのに、副院長の判断で報告されず、見殺しにされた」


 光璃は言葉を失った。


 「でもな、俺も……黙ってたんだ。あのとき止められたかもしれないのに」


 柏原は自嘲気味に笑う。


 「正義感でどうにかなる世界じゃねぇ。でも、あんたは、きっと違うだろ?」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 数日後、光璃は一人で倫理委員会に資料を提出した。

 だが、副院長の権威の前では、委員のほとんどが及び腰だった。


 「証拠不十分」「個人的な憶測に基づく訴えでは、動けない」


 その冷たい言葉が、光璃の心に深く突き刺さる。


 


 夜。ひとり資料室に残る光璃に、あの声が蘇る。


 ――「真実を暴く覚悟がなければ、医者なんてやめたほうがいい」

 ――「鷹央先生……」


 光璃は、決意を込めて鞄を握りしめた。


 「だったら……私が、この手で暴く」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 光璃は、柏原とともに“ある作戦”を立てる。


 それは、次の職員健診のデータを“本来の正しい数値”で提出し、改ざんが行われていることを証明する方法だった。


 そのために、協力者が必要だった。


 光璃が向かったのは、元同僚であり、香月雄一の同期だった病理医・青島陽太のもと。


 「お願い……あなたの手で、真実を裏付けて」


 青島は、しばし黙った後、重くうなずいた。


 「俺も……香月のこと、忘れてないからな」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 作戦決行は、来週月曜日の定期健診。


 副院長が、再び“数字”を操作しようとした瞬間――


 その全貌が明るみに出る。


 その日までに、光璃は証拠を集めきらなければならない。


 ――今度こそ、命のために。

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