第6話 記憶の代弁者
「……池谷蓮司は、五年前に亡くなっています。彼の詩集は、当時ごく少部数しか流通していないものだったそうです」
葉山光璃が、タブレットの画面を天久に向けて見せる。
「事故に遭った田中晴樹が、この詩の一節をそらんじていたこと……偶然にしては出来過ぎているわね」
天久鷹央は顎に手を当て、じっと空を見上げた。
――この記憶は、誰かに植えつけられたのか?
詩の内容が記憶に残るのはわかる。だが、それが“自分の体験”だったと誤認するには、何かしら強い意図と手法があったはずだ。
「……光璃先生。田中晴樹、今どこに?」
「神経内科の観察病室にいます。事故の影響か、時折情緒が不安定になるので」
「ちょっと、会いに行きましょうか。彼の“記憶の扉”を叩いてみましょう」
◇ ◇ ◇
薄暗い観察病室。田中晴樹はベッドの上で、膝を抱えるようにしていた。
「……また、あの声がするんです」
「声?」
天久が一歩前に出る。
「誰の?」
「池谷……さんです。“ここにいる”って。毎晩、決まって同じ時間に」
「それは夢の中で? それとも、現実の意識の中で?」
田中はしばらく黙ってから、ぽつりと答えた。
「……目は覚めてると思います。でも、耳の奥で“詩”が流れるんです。“空白に語ることなかれ、忘却に意味を求めるな”って」
その詩の一節も、やはり池谷蓮司のものだった。
天久は鷹のような眼差しで、田中を見つめる。
「誰かに催眠をかけられた記憶は?」
「ないです……ただ、事故の一週間前くらいから、カウンセラーに通っていました。“職場のストレスケア”とかで」
天久の眉がぴくりと動いた。
「カウンセラーの名前は?」
「……城谷、って名乗ってました。女の人で、黒縁眼鏡に短いボブカット。ちょっと冷たい感じの人です」
光璃と天久が顔を見合わせる。
院内に「城谷」という名の心理士はいない。外部からの派遣業者か、あるいはフリーの臨床心理士か。
「そのカウンセリング、どこで受けたの?」
「ビルの一室でした。ビジネス街の古いビル……名前は忘れました」
田中の声は震えていた。
だが、天久の目はすでに確信を捉えていた。
◇ ◇ ◇
その夜。
「ビジネス街で“短期間のみ”開設されたカウンセリングオフィス。調べたら一件、該当する場所がありました」
光璃がプリントアウトした地図を見せた。
「“ライフ・ケア・サロン・COCO”。三か月だけ営業して、今月初めに閉鎖。責任者は“白石由香”という人物。年齢、職歴は不明」
「白石由香……偽名の可能性が高いわね。しかも、患者に与えた暗示に詩を使う。美しい手口だわ」
天久の声に、わずかな怒りがにじむ。
「記憶に入り込み、他人の感情を操作する……これは医療とは呼べない。ただの洗脳。命への冒涜よ」
「先生……でも、それを証明するのは簡単じゃありません。催眠の影響なんて、客観的には測定できない」
「なら、証拠を作ればいい。田中晴樹の記憶は、まだ修復できる余地があるはず。彼の語る“池谷”像と、詩の文脈のズレを突けば、“記憶の綻び”が見える」
天久はカルテを閉じ、白衣を翻した。
「行きましょう、光璃先生。“記憶の代弁者”を追い詰めに」
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