第10話 黒い検査値
健康診断の“異常値”。
それが意味するのは、病の予兆か、それとも――もっと黒い、誰かの意図か。
◇ ◇ ◇
初夏の光が差し込む、東都大学医学部附属病院の総合診療科。
葉山光璃は、いつになく眉根を寄せていた。
「この結果、ちょっとおかしいと思いませんか」
机の上に並べられたのは、ある企業の健康診断データ。
とある中堅食品会社・丸秀フーズの社員三十名分の検査結果だった。
「肝機能、腎機能、血糖値……異常値が妙に多すぎます」
差し出したのは、検診センターからの依頼で事後面談を担当している看護師・竹内。
「これだけの人数が一斉に悪化なんて、通常じゃ考えにくいですよね」
光璃はデータに目を走らせた。
確かに、健康そのものだった人々の値が、数ヶ月で一気に崩れている。
しかも、部署に偏りがある。
(品質管理部……?)
「これ、本当に“ただの生活習慣の問題”で片付けていいんでしょうか」
◇ ◇ ◇
光璃は、丸秀フーズの社内産業医である神原卓也(かんばらたくや)に連絡をとった。
神原は端正なスーツ姿の中年男性で、どこかビジネスマンのような雰囲気をまとっていた。
「葉山先生、うちの社員がご迷惑をおかけして……。でも、体調管理の問題ですから」
あっさりと片づけようとする神原。
しかし、光璃は一歩も引かない。
「何か、共通する原因があるように見えます。特に異常値が集中しているのは“品質管理部”。
もし、何らかの化学物質や薬品が関係しているのなら――もっと大きな問題になります」
神原の目が、わずかに揺れた。
「……調査はしていますよ。ただ、会社の評判に関わるので、大ごとにはしたくないんです」
その言葉に、光璃は違和感を覚えた。
(“社員の健康”より“評判”が優先されるの?)
違和感は、疑念に変わり始めていた。
◇ ◇ ◇
その夜。
光璃は、こっそり訪ねてきた丸秀フーズの社員・瀬川詩織(せがわしおり)と面会した。
瀬川は品質管理部に所属し、今回異常値を示した一人だった。
「……おかしいんです。私たち、最近、仕事中にやたらと“特定の作業”を増やされて」
「特定の作業?」
「中国から入ってきた“新しい添加物”を取り扱うことが増えてて……。
手袋もマスクも不十分で、上司に“問題ない”って言われて」
光璃の背筋が凍った。
(まさか……)
「症状が出たのは他に誰が?」
「全員、品質管理部です。
でも、産業医の神原先生に相談しても、“気のせいだ”って……」
◇ ◇ ◇
数日後。
光璃は、密かに検体を検査センターに提出し、正式な調査を依頼した。
結果は――黒だった。
新添加物に含まれていた微量の有害物質が、肝臓や腎臓にダメージを与えていたのだ。
「これが、原因……」
光璃は唇を噛んだ。
安全基準を満たしていない原料を、企業が“コスト削減”のために導入し、 それを社員が知らずに扱っていた。
「このまま黙っていたら、さらに多くの人が健康を害します」
◇ ◇ ◇
光璃は神原に面会を申し入れた。
「証拠は揃っています。検体から有害成分が検出されました」
神原の顔が、蒼白になる。
「……どうして、余計なことを」
「医師ですから」
光璃は、静かに答えた。
「患者の“未来”を守ることも、私たちの仕事です」
◇ ◇ ◇
数週間後。
丸秀フーズは問題を公表し、製品の自主回収を開始。
神原は産業医の職を解かれ、厚労省の調査が入った。
詩織をはじめとする社員たちは、回復に向けて治療を開始している。
◇ ◇ ◇
病院の中庭で、光璃は小さな白い花に目を落とす。
目に見える症状の裏に、目に見えない真実が潜んでいる。
だからこそ、カルテの数字に――いや、人の“訴え”に耳を傾けることを忘れてはいけない。
「今日も、命に寄り添う診療を続けよう」
そう心に誓った。
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