正直ナメてたし、イキってたが。
ナシャムカに率いられて、俺たちティル・アシャの集団は、集落から随分と離れた草原まで一列になって移動をした。行く先に目を凝らすと、何かシカのような動物の集団が、ゆっくりと草を食んでいるらしい姿が見える。あれがガゼルだ。
「大きいぞ、あの群れ」
「大きい」
男たちは、小声で喋っていた。
ナシャムカは一旦止まると男たちを集め、これまた小声で指示を出す。
何も持たない者(A)はガゼルの群れの背後に、こん棒や斧を持つ者(B)は群れの左右に分かれて囲み、そして槍を持つ者(C)は群れの正面に、それぞれ忍び寄る。
彼の合図で、A集団が立ちあがり、気勢を上げながらガゼルを追う。
ガゼルが驚き、A集団と反対側へ走りだそうとした瞬間に、C集団が立ち上がり、ガゼルに向かって一斉に槍を投げる。
逃げようとしたところを槍に襲われ、ガゼルが怯んだところを左右からこん棒集団が挟み撃ちをし、ボコボコにする。
「たくさんいる、たくさん殺せる」
ナシャムカが随分と物騒なことを云うと、男たちも殺す殺すと嬉しそうに応じた。もう少しその、なんというか君ら、オブラートに包んだ云い方をしてほしい、と俺は思う。冥土をガゼルの魂で満たしてやるぜ、とかさ。
今のところ、ウル・バザンらしき集団は辺りには見えないようだ。このガゼルの群れを見失ったのか、あるいは意外と、別のガゼルの群れを追っているのかもしれない。狩りをするなら、今の内だろう。
ふと、背後から肩を叩かれる。
振り向くと、ハゲ父とポニテ父が気難しそうな顔で俺を見ていた。
何事だろうと思ってると、ハゲ父が俺に尋ねる。
「……槍投げ、できるか?」
……できるか?だって?
いま気づいたよ、俺、そういえば槍投げなんて、生まれてこのかた一度もしたことがないぞ!オリンピック競技になるくらいだし、結構難しいはずですよね、槍投げ! 俺がガゼルに向けてあてずっぽうに投げても、たぶん全く当たらないと思う!
ハゲ父は、怖がる俺を安心させるために槍を渡した手前、返せと強要するのも惨いと思ったのか、そう尋ねたのだろう。
「槍投げ、わからない……」
俺は神妙に、そう答えながら槍を差し出した。
ハゲ父は黙ってそれを受け取ると、俺に目配せをして槍グループへ合流するために離れた。ポニテ父も「後で」とだけ云って、ハゲ父の後を追う。
結局俺は、素手グループに参加することになった。
クループに合流した後、加わっている面々を見ると、俺とだいたい同じくらいの年齢らしき者ばかりで、なるほど必然的にこうなるのか、と思った。やはり武器の類は、習熟に時間がかかるってことか。
みな、このような大規模な狩りに参加した経験が殆ど無いらしく、緊張した面持ちでぼそぼそと喋っていた。
「オレたち、ガゼル、追いかければいい?」
「ナシャムカ、合図をする、
俺たち、大声を出し、追いかける、
ナシャムカそう云った」
「……ウル・バザン、来るか?」
グループのうちの一人が、いま一番気にかかっていることを口にした。
みな、互いの顔を見合わせる。やはり随分と不安そうだ。
「わからない……」
「来ない、来ない……」
「来る前に狩り、終わる、とても良い」
「ウル・バザン、もし来たら、どうする?」
「……オレ、逃げる」
グループ内でいちばん小柄な者(まだ中学生くらいの年齢に見える)が、顔を青ざめながらそう云うと、周りの者らはそいつを軽くこづき始めた。逃げたら集落で言いふらす、お前の親に報告する、お前が好きな女にも云う、等々。そいつは泣きそうになりながら、逃げない逃げないと必死に取り繕っていた。
ちょっと可哀そうだ、と俺は思ったが多勢に無勢、その場は黙っておくことにする。もし俺が途中で逃げた場合はこうなってしまうのだな、と俺の代わりに証明してくれたので大変に助かった。後でなぐさめてやるか。
俺は、槍グループとこん棒グループが動き始めたのに気付き、「俺たちも、動こう」と云った。みな頷き、作戦で指示された場所まで移動を開始する。
ガゼルの群れをかなり遠巻きにしながら配置についたので、ガゼルもさほどこちらを気にかけていないようだ。そこから徐々に、隊列を横へ広げながら包囲の輪を縮めてゆく。
と、草を食んでいたガゼルの群れのうち数頭が、頭をもたげ周囲を警戒するようなそぶりを見せた。ここが群れに近づく限界ラインのようだ。
こん棒グループを率いていたナシャムカが、石斧をサッと掲げる。
それを見た俺たち素手グループは一斉に立ち上がり、オホホオホホとかギャアアアとか様々な、気勢ならぬ奇声をあげながらガゼルの群れを追い立てた。
そりゃ、ガゼルもびっくりしますよね。のんびりと食事をしていたら突如、わけのわからない叫び声をあげる連中がこっちへ向かって駆けてくるんだから。俺だって、世界記録を更新する勢いで逃げるわ。
奇声をあげる俺たちとは反対の方向へ向いて駆けだそうとしたガゼルだが、そちらにはハゲ父やポニテ父のいる槍グループが待ち構えている。一瞬の間をあけて彼らも一斉に立ち上がり、怒号をあげながらガゼルの群れに槍を放った。
槍は、空を切り裂く音を立てながら素早く飛翔し、その姿に怯んで立ち止まったガゼルに突き刺さる。悲痛な鳴き声を上げながら、ガゼルが次々と倒れた。
そこに、ガゼルらを挟み込むようにナシャムカ率いる蛮人の群れが、満を持して襲い掛かった。こうなるともう、パニックだ。
逃げまどいながら何とか俺たちの間を駆け抜けるもの、こん棒や石斧で胴体といわず頭といわず、殴られ悶絶するもの……
ガゼルの群れの頭数は多かったので、その多くが難を逃れて遠くへ逃げ去ったが、その後には俺たちの暴力の犠牲となったガゼルの死体がいくつも転がっていた。数えると、十頭近くはいる。こちらの人数から考えると、これはかなりすごい成果じゃないだろうか。
ナシャムカの指示で、俺たちはガゼルの死体を引きずって一か所に集めた。俺たちは円陣を組んでそれを囲む。
うず高く積まれた死体に、ナシャムカは何事かを念じながら手を左右に振り、指から何かの粉らしきものを死体にふりかける。その後、ナシャムカは俺たちに云った。
「精霊、俺たちに、たくさんの肉を分け与えた
強く、感謝をしよう」
それを聞いた男たちは、歓声を上げた。
ヒャッハー!たくさんの肉、もろたで!今夜はパーティや!
そんな気持ちを感じる、彼らの歓喜の表情を見ながら俺は、重量感たっぷりのガゼルの死体をいくつも、人力で集落まで運ばなければならないのかと思い、げっそりとしていた。
─────
その時だ。
なにか、地を這うような……低い唸り声が草原の向こうから、静かに聞こえてくるのに俺は気付いた。声のする方を探すが、周囲を見回しても何も見当たらない。
ナシャムカもその声に気付いていた。
背筋をぴんと伸ばしていた彼は、声の出所を既に探し当てていたようだ。草原の一点を、じっと睨んでいる。
果たして、唸り声は、ひとりのものではなかった。
草むらに背を屈め、身を隠しながらの、何十人もの唸り声がここに届いていた。
横に広がった彼らは、まるで俺たちを威嚇するように低く声をあげながら、こちらに近づきつつあった。
もはや狩りのメンバーのほとんどが、脅威の接近に気付いていた。
ナシャムカが、「横に並べ!」と叫ぶ。
こういった抗争に慣れているのだろうか、槍やこん棒を持つ男たちは号令に応じ、ナシャムカの背後で横一列に並んで武器を構える。と同時に、武器をもたない俺たちには、自分たちの背後へ下がれと怒鳴る。
「ウル・バザンか!?」
俺は、ニスヤラブタの父親たちの近くに駆け寄り、そう尋ねた。二人とも、同時にうなづく。まさか、本当に来たのか……!
ここに至り、ウル・バザンの集団はもはや身体を隠そうともしなくなった。みな背筋を伸ばし、草むらをかき分けながらこちらへ近づいてくる。人数はこちらよりも少し多いだろうか。連中が持つ槍はこちらのものよりも短いようだが、ほぼ全員がそれを持っている。俺たちとは狩りの仕方が違うのだろうか?
「ティル・アシャか!」
ウル・バザンの集団の中央にいた、少し痩せぎすの男がそう叫んだ。おそらく連中のリーダー格だろう。彼は他の者とは違い、飾りのついた
相手の呼びかけに、ナシャムカが応じる。
「ウル・バザンよ!
ここは俺たちの地!
なぜここにいる!」
ウル・バザンのリーダーは杓を振った。集団はぴたりと止まり、こちらと睨み合う形となった。リーダーは、ナシャムカに応える。
「俺たち、ガゼルを追っていた!
ガゼル、お前たちの地に入った!
だから俺たち、ここにいる!」
ガゼルの群れを追いかけていたら、ガゼルがたまたまお前たちの土地に入っただけだ、別に何の不思議もないし敵意も無い、そういう風に、リーダーは云いたいらしい。良かった、争いごとにならずに済みそうだ。俺は内心、ホッとした。
だがナシャムカは、相手が持つ槍をキッと睨んだ。
そして云う。
「その槍、ガゼルを殺せない!」
えっ?どういうこと?
俺はその場ではナシャムカの言葉の意味がわからなかったが、後でポニテ父が教えてくれたことによればあの槍は、ヒト相手に作られたものだそうだ。ガゼルに投げて刺さっても、軽くて致命傷にならない。
つまり、ウル・バザンはガゼルを狩る目的ではなかった。どうやら最初から、俺たちに狩りをさせ、後からそれを奪うつもりだったようだ。なんてずる賢い連中だ……!
ナシャムカに言葉の矛盾を指摘されたリーダーは、しかし臆することもなく平然として云ってのける。
「ガゼル、これで殺せる、俺たち、たくさん殺した……
だがお前たち!!
俺たちのガゼル!!横取りした!!
俺たちが殺すガゼル、奪った!!」
突然、烈火のごとく怒りを露わにしながら、リーダーはナシャムカを指さし怒鳴る。ウル・バザンの連中はそれを聞いて同様に、奪った奪ったと口々に怒鳴りながら俺たちを罵った。
しかしナシャムカも負けてはいない。
「精霊が、ガゼルを導いた!!
俺たちの地に入ったガゼル、俺たちのもの!!
お前たちのガゼル、奪っていない!!」
今度はこちらの集団が、奪っていない奪っていないと口々に怒鳴り始める。
なるほど、争いごとの前哨戦として、集団で口喧嘩をするわけか、と俺は妙に感心をしてしまう。でも、双方の主張が真っ向から対立しているし、これ口喧嘩だけでは終わらないような……?
ウル・バザンのリーダーは、さらに声を荒げた。
「そのガゼル、俺たちが追っていた!!
俺たち、先に見つけていた!!
お前たち、俺たちの後に見つけた!!
お前たち、ガゼルを奪った!!」
ナシャムカもそれに応じ、負けじと声を荒げる。
「お前たち、いつ見つけた!
俺たち、日の出の一つ前に見つけた!
俺たちが、先だ!」
また相手リーダーが怒鳴り返す。
「俺たち!!日の出の二つ前に見つけた!!
俺たちが先だ!!」
「日の出の二つ前、ガゼル、いなかった!!」
「ガゼル、いた!!
お前たち、ガゼル奪った!!」
双方の集団が奪っただのこちらのモノだのと怒鳴りあう中、ナシャムカと相手のリーダーの云い争いは、子供の口喧嘩レベルになっていた。双方が、物証もなく証言だけで正当性を主張しているわけで、現代なら裁判官が証拠を持ってこいと怒鳴るとこだ。
と、俺はふと、俺たちの背後にあるガゼルの死体の山に目をやる。
改めて数えると、ひいふうみ……で十二体あった。
ぴったし半分にできるじゃん、と気が付く。
半分の六体でも、狩りの成果としては結構なものじゃないのか?
このまま双方ともテンションが上がって殺し合いに発展するという最悪の事態は、俺としては避けたかった。連中、なにも苦労をしていないのが少し腹が立つけど、ウル・バザンに獲物を半分あげて帰ってもらうのはどうだろうか?
大岡裁きと俗に云う。いや元の世界では云ってた。双方とも不満を半分ずつ、満足も半分ずつ。うん、これは君ら野蛮人には無理な、現代人の俺にしか思いつけない、素晴らしい解決策だと思う。
相変わらず双方が総出で言い争いをしている中、俺はナシャムカの傍に駆け寄る。俺たちガゼル奪っていないガゼル俺たちのもの、と相手リーダーに向けひたすら怒鳴り続けている彼の腕を、俺は掴んだ。
「ウル・バザン!お前たちいつも……なんだ!!」
唐突に腕を掴まれたナシャムカは、勢いよく俺の方を向く。
そのあまりの迫力に、俺は一瞬ビクッと身体が跳ねたが、ビビりながらも俺は、俺の先ほどのナイスアイデアを少し早口に提案する。
「こ、このまま殺し合う、良くない、
俺、思う、ガゼル、半分、分け合う
ウル・バザン、帰る、ティル・アシャ、誰も死なない
……良いか?」
「良くないッ!!」
ナシャムカが即答をしたので、俺はさらにたまげる。
背の高い彼が、俺の頭上から俺を叱りとばしてきた。
「ガゼル、俺たちが狩った!俺たちのものだ!
ウル・バザンに分ける、なぜだ!」
「だから、だからウル・バザンと戦う、良くない……」
「お前、ウル・バザンの仲間か!」
「違う、俺、ティル・アシャの仲間!
怖がってる仲間、たくさんいる、どうする!
俺たちが死ぬ、集落の仲間、悲しむ!」
「俺たち、死なない!
ティル・アシャ、絶対死なない!」
ナシャムカは、背後にいる仲間たちに向けてそう怒鳴る。
仲間たちはそれに対し、めいめいが槍やこん棒を振り上げながら一斉に、ティル・アシャ、死なない、ティル・アシャ死なないと口調を合わせて合唱(?)を始めた。
それを聞いたウル・バザンの連中は、ガゼル、よこせ、ガゼルよこせとこちらも口調を合わせて合唱(?)を始めた。
……あれ?
俺、逆にみんなのテンションを上げてしまった……?
なんてこった!これじゃ、殺戮の宴が待ったなしだ!
ヤバい、これはほんとにヤバい、ちょっと待て待つんだ君たち、最悪だけは回避、最悪だけは回避……考えろ、考えるんだ俺!
「ナシャムカ、ナシャムカ!
云い合い続ける、殺す、殺される、始まる!
みんなで殺す、殺される、良くない!
俺、違うこと、思いついた!」
「なんだ!?」
「K、KE、……KE、TT、」
「意味わからない!なんだ!?」
決闘、つまり双方の代表同士で争い決着するやり方。
それを云いたかったんだが彼らの時代にはまだ無い概念でそれに該当する単語もない。だから、うまく発音もできなくて変な言葉になってしまった。
突然ひどくドモった俺にナシャムカは眉を寄せるが、何が云いたいんだ、という風な表情で俺の言葉を待つ。
「……ティル・アシャ、戦う者、ひとり選ぶ!
ウル・バザン、戦う者、ひとり選ぶ!
二人で戦う、勝った方が正しい!
二人だけ戦う!
みんな戦う、みんな死ぬ、良くない!」
俺の発言を聞いたナシャムカは、しかめ面をして黙り込んだ。
うまく、俺の意図が伝わっていればいいけど……
というか、もし決闘となれば、当然双方のリーダーが出るはずだ。こちらは筋骨隆々のナシャムカ、相手リーダーは痩せぎすの中年男性。どう考えてもこちらが勝つはずだ。そう考えてくれたらしめたもの。後は、相手がそれを嫌がるだろうから、なにか別の妥協点を。
「……俺が戦うなら、相手、弱い
ウル・バザン、嫌がる」
ナシャムカは俺の意図を一瞬で察した上に、問題点まで的確に指摘した。
さすが俺たちのリーダー、そこなんですよ問題は!
そこでどうするか!
「だから、お前が戦え」
そう!
俺が戦うなら相手もきっと乗り気に!
……って、え?ぼ、僕ですか!?
ちょ、ちょっと待って、ぼく?え、マジで!?
ナシャムカは、慌ててキョドりまくる俺を無視して、ウル・バザンのリーダーへ向かって叫ぶ。
「ウル・バザンよ!
争いを、おさめよう!」
「俺たちのひとりと、お前たちのひとり、戦わせる!
勝った者の部族が、正しい!
ガゼル、勝った者が得る!」
そして、なんで俺が、という表情のまま固まっている俺の両肩を掴んで「こいつが戦う」と自身の前に引っ張り出した。
目の前からはウル・バザンの連中の刺さるような視線を、そして背後からは仲間たちの、なんでお前が、という驚きの視線を浴びて、俺は大変にいたたまれなくなった。
ウル・バザンのリーダーは、がたがた震えている俺の姿を見て、ニンマリと笑いながら「わかった、そいつの相手、選ぶ」と云った。
ですよね、僕みたいな大して逞しくもない若造なら、腕っぷしの強い奴を当ててボッコボコにしてしまえばいいですもんね。やめてください本当に。
まさにその通りに、相手のリーダーが自身の仲間から腕力に自信のある代表を選びだそうと品定めを始めた時、ナシャムカはさらに彼に云う。
「ウル・バザンよ!
この戦いを、
精霊が望む戦いをしよう!」
その言葉に、相手リーダーは身体の動きを止めると、仲間に向けていた顔をゆっくりとナシャムカの方へ向ける。その表情は、苦々しげなそれへと変わっていた。俺も、ナシャムカの言葉巧みな誘導に、内心で舌を巻く。
精霊が望む戦い。つまり、フィフティ・フィフティ、五分五分の戦闘を意味する言葉だ、と肉体の記憶が教えてくれた。
集団同士での獲物の奪い合いという、この時代なら戦争にも等しい争い事ならば、その成り行きを精霊にゆだねるのは自然。そして一方が一方に蹂躙されるだけの闘いを、精霊は望まない。実力がほぼ拮抗した者たちが争うからこそ、精霊はその勝敗を采配するのだ。
もし、ウル・バザンが俺よりも遥かに強い者を出し、俺をボコボコにしたら、日本なら"お天道様に顔向けできない"、というところか。
つまり、どこに出しても恥ずかしくない、フェアな闘いで決着をつけよう、とナシャムカは呼びかけたわけだ。相手も、これに応じないわけにはいかない。
─────
そこから何名か、ウル・バザンのリーダーが出してきた相手を「そいつ強い」「そいつ弱い」とナシャムカが否定した末──
──いま、俺は、向かい合わせで並ぶ双方の集団の、ちょうど真ん中の場所に立っていた。俺の目の前にも、俺とほぼ同年代らしい男が立つ。ボサボサの髪、怯えた瞳。明らかに戦いに慣れてない奴だ。肉づきも俺と同じくらいか。
互いに武器は持たないことになった。あくまでフェアに、素手で殴り合いをして決着をしよう、ということだ。
ここで俺に、実は日本で柔道とか習得をしていて武道の心得がありました、ってことになったら異世界転生モノらしくなるんだけど、生憎サッカーの経験しかなかった。サッカーボールを操りゴールを目指すのならともかく、殴り合いでは役に立たないスキルだ。せめて空手マンガでも愛読しておけば。
君たち、もし異世界に転生するなら先に、武道を心得ておこう。オススメだ。
つまり、俺と相手はほぼ互角。
後は、相手を倒すという強い意志だけが勝敗を決するだろう。
俺はケンカしたくないのに。
ティル・アシャとウル・バザンの双方から、勝て勝て戦え戦えと声援が飛び交う。
思い切り殴れ足をとれ首を絞めろと、様々な実践的(?)なアドバイスも受けながら……先に、先陣を切ったのは俺だった。サッカーの要領で、相手の足を蹴りあげコカせようとする。
しかし相手は、それを察してぴょんと後ろへ飛んだ。少し悔しくなり、何度も蹴りを繰り出したがそのたびに、相手はうまく躱す。なかなか器用な奴だ。
俺が蹴りを放ったことで、相手も踏ん切りがついたようだ。
少し間合いをあけ、俺の顔を睨みながら、俺にパンチをお見舞いしてやろうと、握りしめた拳を引いて構える。
俺は、転生前にYoutubeで見ていたボクシングの試合を思い出し、両腕を胸の前で盾のように構えた。
突如、らああああ、と何かの叫び声を挙げながら相手は勢いよく突進し、俺にパンチを繰り出す。俺はうまく、腕でそれを受け止めたが痛ッてええええ!二の腕に打撃、クッソ痛えよコレ!相手も、当てた拳が痛かったらしく手を振っている。
ドシロウト丸出しの俺たちのケンカに、周囲の観客どもは大笑いだ。
やれやれ、殺せ殺せと、大変に心強い声援を受けながら、俺はまた足を狙う、と見せかけてフェイントをかけ、そいつの顔めがけて不意打ちで張り手を放った。
ぱあん、と気持ちのいい破裂音が響いてそいつの頬に思い切り張り手が入る。顔が横に吹っ飛び、そいつは地面に倒れた。やっぱ、攻撃が入ると気持ちがいいもんだな。
俺がさらにそいつの身体に馬乗りになろうと駆け寄った瞬間、そいつは俺の胴体めがけて足蹴りを放つ。それがもろに腹に入った俺は、ぐえ、という声を漏らしてよろめいた。吐き気がせり上がり、オロロロとその場に吐いた。もうカッコ悪いったらありゃしない。こうなったら何が何でも勝ってやる!
その間にそいつが立ち上がり、今度は俺を組み伏そうとして襲い掛かってくる。しかし俺は、いま吐いた吐しゃ物を、とっさにそいつ目掛けて蹴り上げた。吐しゃ物が顔にかかったそいつは、思わず立ち止まって顔をぬぐう。目をしきりにこすっているので、うまい具合に目に入ったようだ。
このチャンスを逃さない!
俺はすかさず、拳をそいつの腹に入れる。お返しだ。
みぞおちに打撃が入ると、そいつは胸を押さえながらゆっくりとよろめいた。膝を地面につき、しきりに自分の胸を叩いている……なんだ?何が起きた?よくわからんが、今なら!
俺は、そいつの傍にすぐ跪き、相手の首に腕を回した。そしてそのまま、強く締め上げる。相手の顔が真っ赤になり、俺の腕を外そうと必死にもがき暴れ始めた。俺は腕を外されまいと、これまた必死に絞め続ける。
周囲からは、歓声と怒号が同時に上がった。
「殺せ!殺せ!」
「殺すな!離せ!」
俺と相手を囲む、双方の部族の者たちは興奮しながらそう叫ぶ。ともすれば外れそうになる腕に、俺はさらに万力を込めてくびり上げる。相手は、ぐぐぐ、と苦しそうな声を漏らしていた。
勝利を目前にすると、面白いことに俺自身も歓喜が湧き上がってくるのを感じた。まさに原始時代の弱肉強食、適者生存。愚かな者、弱き者が先に死ぬ。これこそが自然の摂理だ。このまま動かなくなれ、絞めて殺してしまえ、殺して勝者になれ、と心の中で声が聞こえる。
しかし、俺は俺の腕から、相手の身体がけいれんを起こしていることを感じ取った瞬間……内心の興奮が、急速に冷めていくのを感じた。
自分が生まれて初めて、自身の身体を用いて人を殺そうとしている、というリアルに、恐怖を覚えたんだ。
それに……殺せる、確かに今なら俺は、こいつを殺すことができる、このまま首を何分間も絞め続ければこいつは、最終的には窒息死をするだろう……しかしこいつを殺せば、血気盛んなウル・バザンの連中は、必ず俺への復讐を考えるだろう。
ほら、既に集団の中に、俺を今すぐ殺したいと云わんばかりに睨んでいる奴がひとりいる。多分、こいつの肉親だ。こいつを殺せば俺はいつまでも、そいつからの報復におびえることになる。
……何だっけな、こういう不毛なのを一言で云う言葉があったはずだ、大学の授業で習ったんだけど、あれは……そう、
誰かが敵に殺されたら、その仲間が相手への"返し"をする。これを確実に行うことで、敵が自分たちを恐れ襲わないようにする行動をそう呼ぶ。
現代社会では野生生物が基本、ヒトを恐れるのは、ヒトが何千年にも渡ってそれを実践してきたからだという説がある。要するに、ヒトを襲う個体はヒトに必ず殺され子孫を残せず、ヒトを避ける個体が生き伸び子孫を残したことで淘汰が働き、野生動物は基本、ヒトを襲わなくなった、というわけだ。
でも、ヒト同士の場合は違う。"返し"をしないと敗北が確定することを互いに知っているので、双方ともが延々と報復を繰り返すことで最終的には、双方とも破滅してしまう。血讐が有効に働くには、一方が一方を恐れ仕返しをあきらめることが重要なんだ。
実際に、そうやって滅んだ事例が多々あったからこそ、現代社会では血讐(例えば私刑や、法に則らない復讐など)を諫めるようになった。
俺がいま、こいつを殺してはいけないことを、こいつらにうまく諭すことができるだろうか?……しかし、やってみるしかない。
俺は、相手の首に回した腕の力を抜き、彼を解放した。
震えながら鯉のように口をぱくぱくとさせていた彼だったが、俺が解放したことでギリギリ助かったらしい。彼はその場に倒れたまま、激しく咳き込みながら息継ぎをしている。
俺は、彼をそのままにして、その場にゆっくりと立ち上がった。
俺主演による血沸き肉躍る殺人ショーが、クライマックス直前で公演中止となったのに気付いた仲間たちは、驚き呆れながらブーイングを飛ばした。それはもう、聞くに堪えない罵詈雑言だ。ただし彼らの語彙が少ないので、大体はバカとかアホとか死ねだとか。
俺は、地面に倒れている相手を指さしながらウル・バザンの連中に怒鳴る。
「俺がこいつ、殺す!
お前たち、俺を殺すか!」
連中の中から即座に「殺す!」という声が上がった。先ほど、視線で俺を射殺さんばかりに睨んでいた、壮健な見た目の男だ。相手はそいつの姿を見て「おやじ……」と漏らした。
俺の目論見どおりだった。俺は内心、安堵しながら、
「俺がウル・バザンに殺される!
お前たち、ウル・バザンを殺すか!」
俺は、今度は俺の仲間たちを向いてそう叫ぶ。
それを聞いた仲間たちは口々に、殺す殺すと嬉しそうに叫び始めた。君たち、いくらなんでもちょっと野蛮にすぎないか。現代人の僕は内心、ドン引きですよ。
しかしナシャムカはこの騒ぎにも乗らず、黙って俺を睨んだままだ。俺が何をしようとしてるのか、見極めようとしている風に感じる。
俺は続けて、交互に双方に向かい叫ぶ。
「ティル・アシャが殺す!ウル・バザンが殺す!
殺す!殺される!殺す!殺される!
まだ殺す!まだ殺される!何度も殺す!何度も殺される!
誰も生きていない!みな死ぬ、みな殺される!」
この時代の語彙では、決着が双方の破滅しかない血讐の無限ループを語るにはこれが限界だ。何とか理解してほしいという必死の祈りと共に、俺は集団の中心で叫び続けた。
幸いにして俺の心からの叫びを、双方の集団とも黙って聞いていた。
俺は最後の締めに、地面に跪く相手を見下ろし、指さしながら叫んだ。
「だから俺、お前、殺さない!
みんな、死なない!」
最後まで、何とか云い切ることができた。途中で誰かが邪魔に入らないかと気が気ではなかったが、俺の気迫に気押されてか、誰も茶々を入れてこなかった。
俺の云いたかったこと、みな理解してくれただろうか。俺は、静かになった双方の集団の面々を眺めながら、不安な面持ちを抱いていた。
重苦しい静寂が場を支配する中、最初に口を開いたのは、ナシャムカだった。
彼は、俺の必死の訴えに対し……
「……お前、そいつを殺さない
お前、いくじなしだ」
……その言葉は容赦なく、俺の淡い期待を打ち砕いた。
やはり、この世界では、対立した敵は殺すことが正しいんだ。
俺は、嫌でも仲間の期待に応え、相手の首を最後まで絞め切り、その息を止め殺さなければならなかった。つまりこいつらは、動かなくなった死体を見ることでしか安心できない奴らなんだ。俺とは違う、現代で生きてきた俺とは、根本的に考え方が違うんだ。
俺はその瞬間、云いようもない、どす黒い絶望が心の内から湧き上がってくるのを感じた。こいつらは多様性や共存共栄なんて微塵も理解できない、他人の血を見たがる
異世界転生なんて、何もいいことはないよ。今すぐにでも元の世界に戻してほしい、こんなクソみたいな世界に一秒たりとも居たくない。俯いた俺は、思わず涙が
しかし、ナシャムカはそこからさらに言葉を繋いだんだ。
「……だけど、お前の言葉、よくわかる
ザル・クナムとバル・ロガン、みな殺し、みな殺された」
その言葉に、俺は思わず顔を上げてナシャムカを見た。彼の表情は相変わらず険しいそれだったけど、眼光は意外とそうでもなかった。
仲間たちは彼の言葉に、驚いたみたいだった。互いの顔を見合わせながら、どう反応すればいいのか迷っている風だ。
ナシャムカは、今度はウル・バザンたちに向かって叫んだ。
「ウル・バザンよ!
仲間の言葉、聞いたか!」
それに対し、ウル・バザンのリーダーは、「聞いた!」と応えた。
ナシャムカはさらに言葉を続ける。
「俺たちが、お前の仲間を殺す、
お前たち、俺の仲間を殺す!
何度も殺す、殺される!
最後、誰もいなくなる!
お前たち、それを望むか!」
ナシャムカは、俺が云った言葉をおおまかになぞって叫んだ。
相手のリーダーは、しばらくの間、黙ったままナシャムカの顔を睨んでいた。ウル・バザンの連中も、固唾をのんでリーダーの言葉を待った。緊迫の瞬間だ。
相手のリーダーはやがて、重々しく口を開いた。
「……俺たち、ガゼルを狩りに来た
お前たちを殺す、望みではない」
そう云うと、彼は目をくわっ!と見開きながら、ゆっくりと口角を上げた。うそ、彼、口だけで笑ってる!?
ナシャムカはその顔を見ると、同様に目を大きく見開きながら口角をゆっくりと上げる。マジか、こっちも口だけで笑ったぞ!?
双方のリーダーが、双方の集団を代表して、壮観な笑顔を互いにみせつけ合っている。俺たちはそれを、緊張感マックスで見守っているんだ。なんだろう、この凄まじい政治闘争は。こんなの初めて見た。
ナシャムカは、やがて笑顔に込めていた力を緩めると、相手リーダーに語った。
「ガゼルは、精霊の贈り物
俺たちの物で、お前たちの物だ
俺たちが狩った獲物、半分やる」
相手リーダーも、表情をだいぶ柔らかな笑顔に変えながら、ナシャムカに応えた。
「お前たちが狩った獲物、半分もらう
望みはかなった、問題ない
この喜び、
相手リーダーは、己の拳を手のひらに打ち据える。ぱあんという景気のいい音が、辺りに響いた。それを聞いて、双方の集団が歓声をあげる。
君ら、血がみたいと云って騒いだと思ったら、平和裏に交渉が決着しても大騒ぎですか。俺、ほんとうに疲れたんですが。
俺はふと、足元でへたっている相手を見下ろす。
先ほどまでの俺との殺し合いが終わったことに加え、部族同士の一触即発の緊張からも解放されたことで、彼は心の底から安堵しているようだった。俺は、彼に手を伸ばす。
「終わった、良かった」
俺は、手を貸し引っ張り上げた彼にそう告げる。彼は立ち上がると、自身の尻をはたきながら俺の顔をじっと見た。
「……どうした?」
「おれ、バシュタ、お前は?」
自己紹介か。いいだろう。
俺も相手に、アダブールと名乗った。
「アダブール(変な男)……名前の通り」
眉をよせながらの、褒めているのか貶しているのかよくわからない評価。
この時代、決闘相手の息の根を止めないというのは、そんなに変なのか。俺は内心、遥か未来に生きてる人間の気持ちは、君ら原始人にはわからないよね、とひとりごちる。
「おれ、本当は強い」
悔し紛れか、バシュタはさらにそう云って口を尖らせた。これ以上悶着を起こしたくない俺は、ため息をつき肩をすくめて「強い、強い」と適当に流した。
俺のゼスチュアの意味がわからなかったのか、訝し気な顔をしながらも彼は「そう、おれ、強い」と念押しをする。うん、もうそういうことにしておこう。
ニスヤラブタの父親たちが、俺の元に駆け寄ってきた。
ハゲ父は、傍らのバシュタを一瞥すると、俺の方を向いて「よかった」と言葉少なに褒める。ポニテ父は、嬉しそうに俺とバシュタの背中を交互にばしばしと叩いた。
「俺、まだ生きてる」
俺がそう云うと、ハゲ父は初めて、満面の笑みを浮かべた。弾けるような明るさを感じる、夜に浮かぶ白い満月のような笑顔だ。
この時代の奴はどいつもこいつも、笑うときは気持ちのいい笑顔を浮かべるんだな、と俺は思ったものさ。
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