第11話 健康という罠

 健康診断の数値は、“身体の告白”だと思っていた。


 だが――ときに、その告白は、誰かによって“書き換え”られることがある。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 春の終わり、帝都大学医学部附属病院。


 葉山光璃は、内科カンファレンスの資料を前に眉をひそめていた。


 「職員向け定期健診の再検査率、異常に高すぎませんか?」


 血液検査・腎機能・肝機能・甲状腺……。

 昨年度に比べ、明らかに“異常値”の出現率が跳ね上がっていた。


 「数値のブレにしては不自然です。検査機器の故障か、あるいは……」


 「あるいは?」

 そう問うたのは、臨床検査技師長の佐藤だった。


 光璃はモニターを指さす。


 「数値が“意図的に操作されている”可能性があります。誰かが、検査データに手を加えたのでは?」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 数日後、光璃はこっそりと検査室を訪れた。


 「……失礼します。検査試薬の管理ログ、確認させてください」


 技師の一人が渋る中、ログデータを調べていく光璃。


 ふと、気づいた。


 ――ある夜間のログだけ、データが一部消去されている。


 「この日の当直は誰ですか?」


 「えーと……非常勤の技師、柏原慎司(かしわばらしんじ)です。検査技師としては優秀な人なんですが……」


 その名を聞いて、光璃の中に違和感が走った。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 柏原慎司――かつて製薬会社で臨床試験データの“改ざん”に関与し、業界を追われた男。


 彼がなぜ、帝都大病院に……?


 「副院長の紹介だったらしいですよ。『一度過ちを犯した人間にもチャンスを』って」


 その言葉が、光璃の心に引っかかった。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 その夜、光璃は柏原を呼び出した。


 「検査値を、意図的に操作しましたね」


 静かな声に、柏原は目を細める。


 「……証拠は?」


 「消されたはずのログ、復元しました。あなたが“ある薬剤の影響を示す異常値”を意図的に作り出していたこと、データが証明しています」


 沈黙。


 柏原は、苦笑しながら言った。


 「俺は、命じられたことをしただけだよ」


 「命じられた?」


 「あるプロジェクトのデータを作るためさ。“とある製薬会社”と“病院上層部”が、組んでたんだ」


 光璃は、背筋が凍るのを感じた。


 ――これは、単なるデータ改ざんではない。


 病院ぐるみの、医療を食い物にする“黒い連携”。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 柏原は、光璃の目を見て言った。


 「先生、本当に全部暴くつもり? その覚悟、あるの?」


 ――覚悟。


 かつて鷹央先生も、同じ言葉を口にしたことがある。


 「真実を暴く覚悟がなければ、医者なんてやめたほうがいい」


 光璃は、まっすぐにうなずいた。


 「はい。私は、医者ですから」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 その日から、光璃は本格的な調査を開始した。


 健康診断の“異常値”の裏に潜む、巨大な構図――。


 その中心に浮かび上がってきたのは、帝都大病院の副院長・須賀啓一(すがけいいち)の名だった。


 彼が、何を企み、何を隠しているのか。


 そして、柏原が“命じられた”という真実とは。


 静かに、だが確かに、光璃の戦いが始まっていた。

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