第7話 自由意志は存在するのか
橘は、朝、喫煙所でタバコを吸っていた。タバコの喫煙時間が限られており、朝に吸う、一本目のタバコが一番うまい。二本目のタバコに火をつけていたところに、香川がやってきた。
「タバコを買ってきちゃいました。」香川は数日前から禁煙に挑戦していたが、やはり、完全に辞めることは難しいようだ。
橘は「少しくらいならしょうがないですよ」と言ったのであった。そんなことを話しているとまた別の人物が現れた。
「おはようございます」と言って近づいて来たのが、氷川忠司である。
この三人はタバコ仲間であり、よくグループで会話を行っていた。
香川が「コーヒーを飲んで頭が冴えてきちゃって、今日は、2時間くらいしか寝てないんですよね」といった。
橘は「あまり、躁転する前に、頓服をもらった方がいいんじゃないかな」といった。この状況で、橘はまた、考察する。この、三人がグループを作っているのは、偶然なのか必然なのか。もともとは、氷川と香川は同室であり、その繋がりの中に、橘は入ったのである。これは、お互いに、一緒のグループになるかどうかは基本的には自由である。自由意思は存在するか否か。これは、哲学、心理学、神経科学など様々な分野で議論されている。人間の行動は、因果関係に基づき決まっている。つまり、過去の経験や環境、遺伝子などで既に決まっているものであるという、決定論の考えが一般的に強いようだ。これを、統合失調症的視点で考えてみる。例えば、この世界が、ゲームのような仮想空間であった場合、それぞれの人間は、既にコンピューターにシミュレーションされた結果をもとに行動している。その事実に普通の人間は気付かない。これが健常者ということである。当然、ゲームのような仮想空間であれば、高次元の人間を操作している、プレイヤーがいる。そう仮定するならば、人間は自ら選択と行動をしているようで、実は操られており、ほとんど自由意思は存在しない。しかし、この高次元のプレイヤーでも、制御出来ない存在がいる。それが、精神病患者だ。躁鬱病の躁という漢字をよくみてみると、足に操ると書く。つまり、そういう病気ということだ。
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