伊達じゃないよね、やはり。

 あの後、ティル・アシャとウル・バザンの間で、ナシャムカが云った通りに獲物を等分に分け合った。ウル・バザンも案外に礼儀正しいところがあり、リーダー格の男は俺たちに敬意を表した。また、今回は正当な権利の行使ではなく俺たちの厚意だと解釈したようで、この"借り"はいずれ必ず返すと約束もした。義理堅いじゃないか。


 バシュタは、ケンカ仲間とでも云おうか、俺のことをなんとなく認めたようなことを云いだした。お前も結構強いな、おれほどじゃないけど、と褒めるようなことを漏らす。この時代の人々は、根は単純なんだろう。随分と健康的に感じる。


 今度、嫁も連れてウル・バザンの集落へ遊びに来い、と彼は云った。俺の嫁さんを見たいそうだ。まあ、目的はわかってる、イヤラシイ奴だ。

 それはやぶさかではないが、ニスヤラブタは俺にべた惚れしているのでお前には奪えないぞ、という意味のことを云ったらそんなことはない、俺も村ではモテモテなんだとこのヒョロモヤシは強がってみせた。いいだろう、それが嘘でないか、いつか確かめに行ってやる。


 こうして、転生初日の"洗礼"は無事に終了した。

 俺も死なずに済んだし、獲物も大量に得たし、夜はみなドンチャン騒ぎをしたし、ニスヤラブタに俺の大活躍?を話してやると大喜びしたしで、本当に良かった良かった。


─────


 良くない、と思う。


 今回の騒動で思ったがこの時代、んだ。

 俺の考えを他人に伝えるのが本当に不便でまどろっこしい。

 例えば、勉強という言葉が、無い。経済という言葉も、無い。合意、時間割、アレルギー、運命、そういった言葉もない。無いったら無い。


 彼らの現在の生活の中にあるものや彼らの気持ちや考えを現す言葉しか無いので、乗り物やペットなんて言葉も、もちろん無い(彼らはまだ犬や猫を飼っていないんだ、飼う前に食べちゃう)。

 いやほんと、原始時代の彼らと比べたら現代の僕らって、小学生ですらものすごい物知りじゃないかと、改めて感心したよ。


 もちろん、文字も無い。そもそも、現段階では文字を全く必要としない社会なので、文字を作ろうにも誰も必要性やその便利さを理解できない。

 幸いにして、喋らなくとも記憶にある文字は指を動かせば表現できるので、試しに地面に日本語のあいうえおを一通り書いてニスヤラブタに見せてみたら、禍々しい何かを見てしまったかのような顔をして気味悪がったので、すぐ足で消した。


 現在の彼らは一体、どんな文明レベルなのかといえば、


・気候の穏やかな地に定着

・簡単な言語で意思疎通ができる

・石器を作る

・基本は狩猟と採集で、穀物の栽培はまだ思いついてない


 というくらいの……学校で学んだ歴史を思い返せばおそらく、紀元前一万年あたりの新石器時代の頃だと思われた。紀元前一万年って……過去に転生するにしても、限度ってモンがあるだろ。以降も時々、俺は現代社会のコンビニの便利さを思い出してはため息をついたものだ。責任者出てこい。


 また、俺の脳内に詰まっているはずの、日本で生きていた頃の知識をこの世界で活かそうにも、とにかくそれを実現できる技術や文化らしきものが一切無いので活用のしようがない。


 例えば、マヨネーズを作ろう、と思ってもまず鶏がいないから鶏卵が手に入らない。油?なにそれおいしいの?卵黄を混ぜるためのボウルなんてのも存在しない、そもそも金属の加工技術自体無いし、金属という資源の存在すら知らないからな。


 無いモノづくしのこの世界で、俺が転生者として第一に生み出そうと思ったもの。

 それは ── 調味料、だ。


 とにかく、食べる物に軒並み味気が無い。

 肉は生で食べる、果実はそのままかじる、穀物は水に溶いて食べるか団子にする、以上。唯一、しっかりと味気を感じられるのは果実くらいだ。

 ただし、手に入るのは現代の果物店で売っているような、品種改良を重ねた、カラフルでとても美味しい果実ではなく遥か昔の、野草のような見栄えの野生の果実だけどね。


 そんな文字通り、味気のない食生活を激変させるであろう調味料で、この世界でも間違いなく存在し、しかも比較的簡単に手に入れられるものといえば、何か。


 そう、塩だ。

 これは、岩塩さえ見つければいい。

 最も手軽に手に入れられ、味付けにフル活用できるものだ。


 俺は、ニスヤラブタを連れて、岩山に住む動物の行動を観察した。特にアイベックスだ。彼らは確か、岩塩を舐めることで塩分の補給をしていたはずだ。


 岩山で観察を続けること数日、俺と彼女は、アイベックスの小集団をうまく見つけることができた。対象を怯えさせないようにある程度、距離を保って彼らの行動範囲を観察していたら、彼らがとある岩肌に定期的に向かっていくことに気づいた。果たして、そこが岩塩が露出している場所だったのだ。


 俺は、岩塩に石斧を入れ、いくらかの塊をこそぎ落とす。舐めてみればまさしく塩の味がして、俺は思わず、故郷の日本を思い出して感動したものだ。

 試しにニスヤラブタにも舐めさせてみると、何ともしょっぱそうな顔つきをした。もちろん、しょっぱいという言葉はまだないので「何だ?これ何だ?」としきりに云うのが面白かった。


 それを持ち帰った俺は、石をうす代わりにしてひいて細かな粉状にした岩塩を、オオムギのスープの中にぱらぱらと入れ、よくかき混ぜて口にする。

 するとあの、何の味もしない穀物の汁が、途端にオートミールのひどいできそこない程度の味になったので俺は「エウレカ!」と叫びたかったがそんな言葉は無いので代わりにエエエアアアと叫んだ。

 俺の、エエエアアア、という感動の叫びが気に入ったのか、彼女もそれを飲んでエエエアアアと叫ぶ。なんか変な言葉を生み出してしまったか俺。どうしよう、一万年後の人類が感動した時にはエエエアアアと叫ぶようになってたら困るなあ。


 後はまるで坂道を転がり落ちるかのように。


 俺は、様々なものに岩塩の粉を振って食べる。塩分の取り過ぎは身体に良くないゾ、と現代社会の記憶が俺に呼びかけるが、今は味覚のためなら健康だって犠牲にする覚悟だった。ガゼルの肉を火であぶり、それに粉を振って食べた時は、焼肉屋のあの肉の味が再現されたようで、俺は涙すらこぼしたものさ。


 で、試みに集落の仲間たちにもそれを食べさせてみる。

 俺が焼いた肉に何かを振りかけているのを、彼らは怪しそうに睨んでおり、焼けた肉にもしばらく鼻を近づけて用心深そうにかいでいた(彼らはそもそも、肉を焼かない)が、恐る恐る一口を噛んでゆっくりと咀嚼した瞬間……連中の目が、ハートマークに変化した。


「何だこれは!」


 ニスヤラブタと同じ反応をしたので随分と面白かった。


 ところがこのことで、アダブールが魔法を使った、と集落で話題になり、後日俺は、集落のおさ、つまり長老に呼び出されることになったんだ。


─────


 俺は……正確には、転生した俺は、この集落の長老に会うのは初めてだった。

 ナシャムカは狩りのリーダーであり、長老ではない。


 集落の中心にある、他の家よりも一回り大きな建物に俺は足を踏み入れる。

 そこは明らかに、他とは質の違う空間となっていた。


 二十人ほどが入れるかと思われる広い部屋には、その中心に簡素ながらも囲炉裏があり、焚火が燃えていた。入り口とは対面の、焚火を挟んで向こう側には、羽根飾りを頭に被った、年老いた老人があぐらをかいて静かに座っていた。たぶん、この老人が長老なのだろう。


 ちなみに、この時代に老人はとても珍しい。

 この時代のヒトの平均寿命は三十歳程度で、老人となるまでに病気やケガでコロリと死んでしまうのが普通だからだ。四十代を超えなお生きる者は間違いなく強運の持ち主で、五十代~六十代に達したならもはや奇跡と云っていい。


 長老の隣には、ナシャムカも座っている。

 二人とも、おずおずと中に入ってきた俺を見つめていた。


「アダブール、そこに座れ」


 長老は俺に、焚火を挟んだ対面に敷かれている毛皮を指さしてみせる。俺はその上に、彼らと同様にあぐらをかいて座る。こういう場での礼儀がないか、肉体の記憶を探ってみたが特になにもなさそうだった。


 俺が座っても、長老とナシャムカは何も云わず、俺の顔をじっと見つめる。

 この時代の人らってこの、黙ったまま相手を見つめる、ってのが本当に多くて、俺としてはかなり苦手だ。この沈黙を破っていいものかどうか、相当に悩んだ末に、俺は「何だ?」とだけ口にした。


「……魔法を使ったか?」


 長老は、率直に尋ねてきた。

 もちろん、そんなものは使ってない。しかし、この人らは現代の知識は一切持ち合わせていないので、焼肉と塩は魔法ではないと云っても本当に信用してくれるかどうか。

 少なくとも、ここに呼び出された経緯やこの言葉のニュアンスからは、魔法に良いイメージを持っているとはどうにも思えなかった。


 俺は、これまたしばらく応えあぐねた末に、


「魔法ではない」


 とだけ答えた。

 長老は俺の言葉にかぶせてくるように、


「では、何だ?」


 と問いただしてきた。

 俺はニスヤラブタと、長老の呼び出しについて相談したことを思い出す。


(魔法、云ってはいけない)

(なぜだ?)

(魔法は、悪霊の仕業、お前悪霊じゃない)

(悪霊……)

(お前違う、精霊が入った)

(精霊?)

(そうだ、お前の中、精霊がいる)

(そうか……そうかもしれない)

(だから長に、精霊だと云え)


 なるほど、彼らはこの世界には精霊と悪霊がいると思っているんだ。悪事は悪霊の仕業、善事は精霊の仕業。で、悪霊は魔法を使うのか。

 その知識をベースにして、且つ学生時代や社会に出てから培った、俺の科学への信奉心に反しないレベルで、俺は彼らへの説明を試みる。


「精霊が、教えてくれた」

「精霊だと?」

「精霊、俺たちに、ガゼルを与え、オオムギを与える

 そして俺に、SIOシオを与えた」


 塩、なんて単語はこの時代にない。

 だから俺は苦心して、似た音でSIOシオと発音することを習得したんだ。

 そうまでして記憶にある言葉を口にしようとしたのは、ある狙いがあった。


 彼らは、俺が全く聞きなれない言葉を発したのを聞いて、顔を見合わせる。


「……お前、いま、何と云った?」

「精霊、SIOシオを教えてくれた

 精霊の、贈り物だ」


 俺は再度、SIOシオと発音する。そして腰にゆわえた革袋から、岩塩のかたまりをひとつ取り出し、彼らの前に差し出す。これで彼らも、全く聞いたことのない単語がそのモノの固有名詞らしいことくらいは理解したはずだ。


 長老は、しばらくの間は黙って俺が持つ岩塩を見つめていたが、片腕をすっと差し出し、手を開いた。こっちによこせ、ということか。

 俺はゆっくりと立ち上がり、焚火を回り込んで長老の傍まで歩くと、岩塩をそっと長老の手のひらに乗せる。長老は、それを眺めまわしながらしげしげと観察していた。


「……これは、何だ?」

SIOシオだ」

「もう一度、云え」

SIOシオ


 長老は、手のひらの岩塩をナシャムカにも見せた。

 ナシャムカも、訝しそうにそれを眺める。

 そして、俺がSIOシオと発するのを苦労したように、彼もまた発音をしてみようと声を発する。


「これが、S、SSSIO……か?」

SIOシオだ」

「S、SS、SUI……UO?」


 突然!長老が大声で笑い始めたので、俺とナシャムカはびっくりして彼を見る。まじめくさったナシャムカが、苦心しながら何かを発音しようとするその姿が、どうやら長老の"笑いのツボ"に入ったらしい。

 長老は、威厳ある年長者にはあるまじき大仰ぶりで、げらげらと笑いながらナシャムカに岩塩を見せつける。ナシャムカはいささか不機嫌そうに、それを見ていた。


 そしてまた、長老はピタリと笑うのをやめ、俺が先ほど座っていた毛皮を指さしてみせる。席に戻れ、ということだ。俺は静かに、毛皮まで戻りその上に座り直す。

 しばしの後、長老は口を開いた。


「精霊、SIOシオをお前に与えたか」


 長老がSIOシオを、一発で流暢に喋ってみせたことに俺は内心で驚いたが、それはおくびにも出さずに小さく頷く。


「精霊、それを呉れた」

「そうか……精霊が、お前に宿ったか」


 長老は、小さくそう呟いた。

 えっ、俺、そんなことは一言も云ってないよな?

 精霊に教えてもらったとは云ったが、精霊が宿った、なんてまだ一言も……


「……霊は、ヒトに宿ることがある

 善い行いをする者には精霊が宿り、

 悪い行いをする者には悪霊が宿る


 お前は、肉を焼き、SIOシオをつけた

 それが皆に、新しいISKVIスヴィを与えた

 喜びをともなう、ISKVIスヴィだ……

 きっとこれは、精霊が私たちに与えた、新しい贈り物だろう」


 長老は、俺がこの世界に転生してから今までで、最も知性を感じる言葉遣いで、何事かを厳かに、静かに語り始めた。しかも俺が知らない、ISKVIスヴィという言葉まで使っている。後で学んだが、それは"知識"を意味する言葉だった。


 長老がなぜ、ナシャムカよりもこの集落で貴ばれている存在なのか。

 俺はその理由を、目の当たりにしていた。

 長老はなおも、俺に向かって語り続ける。


「アダブール、以前からお前は、風変わりな者だった

 ニスヤラブタしかめとらず、狩りにも出かけない、

 雨の中、喜んでくさむらを歩き、寒い日に裸で歩く、

 皆のいる集落ではなく、その外れで一人でいる方を好む……


 ……私は、とても心配をしていた

 悪霊が狙うのは、いつもお前のような者だ

 悪霊はお前に宿り、私たちに災いをもたらす

 そうしたら私は、お前を集落から追い出すしかない、

 ニスヤラブタも、お前と共に集落を離れる、

 お前たちはきっと、死んでシシに食われるだろう……


 しかし……今日、精霊がお前に宿ったことを知った

 精霊は、SIOシオをもたらし、自身が悪霊ではないことを示した

 大変に喜ばしいことだ、この集落に精霊の宿る者が生まれた、

 大きく誇らしいことだ」


 長老は重々しく頷くと、岩塩を目の前の床にそっと置いた。


 これはとりあえず、岩塩という新アイテムとその活用について、長老からのお墨付きを得た……と、考えていいんだよな……?

 俺は、神妙な顔つきのまま、二人の表情からその内心を読み取ろうとするが、しかし相変わらず、どうにも思考を読めない仏頂面だった。


 その時、俺はようやっと気づいた。

 あっ、この二人……親子か!?


 こうして並んで座る場面を見ると、長老もナシャムカも、なんとなく面影が似ている。最初から、並んで座って俺を待っていたこと、そして先ほどの大笑いした場面は、双方が相当に親しい関係でなければあり得ないようにも感じた。

 なるほど、ナシャムカは長老の後継者ということか。


 俺が、二人の顔を交互に見ながらそう考えていると、ナシャムカが「もういい、下がれ」と云った。長老は全く表情を変えずに、目だけで出口を指す。

 俺は腰を上げて出口を向きかけたが、岩塩が置きっぱなしなのに気づくと、再び焚火を廻ってそろりそろりと、長老の目の前に置かれた岩塩に近づく。二人は、俺の動きを目だけで注視していた。


 俺が、岩塩に手を伸ばそうとしたその時。


SIOシオは、これだけか?」


 長老が、そう声を発する。山で採れる、と俺が云うと、その場所を詳細に聞き出してきた。まあ、嘘を云っても後で困りそうだし、まさか独占しようって腹ではないのだろう。岩塩なんて、その気になればどこでも手に入りそうなもんだし。

 俺は、この岩塩の採掘場所を素直に教えた。


 長老は、ナシャムカと顔を見合わせ、しばらく黙っていたが、再び俺の方を向くと、今後は必ず、自分に断りを入れてから採りにいけ、他人にはSIOシオの在りかを決して教えるな、と告げた。


 うっそ、独占かよ!こいつ、意外と欲深いジジイじゃねーか!

 ……と、いう考えは秘めておきつつ。


 俺は短く、わかった、とだけ告げると岩塩を手に取り、そそくさと長老のいおりを後にした。


 この世界で最も知的だと思われる人間に自分が認められた、と少し嬉しく思ったのに、結局は欲得で動くのかと、俺は失意を覚える。でも、岩塩を独占しても何の利益もないだろうに……その狙いは、当時はよくわからなかった。

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